特になんでもない話
最近はグループワークが多くて、今日は来るべき来週のグループプレゼンに向けてミーティングがありました( #一応大学院生なのです )。我が家でミーティングをして、終わった流れでそのままご飯を食べました。せっかくなので、デンマークで手に入る材料を使って我らがジャパニーズフードを振る舞ってみました。家庭的な料理から大衆化した日本食を5品ほど。そう、意外と料理男子なんです。
話の流れでこっち(北欧)にきてから太った〜という話になったのですが、「そうだっけ?」と思って家にたまたまあった体重計で測ってみたらビックリ仰天、適性体重を上回っているではありませんか。確かに、顔が丸くなったかなぁと思っていたところですが、生まれてこの方適正体重に沿って大きくなってきたもんですから、流石にFuuuuuuuuuck!!の一声。
最近は基本的に一日2食しか食べないので太りようがないのですが、深夜にカリカリと絵を描いたりすることが増えて、どこか口に何かを入れていたくなりちょこちょこ食べてるからなのかな。とかく、早いとこ適正体重に戻します。
そんな感じで、そこそこ楽しい毎日を送っているという近況報告でした。
今日は何を書こうかなと思って色々と考えていたのですが、一年半くらい前に考えていたことを思い出したので、メモ程度にもう一度整理してみます。理想論が多いので、今のところは実現可能性は0に等しいですが、もしかしたらもしかするかもしれません。
今日の話はあまり広まりたくない( #説明が下手くそすぎるんです )ので、「特になんでもない話」という味気ないタイトルをつけました。なので、ここまで読まれたあなた、今日はイイことがあると思いますよ。
【ノル経済圏構想】
経済圏と言ってしまうと、事が大きく聞こえますが、そんな大した話ではありません。
最近の世の中の流れを見ていると、多様化の大きな潮目にきている(今に始まったことではありませんが)なと思っておりまして、その流れは間違いなく加速していくはずです。
グローバル化というもんですから、どうやらモノもサービスもヒトも行ったり来たりが容易になっている。これに関してはまぁ正しいと思っている反面、ヒトに関してはそうではないと思っています。どれだけヒトの動きが活発になったからと言って、人間関係に深みが増したかというと、そうとも言えないなと思っています。希薄化した部分は確実にある。
かつてはちゃぶ台を囲んで一家団欒のひと時を楽しむことは”普通”でしたが、今となってはそうした光景を見れるのは余程の田舎か、ちびまる子ちゃん、サザエさんくらいです。
”普通”という言葉が名目上死語になっているというのが”今”であると思っています。情報の入手の仕方も人それぞれで、かつてはテレビや新聞が覇権を握っていましたが、今ではYouTubeやその他ネットを介して手に入れることがある種”普通”になりました。
各メディアのセグメント分けも明確で、テレビは高齢者メディアへと流れている。YouTubeはまだ若者のメディアという位置付けかと思われます。
情報の良し悪しにも変化が表れていて、無色透明の情報に誰もが色を付けて再生産することが可能になった。これによって、情報そのものではなく、思想に人が集まるようにさえなっています。
情報以外の分野を見ても、性的指向においては男女の曖昧化がグローバルスタンダードへとなりつつあるし(日本はこの辺の流れにうまく乗れていない)、働き方もフレキシブルになっています。
詰まるところ、”普通”が消えて”普通”ではない状態であることが”普通”になっています。70億人いれば、70億通りの生き方があると言った具合に。
となれば、同じイデオロギーを持つ人たちがオフラインでもオンラインでもくっつくようになって、俗にいうコミュニティというのが不可視にも至る所で存在し始めました。
#オンラインサロンなど
コミュニティが巨大化したその先には村や町、国へと続いていくと思うのですが、その中でも小規模コミュニティに可能性があると一年半前の僕は思っていたようです。同じ波長を持つ人達と近い距離感で暮らせれば、それに越したことはないじゃないですか。
#隣の人に醤油借りたいやん
同じような人が集まるというのは、動物の性だと思うのですが、なぜこれまで達成できなかったかというと”見つけられなかったから”だと思います。江戸時代であれ、自分と全く同じ趣味嗜好を持つ人が日本に存在していたはずなんだけど、その人がどこにいるか知る由もなかったし、知る術がありませんでした。
ところがどっこい、IT革命以後、今はソーシャルネットワークの発達によって、ハッシュタグ(#)機能などによって、容易に人と繋がることが可能になった。そこで繋がることも可能ですが、できれば接着剤になる”人”がいた方が良い。どんなに近しい趣味嗜好を持っているとはいえ、そこにどこまで信憑性があるかは計ることができません。
人を介することによって、その信憑性が担保されて繋がりやすくなるということですね。
そんなわけで、僕もそのコミュニティづくりに参画しようと思っていた時期がありました。どうすれば人は人に集まるんだろう、とか、どうすれば人は人に惹きつけられるんだろうとか、色々と書き出したりしてみました。
実は、このブログを始めた理由はここにあって、何者でもない僕が認知を広めるにはどうすれば良いんだろうと思い、まずは知ってもらうことだということで毎日書くことを決めました。
僕が何者かになれるとしたら、”北欧”という分野しかないと思っていたので「北欧情報メディアNorr」というサイトを作ったりしました。
正直にいうと、これまであれやこれやとやってきて、思っていたほどの1000分の1しか結果が出ませんでした。思い描いていた光景を見るのにあと999年もかかるなんて絶対嫌ですよね。なので、情報を発信するのは辞めました。これまで一年半くらいやってきて情報を発信することの価値って思っているほど大きくないんだなということがわかったからです。
誰でもコピペして文字にできますし、正論は誰でも言えるようになりました。それよか、物語的なコトやモノにまつわるものであればそこにはまだ需要はあるはずで、なぜならそれをできる人は少ないからです。
ストーリーテリングやストーリーメイキングに傾倒しようと思って、鉛筆をまた握り始めたと言ったところです。
#そう 、物語を書こうとしているのです
少し脱線した上に、全く経済圏の話をしていなかったので、思い出したかのように今書きます。当初は、北欧という分野に従事する人たちが僕のメディアを介して行き来して、つながり合うことができれば最高だなと思っていました。
仮想通貨的なことも面白いと思っていて、例えば、Norrというメディアで何かアクションをしたら、1NORRという仮想通貨を獲得できて、500NORR貯まればNorrのグループ企業が運営する北欧カフェのコーヒーが一杯無料みたいな。
少しわかりにくいと思うので、空港を例に出してみます。僕はNorr空港を運営しているとしましょう。この空港を利用するユーザーが空港内施設にてものを買ったりしたら、それに応じてNorrというポイントが貯まります。そこで貯まったポイントは、その旅行者の行先の土地にある系列のカフェや雑貨屋さん、もしかしたらサウナ施設でポイント利用することができる。
#もっとわかりにくくなった気もします
なんとなく伝わっていますか?Norr(あくまでの例えの話)という歯車を起点にして、人の動きやものの動きを作ることができればスゴイことになりそうだな( #語彙力 )と思っていました。
その歯車の動きで生まれた利益を以ってして、どっかに土地を買ってウェルビーイング施設などを作れば、これもまたスゴイことになりそう。もちろん、この施設を使えるのは同じメンバーに限る。学校法人(Norr skole)なんかも立ち上げちゃって、そこでは北欧的、自由主義的、多様化推進主義的、人間的、持続可能的な教育を施したり。
少なくとも僕はサウナが好きなので、死ぬまでには山の湖畔にサウナ小屋を作りたいと思っています。
じゃあ今、教育分野で抜本的な改革を出来ないのかというと、出来るだけの潜在的な勢力はあると思っています。が、それを束ねるだけの素質を持っている人がいないだけなんだと思います。
リーダーが生まれにくい社会的環境であるということが大きいんでしょうが、各分野のパワフルな熱量とビジョンを兼ね備えた第一人者が一堂に集まれば、変えられるものをその分大きいはずです。
足りないのは、圧倒的な結果を出せる人。
その人になれるだけの体力と精神性、才能を兼ね備えているかはだいぶ疑わしいですが、是非ともその1人に名乗り出たいと思うこの頃です。
#ビッグマウスで有名な松木氏
そう、ここまでの話、僕自身書いていて何を書いているか分からなくなっているんです。言語化が難しいのか、僕の言語化力がないだけなのか、わかりませんが何やら壮大なことであることは間違い無いです。
以上です。もっと上手に言語化できるようになったら、また出直して言葉にしにきます。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
素敵な1日を。