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『才能と運』 ——成功と失敗における、でたらめさの役割——

以前、とある A.I. 技術の講座(Harvard 大 CS50 AI)を受講していたときの演習問題の結果から、連想して書いた記事があるのだけれど、ちょっと技術用語が出すぎている。
そこで、平易に書き直したい。

この記事に先立つこと数年前、実は同様の『くりかえしゲームの結末』を分析した論文があった。なんとこれ、イグノーベル経済学賞なの。2018 年度の。

この論文タイトルを和訳すると、本稿の記事タイトルとなる。
いわく「『才能と運』 ——成功と失敗における、でたらめさの役割——」。

これは多分、某 SF 作家あたりが口にして、こども用プログラミング言語 Scratch で再現シミュレーションしていたことだが、当該論文の骨子について、できるだけ大雑把な説明をする。

たとえば。
ふたりで、コイン・トスのゲームを何千回、何万回……とくりかえすことにする。
双方とも最初の持ち金は 100 円。
コインの表が出たら A さん、裏が出たら B さんの勝ちで、掛け金の合計をもらう。
ただし、ルールがあって。
掛け金の上限は持ち金の 10 % まで。

こんな単純すぎるゲーム。
ほぼ 1/2 の確率で表か裏か片方が出る。

でも、こんなゲームを百回、千回、一万回、一億回、とくりかえしていくだけで、ものすごい『貧富の格差』が付いてしまう。
くりかえしのコイン・トスの最初の時期にたまたま多く勝っていた方が、相手よりそのぶん貯め込んで、より多くの掛け金を掛けられるので、勝ったときの利益の幅が大きくなるから。

人類が古代から興じてきた経済ゲームの原理はとどのつまり、この単純すぎる仕組みに大幅に左右されている可能性がある。

これは、コンピューター・シミュレーションで、きわめて簡易な設定で、ただしかなりの回数のゲームをくりかえせば、自ずと発生することだ。
もちろん、現実の社会・経済的ゲームには富が偏って蓄積していくに従って、別の要因も生じ、富の格差とゲームのルールとのあいだに相互の影響が複雑に拡がっていくのだろうが。

元記事の末尾を引く。

『貴方が実力だと勘違いしている才覚の差と結果としての莫大な富は、ほとんどすべて初期の運次第で決まっています』と謂ったときに、ピーター・ティールやポール・グレアムに代表されるごく一部の人々は権威主義という名の選民主義を選びつづけられるのか?

わたしたちはなんで、こんなに格差の拡大した世の中を生きなければならないんだろうね、その論拠はあるのだろうか?というお話でした——。

https://note.com/renpoo_tsukioka/n/nf7533af2ece7

現在の国際社会ではいつのまにか拡がった『新自由主義をよそおった弱肉強食ルール』が横行している。
でも、地球環境にも、そのなかの資源にも、世界の人口にも上限(いま現時点の)があって。
そのなかの取ったり・あげたり、になる。
だから、あんまりにも貧富の格差が拡大すると、人間社会の、いろんなかたちでの仕組みが維持できなくなり、とどのつまり、貧富の格差ゲームで優秀だと誤解していた人々さえも、みな滅ぶ可能性は相当高いのでは?


子貢問。師與商也孰賢。子曰。師也過。商也不及。曰。然則師愈與。子曰。過猶不及
子貢がたずねた。「師(子張)と商(子夏)とでは、どちらがまさっておりましようか。」 先師がこたえられた。「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」 子貢が更にたずねた。「では、師の方がまさっているのでございましょうか。」 すると、先師がこたえられた。「行き過ぎるのは行き足りないのと同じだ。」(下村湖人 『現代訳論語』)

https://ja.wiktionary.org/wiki/過ぎたるはなお及ばざるがごとし

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