「まちのもうひとつの食卓」で沿線のまちを輝かせる | 食堂/都電テーブル 東京都豊島区(2019年掲載事例記事)
都電テーブルってどんなところ?
「都電・都電・都電テーブル、向原と大塚にある産地直送でおいしい飲食店、ケータリングや貸切予約は、都電テーブルへ」。明治44年に開通してから100年以上、今も東京に走る唯一の路面電車、都電荒川線。その巣鴨新田駅から鬼子母神前駅間では、毎日こんな車内アナウンスが流れています。
「都電」と「テーブル」? そんなユニークな組み合わせの店名を持つお店が沿線に誕生したのです。目指したのは、「まちのもうひとつの食卓」。都電荒川線の向原駅の近くに向原店、大塚駅の近くに大塚店、都電雑司ヶ谷駅と鬼子母神前駅の間に雑司が谷店があり、現在3店舗展開しています。同じ店名でありながら、メニューや価格帯もバラバラ。それぞれが異なる業態で営業しているのです。
運営しているのは、豊島区と都電沿線のまちの遊休不動産・遊休資源を活用したまちづくり会社、株式会社都電家守舎。都電沿線のまちをネックレスのようにキラキラと輝かせて、エリアの価値を高める「都電ネックレス構想」を掲げています。続々と展開される彼らの店を訪ね、都電家守舎の店舗開発担当を務める福留裕香さんに話を伺いました。
都電テーブルができるまでのストーリー
STEP 01 こんな経緯から始まった
コンセプトは「まちにもうひとつの食卓を」
大学院で建築設計を学んでいた時から、大規模なアトリエ建築よりもリノベーションに興味があった福留さん。つくるまでの経緯や、その建物がどう使われ、どのようなお客さんが来ているのかに関心があり、リノベーションまちづくりを行う同社へ入社したと言います。
「都電テーブルの全体のコンセプトは『まちにもうひとつの食卓を』。毎日でも行けるような、親しみのある身近な店を目指してオープンしました。どの店舗でも、全国の生産者から直接仕入れた食材を中心に、心を込めてつくった安心で安全なおいしい食事を提供していますが、実は現在運営している3店舗はひとつの型をチェーン的に水平展開した店ではありません」
その背景には、それぞれのまちが抱えている課題を解決するための店でありたい、というミッションがありました。まちによってその課題は異なるため、各店が必ずしも同じカラーでなくてもかまわない。そんな方針のもと、業態を変えて営業しているのです。
STEP 02 店舗オープン
エリアごとの課題に合わせて業態を変える
1店舗目の向原店は、2015年8月にオープンしました。オフィスやファミリータイプのマンションが密集したエリア。ファミリー層が多く住んでいるにも関わらず、お母さんたちの働く場所がありませんでした。そこで、「子どもがいて短時間しか働けないけれど社会復帰はしたい」という女性が働き続けられるモデルをつくるため、子どものいる女性スタッフを雇用することに。「ランチタイムの忙しい時間帯に1〜2時間働いてもらえるだけでも助かります」と福留さん。
また、少子化や人口流出に歯止めがかからず「消滅可能性都市」と言われている豊島区。ファミリー層がゆったりと住めるまちが少なく、親子で気軽に行ける飲食店が無いことも課題でした。「建物のリノベーションだけではなく、働き方と暮らし方もリノベーションしよう」と、メニューはサラリーマンや親子連れをターゲットに家庭的な和食を中心に提供。日中は子育て中のお母さんたちが集まる場、夜は仕事帰りの会社員や家族の夕食の場として、地域に開かれた活気ある食堂になっています。
資金はクラウドファンディングにより約250万円を集め、外看板や棚、webサイトの作成に使用しました。それだけではなく、料理提供に使うお皿を区内に住んでいる人から100枚以上も譲り受けるなど、地域の応援もあったそう。
2店舗目の大塚店は、2016年10月にオープンしました。地域の課題は、大塚のまちが20~30代の若者にとって「行きづらい」というイメージであること。「リノベーションスクール@都電・東京」のユニットワークの対象物件として扱った7つの空き店舗群を都電家守舎が事業として引き継ぎ、市場調査も兼ねて一角をおしゃれなイタリアンバーにリノベーションしました。ワインの種類を豊富に揃え、内装も木と石をベースにした大人が寛げる空間を目指しています。
改修資金は、銀行から300万円を借り入れました。内装工事費に約300万円、キッチンのリース費に8.5万円、テーブルやイスといった備品購入費に50万円で、計約350万円。不足分は向原店の立ち上げ資金をやりくりして残った資金から充てたと言います。店舗の周辺では再開発が進み、DINKs(共働きで子どものいない夫婦)向けのマンションやインバウンド向けのホテルが建つ予定なので、将来的には新しい地元客や観光客の来店も見込んでいます(※取材当時は営業していましたが、その後、事情により大塚店は閉店しました)。
STEP 03 店舗の役割
まちに必要なサービスを提供する
そして、3店舗目となる雑司が谷店は2017年9月1日にオープンしました。「リノベーションスクール@豊島区」の対象物件となった空き店舗の案件で、元八百屋だったところです。地元の人が行き交う弦巻通りという商店街の中央かつ角地にあり、以前は「まちの寄り合い所」のようなところだったそう。
「八百屋ってシャッターを開けっ放しで営業しますよね。だからこそ、まちの人と挨拶をしたり、コミュニケーションが生まれていたはずです。そうしたこの場の歴史を引き継いだ『まちの寄り合い所にしたい』と思いました。そこで、壁やシャッターではなく、半透明のアコーディオンカーテンを使って開放的な空間をつくり、店の賑わいがまちに波及すればと考えました」
改修資金は、銀行から500万円の借り入れをしました。工事費用に約200万円、アコーディオンカーテンの購入費に約50万円。残りは数ヶ月分の運転資金としました。八百屋時代には店舗兼住居だったので、キッチンやトイレの配置などはそのまま活かして改修費用を抑えました。
雑司が谷店のメニューとなったのは、ひとり暮らしの高齢者やファミリー層が多く住む地域だということを反映した健康的な和食が中心の料理。自宅で食べる需要も多いことから、弁当や惣菜のテイクアウトも行っています。「将来的には足が悪い高齢者向けに、弁当や惣菜の配達サービスもできれば」と考えているそう。客層は、仕事帰りの会社員や親子連れ、高齢の夫婦などが中心。特に暖かい季節にはアコーディオンカーテンが開かれ、店内の活気が通りにも伝わります。
STEP 04 それぞれの課題と苦戦
各店舗の方向性で、進みながら起動修正
しかし、3店舗のまちの状態が違えば、浮き出る課題も違うもの。向原店ではプレオープン時、メニューは一品料理とお酒が中心でしたが「お酒を飲まずに食べる人が多い」ことから、グランドオープンの前に定食を始めました。その後、定食のバリエーションが増え、現在は7〜8割のお客さんが定食を注文するそうです。
現在の売り上げは、紆余曲折を経て黒字になっているそう。売り上げアップの契機となったのが、毎月1、2回開催している食にまつわるイベントでした。生産者を招くイベントや、イベントシリーズ「自分でつくる調味料の会」などを店長の鈴木さんが積極的に企画したのです。お客さんが主催するイベントにも柔軟に対応していて、「公民館のように、まちの人が能動的に使う場」も目指しています。
大塚店でも、ワインを楽しむ土壌が無いという背景から、食事がメインのお客さんが多いのだとか。そこで、ワインマニアを呼び込むのではなく、まだワインについて詳しくない一般の人たちにワインを広める仕掛けをつくろうとしています。ワインはヨーロッパでは格式高いものではなく気軽に飲まれていることを伝えるため、安くておいしいワインを常時赤白30種類ずつ以上置いています。お客さんの多くが地元の人であるため、駅前に看板を設置するなどして呼び込みを図るのです。
一方、雑司が谷店の売り上げは、オープン時には予想を超える客入りだったものの、それ以降は予想を10%ほど下回っている状況です。加えてテイクアウト客を獲得するために、店の前を通る人や近隣の人々にどうアピールするか、どのような容器で・どのようなオペレーションで提供するのがベストなのかを課題としています。
「3店舗のプロモーションは課題です。その方法については、各店の方向性に応じて決めていく予定です」
STEP 05 今後の展望
沿線のまちを輝かせる「都電ネックレス構想」
冒頭で触れたキラキラと輝くネックレスのようにまちが連なっている状態をつくる「都電ネックレス構想」について、福留さんはこう話します。
「今3店舗があるのは、どれも寂しくなった商店街と住宅地がセットになった都市の縮退エリアです。そんなエリアに地域課題解決型のお店をつくり、盛り上げていく。そして、点在する店舗をつないで、広域でまちを輝かせていこうとしているのが『都電ネックレス構想』です。今はまだポジティブなイメージがないまちからも、ポジティブな情報を発信していきたい。まちから情報を発信していく。それを考える時に、地元のお店の存在は大きい。うまく発信できれば、エリアの価値が上がりますから」
将来的には、都電荒川線の沿線にあるまちひとつずつを輝かせ、「住む」「働く」「暮らす」の光景どれもが魅力的に存在する東京のリアルなライフスタイルをつくりあげていく構想だといいます。
簡単には人が手を出さなかった空き物件を使い、飲食業態と地域課題を掛け合わせて解決していく。自分たちがつくりたい店舗を実現していく以上に、地域の課題に応じて業態を変幻自在に変えながら、各地で効果を出すのが都電家守舎の手法です。この手法や考え方は、他地域でも活用できるはず。
(Writer 小久保 よしの)