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vol.13 震洋隊 --- 長崎佐世保から、ここ望安鄉に---(台湾各地の記念碑や観光案内板を翻訳してみる)


(翻訳)
震洋隊八罩島基地は、第24代震洋隊員の日本人・波佐義昭氏の説明によると、震洋艇5隻が内部で相互につながる格納壕、隊員の兵舎、発電室、調理場、作業場、監視所、樽風呂、広場、出入軌道路等の空間で構成されていた。隊員たちは佐世保港を出発し(澎湖島の)馬公野菜園で集合し、八罩島の水安港に上陸した。水安宮を一時的な兵舎として使用し、地元の村民男女を募集し鴛鴦窟山丘に塹壕を掘り震洋隊の根拠地とした。 当時、各塹壕は木材で支えられかなり安定した構造だった。 第二次世界大戦の終結後、ほとんどの木材や鉄レールは村人によって他の目的に使用され、時間の経過とともに崩壊し、土や岩に埋もれていった。 人が去りギンネムに覆われ、元の塹壕の全貌を識別するのは困難だが、地形図から位置と分布はまだわかる。
(翻訳終わり)

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