新たなマーケットを創出するカフェとワインツーリズム® | エリア再生/Four Hearts Cafe 山梨県甲府市(2017年掲載事例記事)
Four Hearts Cafeってどんなところ?
東京・新宿から電車で約1時間半と、都心にもアクセスが良い山梨県甲府市。駅前には山梨県庁、甲府市役所、甲府警察署と公共施設が建ち並び、かつては賑いを見せていた中心市街地ですが、90年代後半から郊外に大型商業施設がオープンしたのをきっかけに郊外化が進み、シャッター街に……。
しかし、そこには今、山梨県産のワインが飲める飲食店が増え、再び賑いを見せています。その源流となったのが、大木貴之さんが手掛けるカフェレストラン「Four Hearts Cafe」。さらに、大木さんと仲間たちが「ワインツーリズムやまなし®」を仕掛けたことで大きなうねりとなりました。
Four Hearts Cafeができるまでのストーリー
STEP 01 こんな経緯から始まった
誰もやらないから始めた、
シャッター街のお店
甲府駅から徒歩10分、山梨県庁と甲府市役所に挟まれた中心街に「Four Hearts Cafe」がオープンしたのは2000年。甲府に生まれ育ち、東京でマーケティング・コンサルタント会社に勤務していた大木さんは、同じく甲府出身の彼女が帰郷するタイミングでUターンし結婚。シャッター街と化した中心街、そしてどんどん県外に人口が流出している現状を目の当たりにし、ここにお店をオープンさせることを決意します。
「会社を通じて飲食のことは学んでいたし、“食は文化だ”ということも、“場が大切”ということも学んでいたんです。妻も飲食店のプランナーをしていて栄養士の資格を持っていましたし、僕らがやらなかったら誰もやらないんだろうなと思いました」
しかし、物件を探して歩いても「個人には貸さない」「飲食はやらせない」という理由で断られ、商工会議所に融資の相談に行っても邪険に扱われる厳しい現実が待っていました。そこで大木さんは「この通りのシャッターを全部開けてやる!」と奮起。実家を担保に1,500万円(国民生活金融公庫より600万円、信用金庫より900万円)の開業資金を集め、現在の場所にたどり着きました。
当時、地方のまちが使われなくなり、賑いを失う理由は“情報と経験の格差”にあると考えた大木さん。
「いろんな情報は入ってくるけど、ここでそれを経験できない。経験するには東京に出るしかない。だったら、東京より早くここに持ってくれば、お客さんにも来てもらえるかなと考えました」
お店のコンセプトを「東京をすっ飛ばし、世界のおいしいものを山梨へ」に設定し、流通から開拓してフランスやイタリアのワインを揃え、都内の専門店よりも早くニューヨークのベーグルを提供します。
オープンから3年ほどが経ち、ワイン好きや地元の高校に勤める外国人講師などが常連になったきた頃、大木さんはふと「これなら同じことを東京でやっていたほうが儲かるのでは?」と考えます。そして、この場所で続けていくためには「このまちでやる意義」と「まちの人たちが“自分のものさし”を持つこと」が重要であると気付きます。
「おいしいコーヒーを出していても、当時はスターバックスができればみんなそっちに並んでしまう。このまちの人たちはじめ地方の人たちは“自分のものさし”を持てていないと思ったんです。そこを変えないとダメだなと思いました。同時に、ここで何かを訴えていても負け犬の遠吠えになってしまう……。だから、まちの人をターゲットにするのをやめたんです。まちの外からここに来る、新しい流れをつくれないかと描きはじめました」
STEP 02 出版という作戦
山梨県産ワインの
新しいイメージ戦略
「このまちでやる意義」を探し、大木さんが目をつけたのは、これからブームになるであろうクラフトビールと山梨県産のワインでした。しかし、当時は地元で山梨県産ワインを飲む人はほとんどおらず、「甘い」「薄い」といったマイナスイメージが強く、県内でもほとんど流通していなかったのです。県内のワイナリーを訪ねた大木さんは、そこで真摯にワインづくりに向き合う生産者の姿に出会います。良いものをつくっても、きちんと見てもらえない、評価されない。その現状に共感した大木さんはお店のミッションとして「山梨県産のワインが飲める地域にする」ことを追加します。
まずは山梨県産ワインのイメージを変えるため、地元のクリエイターなどの仲間たちと印刷費を出し合い、県内産ぶどうだけを使用してワインづくりを行なっているワイナリーを取材した冊子『br』を2007年に発行。全国誌に取り上げてもらうことを目的に、女性誌やグルメ誌の編集部に送本・営業したのです。
「こういう取り組みを知って、先に動くのは都内の人たちだろうと思っていました。都内の人たちが来れば、このあたりに飲食店は僕の店しかないので、お店にも来てくれる。そして、メディアの人たちが来て記事にしてくれたら地元の人たちも『あそこイケてるんじゃない?』と錯覚を起こす。彼らが何を飲んでいるかといえば、山梨のワイン。地元の人が“自分のものさし”を持っていないことを逆手にとって、そういうイメージをつくろうと思いました」
『br』には山梨県産ワインをメディアにアピールする目的のほかに、地元のクリエイターがクリエイティブを発揮する場をつくり、「社会を動かす仕事は面白い」と実感してもらうこと、そして海外原料でワインづくりを行なっていた地元のワイナリーに向けて「地元のぶどうを使ってつくらないとダメだ」というメッセージも込められていました。
大木さんの狙いは的中し、vol.3を発行する頃には全国誌で山梨県産のワインが取り上げられるようになり、『br』は役割を終えます。
「『次号はいつ?』と聞かれることも多かったんですけど、女性誌がプロのカメラマンを使ってキレイな写真で掲載してくれるので、そこと僕らが競合する必要はないなと思い、vol.3で終了しました」
STEP 03 イベントを起こす
消費を介した
コミュニケーションを誘発
プロモーションツールである『br』の取材を通して、ワイナリーとの関係性もでき始め、「Four Hearts Cafe」で扱う県内産ワインも増えていきました。しかし、海外のワインを求めてやって来ていた常連の足は遠のき、まだまだ新しいお客さんを呼び込まなくてはいけない厳しい状況が続きます。そんな時、つくり手と飲み手の距離が近い「ビアフェス」に興味を持った大木さん。ワイナリーのみなさんの「実は、お客さんがワインを飲んでいるところを見たことがない」という声が決め手となり、お店で生産者が直接お客さんにワインを売る「ワインフェス」を開催します。
お客さん40人からスタートした「ワインフェス」も、回を追うごとにお客さんが増え、お店の外にまで人が溢れるほど盛況に。ここにも、大木さんの戦略が隠されていました。
「このお店に100人が入るとギュウギュウなんですよ。そうすると、閑散としたまちで、外から見た時にここだけ人が溢れている。山梨県産ワインのイベントだと分かると、地元の人たちにも『山梨のワインには勢いがある』と印象付けられるんです」
「ワインフェス」開催により、地元の人たちにも“新しいものさし”を示し、新規のお客さんを呼び込むことができました。そして、山梨県産ワインに新しいイメージを付けることに成功。その頃には、県外からもいろんな人が山梨を訪れるようになり、「Four Hearts Cafe」は県内外から人が集まるサロン的な役割も担っていました。そんなある日、山梨県庁から「山梨でワインを使ったイベントを行う話があるが、何か面白いやり方はないか?」と相談を受けます。自分の足で産地を訪ねていた大木さんらは「ワインをつくっている現場で、つくっている人たちの話を聞きながら飲んだ方が絶対楽しい」とワインツーリズムを提案したのです。
そして山梨県と甲州市から100万円ずつの補助金を受け、2008年に甲州市の29ワイナリーをめぐる「ワインツーリズムやまなし®」を開催。大木さんが掲げた運営のコンセプトは“至らず、尽くさず”。開催日の2〜3週間前に事前申込みをした参加者にチケットと一緒にマップやワイナリーの情報をインビテーションとして送付し、当日は参加者が自由にルートを決めてめぐれるスタイルにしたのです。
「参加者には『自分たちで地域を予習して来てくれ』っていうスタンスにしたんです。これの良いところは、例えば3人で来る場合、事前に3人で集まって資料を見て『どうまわる?』と話すと思うんです。イベントを楽しんだ後日も、買ったワインを飲みながら思い出話に花を咲かせる。つまり、2〜3ヶ月、山梨のことを考えてもらえるんです」
また、点在する各ワイナリーを結ぶ無料循環バスも手配し、参加者の移動手段も確保。当日は県内外から約1,300人の参加者が訪れ、中心街も賑わったと言います。
「やってみると、地域に人が増えて、みんなが高揚したんです。予想以上に人がまちを歩くことによって、消費を介したコミュニケーションが増え、それがまちの活力になっていきました」
STEP 04 イベントの収益化を目指す
開催3年目に表面化した問題
順調に参加者数も参加ワイナリーも増やしていた「ワインツーリズムやまなし®」にピンチが訪れたのは、3年目の2011年。2010年から補助金をあえて受けず、運営費を自分たちで賄わなければならなくなりました。さらに、これまでボランティア的に活動の仕事を優先してくれていたクリエイターたちも忙しくなり始め、徐々に活動から遠のくようになっていきました。加えて、地元の人たちからも「もっとこうしてほしい」と要望も出てくるように……。
「僕も活動に携わってくれていたクリエイターも、このイベントでほとんどお金をもらっているわけではないので、本業を後回しにして“地域のためにやれ”と言われてもできないんですよね。なので、2010年からは仲間に任せ、僕らは携わるか・携わらないかギリギリのラインで活動に関わっていました」
いざ当日を迎えると、コストを抑えるためにバスの本数が減らされ、参加者がバスに乗れない。バスが少ないので過剰に乗車させてしまう事故につながりかねない状況が多発する、といった様々な問題が現場で起きていました。「これはマズイ」と感じた大木さんは、2012年から組織の体制を変え、再び運営の中心に入ります。そもそも「ワインツーリズムやまなし®」は利益を出そうとスタートしたイベントではありません。それ故に、予算のなかに人件費が組み込まれていませんでした。運営に携わるクリエイティブチームやコアメンバーにもきちんと人件費を支払うべく、彼らに見積もりを取った大木さん。その結果、なんと700万円もの赤字が発覚したのです。
必要経費に加え、人件費を回収すべく、大木さんは参加費をそれまでの2,500円から倍の5,000円に引き上げ、参加人数を制限することを決定します。その背景には、ワイナリーから「お客さんが多すぎてきちんと対応ができない」「マナーの悪いお客さんがいて困る」といった声がありました。一方で地元の人からは「値上げをしてお客さんが来なくなったらどうするんだ」といった反対の声もあったそう。
「最初は反対の声もありましたが、結局責任を取るのは僕らなので『これでやります!』と強行しました。参加費が高くなっても来てくれる人たちは、生産者の話も熱心に聞いてくれるし、ワインもたくさん買ってくれる。結果的に、良いお客さんが増えたんです」
こうして、値上げをした2012年も約1,300人が参加し、2013年は約1,400人、エリアが広がった2014年は約1,900人と、ジワジワと参加者が増えていきました。
「ようやく2015年からはほぼ赤字を抱えることがなくなりましたが、まだ自分の人件費は出ていない状態なので、今年の目標は黒字です」
STEP 05 新しい仕組みを創りあげる
エリアの価値をつくり、
地域内循環を持続させる
「Four Hearts Cafe」の売上で大木さん自身も生計を立てて、「ワインツーリズムやまなし®」の赤字も、お店の売上から補填している現在。しかし、山梨県産ワインが注目されるようになり、気がつけばシャッター街だった近隣には山梨県産ワインが飲める飲食店が70軒近くにもなっていたのです。また、大木さんのもとに「飲食店をやりたい」と相談に来る若い世代も増えたと言います。
「みなさん敏感なので『甲府のまちに人が増えたな』と思うと、一気にシャッターが開くんですよ。ただ、甲府のように人口が少ない地方都市では、人の流れが変わると、もともと人がいたところが枯れていくんです。年間5,000人も人口が減っている問題は解決していないし、ブームもいつまで続くかわからない。今は耐え時で、1軒しかなかったお店が70軒にも増えているというのはお店の運営側から見ると大変なことなんですけど、長期的に見ると、そういうエリアを残しておくことも大切。次の世代にまちをどうやって託すか、どうやって価値をつくるかしか考えていないですけど、そのためには『ワインを楽しめるエリア』をつくっておくことがすごく大事なんです」
「『ワインツーリズムやまなし®』は壮大な社会実験」と話す大木さん。「Four Hearts Cafe」でも「ワインツーリズムやまなし®」でも、大木さんが常に意識していることは、地域に人とお金を呼び込み、循環させること。競合店になったとしても、「Four Hearts Cafe」のように地元のものを扱うお店が増えることで、地域内循環も増えるのです。そして「ワインツーリズムやまなし®」では、人口が減り続けるこのまちに、県外から人を呼び込み“消費を介したコミュニケーション”、つまり消費購買行動を誘発しています。
「『ワインツーリズムやまなし®』の今後の課題は、きちんと利益を上げていくことですね。物販に力を入れようと考えているのですが、僕らがワインを売ることに力を注ぐと、地元の酒屋さんが儲からなくなるので、イベント当時のみにするなど新しいやり方や地域にない新しいサービスを考えているところです」
誰もいない中心街でひとりシャッターを開け、東京で培ったPRやブランディングのノウハウを活かし、山梨県産ワインを軸にしたマーケットを生み出したことにより、それまでマイナスだったサイクルをプラスに変えることに成功した大木さん。重要なことは、既存のシステムとは異なる“地域にお金を循環させる仕組み”を生み出したこと。そもそもどれだけ時間や労力を費やして地域に貢献しようとも、そこでの利益が得られなければ活動そのものを続けることは難しいのです。「ワインツーリズムやまなし®」始動から9年間の紆余曲折を経た今、大木さんは収益を生み出す新たな仕組みを模索しています。
(Writer 小西 七重)