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カールマルクスと蝉と。

こんにちは。
アパレルブランド「agnes b.」を今まで「again(アゲン)」だと思っていた松木蓮です。
#ロゴ見る限りagainって書いてるよね

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(3351文字 / 約6分半で読めます)

さて今日は、(大雑把にみて)今ってマルクスが唱えていた社会主義っぽいベクトルに向かっているかもね、というお話をしようと思います。最初はちょっと堅く思えるかもしれませんが、よければお付き合い下さい(そんなに難しい話ではないです)。

昨日、Cultural Theory(紛争理論)について書かれている論文というか本を読んでいました。僕が専攻しているソーシャルワークという分野では重要な理論でぜひ覚えておきたい理論の一つです。ここからマルクスの社会(共産)主義思想と今の相似点がちょっと見えた気がしました。


▼紛争理論とは?

紛争理論ってなんぞや?という方が大半だと思うので、ざっくりと。まず、紛争という訳し方のせいで、どこか戦争と結び付けられてしまうと思うのですが(必ずしも)そうでなくて、社会に存在する権力、地位などの格差によって争いが発生し、それが原動力となり社会がアップデートされていくということを指します(ざっくりいうと)。

この理論では、権力(power)が重要な焦点となっていて、世の中にはご存知の通り、力を持つ者、持たざる者がいます。権力以外でも、資産を持つ者、持たざる者で分かれます。これが実生活において大きな選択肢の幅を規定することも起こり得ますよね。例えば、教育なんかがわかりやすいです。大学に進学するには学費を支払うことのできるだけの経済的余力が必要です。

国立大学であっても学費は高くはないとはいえ、地方から都心へ移動するとなるとそれにかさ増しして、生活費がかかります。奨学金制度なども最近では増えてきているとはいえ、それの返済に多大な負荷がかかるというケースも相次いでいますよね。

おまけに、こうした持たざる者の声は聞こえにくく(届きにくく)、かき消されてしまう性質を持っています。逆に持つ者は保護されがちです。以前話題になっていたミスター慶應のレイプ事件。彼の祖父は有名な資産家ということですが、その財力にものを言わせもみ消したという事例です。いわゆる上級国民は逮捕されない、というやつです。


▼紛争とマルクス

この紛争理論はカール・マルクスの思想に大きく影響を受けて発展してきました。マルクスといえば、エンゲルスとともに社会主義・共産主義がくると唱えたことで有名ですよね。これに旧ソ連らが乗っかり、結果今のような状況(結局社会主義だめじゃん)になったという流れです。

マルクスの思想の中心にあるのは、労働と資本、つまるところ経済という社会基盤の元に様々な制度や文化が根付いているという考えです。労働によって僕たちの考え方諸々が規定されるということになります。

マルクスが危惧していた資本主義という在り方は、資本を持つ者が利潤のために持たざる者を搾取し、結果として疎遠化した労働になってしまうことを指摘しています。つまり、どんなに頑張って働こうが、その生産性、生産高に応じて資本家との関係性は変わらないので、ゆくゆくは軋轢を生み、紛争となって新しい社会構図へとアップデートされるのだ、という感じです。

それで、「シェア」を基調とする社会主義・共産主義思想が生まれたということになります。資本主義は資本家の「保持」が軸になっていたので、その反対の力が働くということです。

なんとなく、マルクスの思想は分かったと思うのですが、もう少し歴史を俯瞰してみていきます。鷹の目で見て、どのように紛争によって社会がアップデートされてきたのか、ということです。

すなわち、

[原始時代]            自由市民 vs 奴隷
[闇の中世]            地主 vs 農民
[近世]                     貴族 vs 平民
[マルクス時代]    資本家 vs 労働者

こんな感じです。中世については、聖職者と市民(農民)の関係性もあったかもしれませんね。活版印刷によってキリストの教えを自分で学べるようになり、「おや、あいつら(聖職者)インチキじゃね?献金ばっかさせやがって」みたいなこともありました。

とかく、都度都度、対立構造が生まれ深まり、そこから新たな社会軸が生まれているというのは歴史を見ても肯けますね。なので、彼は資本主義はやがて瓦解し別の社会システムが生まれる、それこそが社会主義なんやでと唱えたのです。
#突然の関西弁

この辺の、紛争理論、マルクスについてはもっと正確にわかりやすく説明してくれている人がいると思うので、僕はこの辺で。次が本題です!


▼風の時代とは?

マルクスが唱えた社会主義、共産主義思想は、旧ソ連を見てわかるように結果として失敗したとされていますが、果たしてどうなのかと僕は思っています。いかにして旧ソ連がマルクス思想を形にしたのかまでわからないので、深くは語れませんが、もしかすると当時は社会主義的な構造というのを受容する体制が整っていなかったんじゃないかなと思います。

時代にはタイミングというものがありますし、それを見誤ってしまうと転けてしまうことも多いです。ようやく最近(数年前?)そっちのベクトルに風向きが変わっていると思えてきます。

少し前にネットで「風の時代」という言葉を頻繁に聞くようになりました。「土(地)の時代」と対比することで、時代は「風」だよねと説明されているんですね。平成を生きてきた僕らからすると、大きなパラダイムシフトだと思います。(じわじわとだけど)一気に構造が変わりそうです。

(対比の素材を探したけど、本家がわからないのでとあるブログに掲載されている画像を使わせていただきます。)

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この表の対比が全てなのですが、最近はどうも「風」のように「シェア」や「循環」「ヨコ 」という考え方が広まりつつあるような気がしています。これは良い流れですね。おそらく問題点も多いかと思いますが、見るからに「解放」という結果が生まれそうなので僕は結構好きです。これって社会主義っぽい思想じゃないですね?一致しないまでのベクトルは似通っている気がします。


▼身近な「風の時代」

「土」から「風」へ。これってセミの話ですか?7年間土の中で幼虫をやって、ようやく目が覚めて外へ出て飛び回り、叫びまわり。なんだかとっても楽しそうですね。1週間という寿命は一旦無視しましょう。

セミの例はもちろん例えですが、風の時代の「風」は皆さんも微かに感じているんじゃないですか?「シェアリングエコノミー」という言葉があるように宿だったら「airbnb」だし、移動なら「Uber」とか。その他にも探せば「シェア」のサービスっていくらでもあると思います。

生産過剰でモノを持ちすぎてしまった現代人は共有という名の断捨離が必要で、意図せずもみんなで社会を回そうねと言った社会構図へとじわじわ移行していっているんじゃないかって思うんですね。

明らかに日本の未来は明るくないです(明らかに明るくないって変ですね笑)。明らかに人口は減り、一方で高齢者の割合はあと40年くらいは上がり続ける。そんな未来の日本を生き抜くには間違いなく「風」のように生きることが必要じゃないかって考えさせられます。

資本主義という在り方もSNS、ネットの普及によって変容しています。いわゆる、信用経済、キャラ経済みたいな。「お金」を持っている人が圧倒的に強い経済圏である資本主義経済が絶対的なものではなくなって、お金を持ってなくても信用さえあればクラウドファンディングで資金調達はできるでしょうし、成功で溢れた陳腐な現代社会に風穴を開けてくれるようなキャラが確立していればそれを面白がる視聴者との関係性はYouTubeで見れたりします。

今を生きる人にとっては時代の経年変化は見えにくいと思いますが、長い目で見ると大きな変革期にあると思うんですね。

気づけば、みんな土から這い上がり、太陽の光を浴びるようになる。やがて、空を飛び回り(御近所さんに迷惑にならない程度に)叫びながら生涯を全うするようになるのかも。きっとその頃には地面を見ると抜け殻ばっかり転がっていることでしょう。


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まつきれん
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