自分の中の葛藤に決着 きっかけは台湾でのできごと
明治時代の中頃、小泉八雲は日本の大学生に向かって文学論を講義した ※ 。
本当に良い詩というものは、外国語に散文として翻訳されても価値を失わないものだと言う。飾り言葉や音による技巧ではなく、うたわれた内容が人の心に響くかどうかということだと。
なるほど、そういう風に考えればよいのか。賢人の導きはありがたい。
※ 小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために(角川ソフィア文庫)
ラフカディオ・ハーン 池田雅之=翻訳
ならば提案がある。君が代こそ現代語訳または外国語への翻訳というフィルターを通して鑑賞して見る価値があるのではないかと。そこには人々の普遍的な願いが記されている。政府のホームページに掲載し、日本国民および全世界に発信したらどうか。
そのように思うようになった心の変化を記します。
舞台
台湾南部、格調高いホテルの1フロア、パーティ会場。 耳によく馴染んだあの音で伴奏が始まった。
独唱♪
額と頭髪部に汗が滲んだ。
そっとマスクを外しハンカチで拭った。
台湾での経験
私が台湾に駐在して台湾人、台湾社会から学んだことの一つが、臆すること無くお国自慢をすることの素晴らしさだ。自分や家族が住む土地への誇り。その延長線上にある愛国心は自然な感情なのだと。そこに、いやみやケレン味はまったくない。他国への優越感でもない。明るく快活なお国自慢だ。
はためく国旗、多様性社会の統合の象徴
台湾各地を旅すると、祝日など観光地で国旗が数十本ずらりと並んで風に旗めく風景を目にする。その様は実に壮観だ。
多民族、多文化、多言語であり、まさに多様性に富む社会にあって、郷土愛、台湾人ファーストという点では皆一致している。国旗はみごとにその象徴となっている。多元社会の統合の象徴というべき存在だ。
台湾社会の仕組み、有り様に外国人たる我々が口を挟む余地はなく、雰囲気的にも全く許されない。そんなことをすれば無視されるか、この社会からつまみ出されるだけだ。公式ルートにのっとり与えられた意見表明の方法以外に術なし。私の知る限りそういう風だ。
台湾人の確固たる台湾愛。
清々しく素直に羨ましい。
拒絶していた頃
私は若い頃、例えば日本代表のオリンピック選手が金メダルを取って表彰台に上がった時、それを熱狂的に喜んで見ていた。ところが、テレビから君が代が流れるとご飯の途中でも何でも急いでリモコンを探して音量をゼロにして聞こえなくしていた。
大学時代から30歳代、結婚当初ぐらいまではそれが自分のスタイルだと思っていた。妻はそんな私を奇妙に思っていたかもしれないが、敢えて異を唱えたり、同調したりする事もなく、只々そばで黙って寄り添ってくれていた。
子供二人に恵まれ、仕事と子育てに追われていく。いつしかそんな事はしなくなっていった。特に明確な心境の変化があったわけでは無い。強いて言うなら、自分自身それがパフォーマンスじみたポーズの様に感じ面倒くさくなった。
そして、もう君が代のことは、聞こえても聞こえなくても、意識しなくなった。
30年以上経過して
時はずいぶん流れて、2022年3月、異国の地台湾で日本政府系組織の主催するセレモニーに参加した。名門ホテルのフロアに優に百数十人規模となる人々が集まっていた。日本人と台湾人と半々ぐらいだったと思う。
驚愕、誰も歌わない
主賓の挨拶が何人か続いた後、あの聞き慣れた音で君が代の伴奏が始まった。
が、だれも歌わない。
百人以上の人が居て誰一人歌っていなかった。
伴奏だけが淡々と流れていく。異様な時間、異様な空間だと感じた。失礼ながら、周りの人たちが平静を装いながら無表情でがんばって突っ立っているだけの様に見えてしまった。まさに、その1人がこの私であり、ショックだった。
再考のきっかけ
国歌を歌わない日本人の集団を、隣にいる台湾人達はどう見ているのだろうか?
一人悶々と悩んだが、戸惑っているうちに伴奏は終わった。何事もなかったかの様に、式次第は次の項目へと進んだ。
私は気まずさを引きずっていた。それはセレモニーが終わった後もなお続いた。そして、この日の出来事は再び私の脳裏に「君が代」を気になる存在として深く刻み込んだ。
しかし30歳の頃の私とはもう違う。
台湾で台湾人と台湾社会を見つめる中で学んだ経験。SNSから入る真偽おり混ざった各種の情報が私の思考フレームを変えていた。
音楽性を求めて
君が代をニュートラルに意識すると、今度は「音楽としての心地よさ」を求めるようになった。
YouTubeで探して見るが、良いのは1つもない。有名な歌手がうたっていても、個性やクセが強すぎたり、技巧ばかりで声量が足りなかったりと、申し訳ないがどれもイマイチだと感じた。オペラ歌手の歌い方もなんか違うと感じた。人々が天才と称賛する少女の歌にも何故だか魅力を感じることは無かった。
もっと「普通に歌って欲しい」と思った。
そこで、自分が心地よく感じる歌い方を頭の中でイメージしてみた。普通に、そして声量たっぷりに、大きな声で力強く歌うと言うシンプルなものだ。それが1番しっくりきた。
一旦イメージができ上がると、その君が代が四六時中頭の中に居座った。シャワーを浴びるときは、音に紛れて小声で歌ったりもした。意図せず、独唱のイメージトレーニングが重ねられた。
私の「君が代ブーム」は3ヶ月ほど続いてフェードアウトしていった。その後すっかり忘れてしまった。
今年のその日
1年近くが過ぎた。2023年3月、またセレモニーの日が近付いてきた。
あっ、どうしよう。またあの微妙な雰囲気になるのかな。気まずく感じるのは私だけなんだろうか?
いや、そんな事はないだろう。皆その時間帯に違和感を感じながらじっと大人しくしているのだろう。まあ、日本人らしいと言えばらしいが、なんだかなあ、、
思想信条の自由、表現の自由
もちろん、歌う歌わないは個人の自由だ。頭の中だけで歌う人も居るだろう。
聞こえてこないだけでハミングしている人がいるかもしれない。表現の自由だ。
あの状況で声を出せば目立ってしまうしね。
その時が来た
色々考えているうちに当日となり、ついにその時が来た。
歌うか、歌わないか、態度を決めかねているうちに伴奏はスタートした。
心臓がバクバクしだした、、、、
気付いたら小さな声で歌い出していた。辛うじて音程を維持するだけの下手な歌だった。
異国の地ならではの経験
海外で異文化に接し、かえって日本のことが気になると言うのはよく聞く話だ。還暦を過ぎて尚、ドキドキハラハラの経験をさせていただいた。しかも安全に。台湾ならではのことではないか。ありがとう台湾!
そして今日初めて、歌の成り立ちと歌詞の意味を知った。そこに歌われているのは、国家主義的、民族主義的な偏狭なものではなく、時代、国境、人種、民族、性別を超えて成り立つ、人々の当たり前の願いなのではないだろうか!
歌詞の意味を知った今、もう、どんな歌手がどんな風に歌ったって構わないと思える様になった。ロック調だって、お経調だって、演歌調でこぶしが入っても、そこに込められた願い、言葉の意味は変わらない。
こんな素敵な国歌をもつ国、誇らしき我が祖国日本!
高揚した気分の中で、この一文を書き終えた。
念のためセレモニーの式次第を読み直した。「国歌斉唱」だったのか「君が代斉唱」だったのか、どちらだったのかを確かめるつもりだった。
結果、どちらでもなく「国歌斉聴」 だった!
えー、こんな言葉ってあるの???
聞いたことない!
そうか、コロナの状況を見ながらの日程、開催だったな。
なるほど、どおりで誰も歌わなかったわけだ。
両陛下の写真が飾られた格調高く厳かな雰囲気漂う会場の中で、一人、勘違いに気付かない私の声だけが響いてしまったのかもしれない。
とんだ勘違いだった。しかし、それで良かったと思っている。君が代をめぐる葛藤に終止符を打つことが出来た。スタンスは確定した。
次に機会があれば、
また声に出して歌おう!
#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?