旅先でピンチを切り抜けた! 台湾離島媽祖、北竿島にて
言葉の通じない異国の離島で帰還便が欠航になった。数日後まで満席でキャンセル待ちもままならない。さあ、あなたならどうしますか。全くスマートではない私の経験、ベタベタな方法をシェアいたします。
ポイントはたった2つ
①同じ状況に有る現地人をマークして同じ行動を取れ
②決して空港から離れるな
結果としてこの2点がピンチ脱出の鍵となりました。これだけ頭の片隅に入れておいていただければ、運悪く同種のピンチに直面した時、きっと落ち着いていられると思います。
以下、長々と書きますが状況の説明ですので必ずしも読んでいただかなくても大丈夫です。
北竿ってこんないいところ、雰囲気最高!
2020年7月25-26日に台湾の北方の離島、馬祖北竿島にいった。一泊二日という短い旅を終え離島から台北松山空港に戻る時、突如便が欠航となった。
この時期の台湾はコロナの初期の抑え込みに成功し200日ぐらい国内感染ゼロを記録していくのだが、その最初の頃だったと思う。特に台湾政府が内需を振興するため3倍券というオトクなクーポンを発行し、台湾各地はどこも賑わっていた。ここ馬祖も例外ではなかった。
驚きの島、馬祖列島
まず、馬祖列島の位置を示します。知らない人が見ると台湾というより中国大陸の離島の一つに見えてしまいます。しかし、れっきとした台湾です。主として南竿、北竿と西莒、東莒、少し離れて東引島、西引島からなります。今回訪問したのは北竿で、最終的に飛び立ったのは南竿の空港からでした。
さっきまで順調が、突然の欠航
帰りの日。搭乗予定の朝一の便が突如濃霧で欠航となりました。朝民宿を出る時は特に天候は気になりませんでした。空港待合室でもうすぐ荷物検査の案内があるというギリギリの時間となってから何故かカウンターに人が集まりだしていました。嫌な予感がして掲示板を見ると關閉(閉鎖 )と表示されていました。
何を言っているのかさっぱりわからない
何事かと思ってカウンターの方にいって人垣の後ろから様子をのぞきました。航空会社の職員がなにか説明しています。全くわかりません。私の語学力では何も聞き取れません。ただ、のっぴきならない事態だということは分かり緊張して聞いていました。すると私の名前も呼ばれました。さすがに自分の名前の中国語読みの音はわかりました。
とりあえず台湾人客の真似をする
係員が何を言っているのか全く分かりませんでしたが、周りの台湾人の振る舞いを全く真似してうなずいておきました。ほぼ同じリアクションをしてみせました。そうするしかなかったのです。
後からわかったこと
係員は他の人にも全く同じことを説明していました。必死に聞いたことと、後の展開を総合すると次の内容だった。もし航空会社の欠航代替案に賛同するなら、今から南竿島に行ってそこで案内される便にのりなさい。どの便になるかは南竿の空港で聞きなさい。いまからすぐ港に移動して8:30の船に乗りなさい。それにのらないと間に合わないよ。
この島にタクシーは5,6台しかないらしい
さっそくターミナルの外に出てタクシーを探すが、、、無い。数台いたが、誰かが呼んだものだった。それらが行ってしまうともう1台も来ない。他の台湾人たちは民宿に連絡して車で迎えに来てもらっていた。私はと言うと、民宿に中国語で状況説明や交渉、依頼などできるはずもない。タクシーアプリを使って呼び出しをかけるしかない。しかし、全く応答が無い。
台湾人も必死だった
私一人だけなので、どこかの台湾人の集団に混ぜてと言いたかった。しかし、気が引けてしまって言い出せない。誰かと目が合えば困った様子をしながら近づいてSOSのサインをだせるのだが、誰もこっちを見てくれない。時間との戦いの中で台湾人旅行客も必死だった。普段は本当にびっくりするぐらい親切な台湾人もこの時ばかりは自分達のことに集中していた。当たり前のことだ。時間だけが過ぎていく。焦り始める。
離島でタクシーアプリじは全く役に立たなかった!
航空会社に助けを求める
もう一度空港ビルに入り忙しそうにしているスタッフにタクシー手配をお願いした。スタッフは
「お前まだいたのか、何をぐずぐずしているんだ、、早くしないと、、、」
という表情をしてびっくりしていた。スタッフが電話してタクシーを呼んでくれた。
小さな港は人でごった返す
空港職員がタクシー運転手に事情を説明してくれた。港につくとチケット窓口はごった返していた。ある意味追いついたことになる。運転手のおばちゃんが心配して窓口までついてきてくれた。窓口のおばちゃんは、急に人が増えて明らかに定時便の定員以上の人が殺到しイライラが頂点に達しているようだった。
指定された8:30の船便まであと1分、船着き場までは約50m。急ぐ背後からタクシーのおばちゃんが声をかけてくれた。ありがとうおばちゃん。おかげで最短時間でチケットが買えた。
私の眼の前で船は出発
桟橋にあと10mぐらいのところ、ほんの目の前で8:30の船が動き出す。
「ああ、ダメだったか、、、、」
しかし、あぶれて乗れなかったのは私だけではない。空港で見かけた台湾人も何人かいる。彼らは非常に落ち着いている。そのせいか、不思議と私も焦りは感じなかった。
「なるようにしかならん、この人らも一緒だ」
台湾人の臨機応変は秀逸
定時便が出て行くとすぐ次の船が入ってきた。あぶれて桟橋上に残っていた人たちをのせて、なんと8:35には出発した。もちろん私も乗れた。おそらく臨時増便だろう。航空会社と窓口でイライラしていたあのおばさんが連携し船会社に増便を要求したのだろう。仕事の速さはもう驚き、台湾人秀逸!!
懐かしの南竿
馬祖南竿には前年に一度来ていた。懐かしい勝手知ったる島。そのときも週末の一泊二日だったが、そもそも小さな島なのでスクーターで走り回ってだいたいの土地勘はもっていた。こちらは北竿とちがって人口も多く街並みも発展している。タクシーもたくさん走っている。一台呼び止めて空港に向かう。
外に出よ!
空港のカウンターでは全て話が通っていた。9:10搭乗のチケットを受け取って安心して案内を待った。X線の荷物検査を終えて入ったところで突然足止めされた。もう一度外に出るよう要求される。事情は分からない。カウンターに人が集められた。なにやら早口で説明をしている。私の語学力ではさっぱり聞き取れない。
やはり真似しかない
ここまで来ると、だいたいどの人とどの人が私と同様に北竿から来て行動しているか分かってくる。荷物や身なりなども覚えてしまう。「よし、彼らをマークしよう。彼らがカウンターに行くときは私も必ずついていこう。何を言っているかわからなくても、同じ仕草でおじ様にうなずいて、同じ行動をとろう」と決めました。言葉の分からない私が生き残る術はこれしか無いと達観しました。
運の悪い人々
北竿の空港で欠航となり、南竿の振替便がまた欠航となる(おそらく対象の便が台北から来ない)。事情を説明するから約1時間後の午前11:10時にまたカウンターに集まるよう指示された。私達の搭乗予定だった欠航便の後は正常に発着しているようだ。空港ロビーでは次々と人が入れ替わり、あとから来た人たちがどんどん先に飛び立ってゆく。私と私の周りの人たちは皆運が悪かったとしか言いようがない。
数日後まで全ての便は満席
1時間イベントが発生しないことが分かり、少し心に余裕ができた。スマホで予約状況を調べてみる。なんと3日後まで全便満席。台北松山空港行きのキャンセル待ちは180人、台中行きのキャンセル待ちは37人。220人弱がキャンセル待ち。
状況最悪と知って却って安心
翌日以降に空き席があれば、振替を要求されるかもしれない。しかし、数日間全便満席ならそれもできない。さすがに航空会社もこの状況を放置はしないだろうと、勝手に納得して安心していた。あとから来て先に飛び立つ人たちを見送っているうちに夕方になってしまった。
局面が動き出す
18:30頃アナウンスがありカウンターに集まる。どうやら臨時便が設定されたらしい。ここでも注意深く周囲の台湾人の動きを観察し真似する。名前が呼ばれると身分証明書をもって前に進む。自分の名前を聞き漏らさないよう
全身耳になって聞いていた。呼ばれても応答しない人、この場にいない人がかなりいる。優先権第二グループに分類されていた私のところまでちゃんと席が回ってくるのかヒヤヒヤしながら待った。
どう表現してよいやら、、、とにかく嬉しい
とうとう名前を呼ばれた。その場にいなかった人が多数いたおかげとも言える。買ったチケットで飛行機に乗るという当たり前のことが、こんなにも嬉しいとは(笑)。19:25南竿→松山行きの臨時便に乗れることになった。渡されたチケットには当初の北竿→松山と印刷されていた。
すごいぞ台湾人!
ことの始まりは、濃霧による欠航。それが3倍券で人々がわんさと動き回るタイミングで発生。こんな時は航空会社の人も大変だったと思う。しかし、私が最も驚いたのは乗客たる台湾人の様子だった。翌日に月曜日を迎える日曜の便が欠航となる。その状況で誰一人航空会社の職員に食って掛かることはなかった。時間に追われ、自分のことで目いっぱいになる様子は見たが、誰一人乱暴な態度を取る人はいなかった。臨時便をいつ出すんだと詰め寄る人も見なかった。これは新鮮な発見だった。そしてこの経験が、私が台湾人の国民性を信じ尊敬する理由の一つにもなっていった。
そして商売も美味かった
ところで、北竿の旅そのものも印象深かった。博物館にある珈琲店に入った。一人旅なので店の小姐に記念に写真をとってくれとお願いした。1枚は普通に撮ってくれた。次の瞬間、ニコッと笑って店の看板を持って来て私に差し出した。
いやー、商売上手!!