"株式投資とは、世の中を楽しく生きるための一つのツール"
4月になりました。間もなく、新しい元号も発表されるようです。来月には日本は人為的に新しい時代に入ることになります。
そんなタイミングでぜひご一読をお勧めしたいのが松下幸之助さんの1967年1月の話を編集、再録したものです。
https://info.monex.co.jp/news/pdf/2019/20190327_02/voice.pdf
50年以上前に松下幸之助さんはこうおっしゃっていました。
二十年後、三十年後の新しい日本においては、人々はみな自分の仕事から収入を得る一方で、株主となって配当を受けるというような状態がおそらく生まれてくるであろうし、また生み出さなければならないと思う。
50年以上経った今、確かに年金等を通じてほぼ全ての人たちが株式保有がもたらす恩恵を受け取っているとは思うのですが、社会全体ではそれに無自覚な状態と言っても良いのではないでしょうか。
この松下幸之助さんのお話を紹介されたのがこちらのページです。
非常に読み応えのある内容です。このコンテンツを公開されたマネックス証券、レオスの藤野さん、八尾さんには大きな拍手を送りたいと思います。本当にありがとうございます。
印象的なコメントは沢山あるのですが、その一つが「株式の肉体性」。藤野さんです。
株というものはちゃんとした資産であるという感覚を持ってもらうことが大事なんですね。
多くの人にとって、投資というのは一旦お金が空になって、証券市場というよくわからない変動する世界の中で、自分の大切なお金が変動に晒されているというのが投資のイメージだと思うんです。
手元に資産としてある感覚をどう持たせるかが金融教育の重要な柱になってくると思うんですね。手元にある固着感が大事なんです。
確かに「資産(資本)」を投げちゃうという字面が、えいや!って感覚をもたらす面はあるのかもしれません。「あとはよろしく!」みたいな。でも、投げた?預けた?「資本」と引き換えに、投資家は「株式」を受け取っているんですね。それには権利がくっついているんです。上場会社という公器の「株式」を持つことで、そこに「産業に参画し、その発展に寄与、奉仕する」という使命(松下幸之助さんは「尊い使命」だと)も伴っているんですよね。
もちろん、全ての投資家がそんな使命感を持つことなんて無理だと思います。けれど、株式投資することで、僅かであっても、「尊い使命」を担うことができる可能性のあることを、もっと多くの人に知ってもらうべきなんじゃないかと感じました。
八尾さんのコメントです。
僕は株式投資とは、世の中を楽しく生きるための一つのツールだと思っているんです。
(中略)
新しく知る、ということはいろんなことが見える、世界が見える。これって結構楽しくないですか?
その通り!と感じました。
私はここに投資信託の可能性を感じています。「新しく知る」材料、多様な見方の提供を、ファンドマネジャー、投信会社から受ける、という感じ。
「機能」は確かに重要です。他の車でネット接続できるのにできない、とか。でも、「機能」だけでは長い旅を一緒に過ごせるだろうか、と。「機能」を追う人はそれを満たすものが見つかれば、ホイホイと次のものに乗り換えることでしょう。でも、それが世の中の9割?と思ったりします。
いや、9割でもいいでしょう。1割が「機能」だけではない「何か」を求めてくれれば、日本には1,300万人がいて、世界に広げれば数億人の人たちがいるわけですから。
企業に投資をして、企業を支えて応援する、ということで、思ったとおりにその会社が世の中のためになれば、社会貢献にもなるし、自分の資産も増えるといった大事なおまけもついてきます。
なので、よりよい会社に投資をして、株主として会社の支援を行うということが、大切なことなんじゃないかと思っています。
新たな時代では、社会の「株式投資」の捉え方が変わる、それを後押しするのが「投資信託」。そんな風に変えられたら、と思います。