北の海賊ヴァイキング〜vol.4 『交易とそのルート』〜
こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。
今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。2019年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。
今回は、前回に引き続いて、参考文献の第2章「Economic Life」より、ヴァイキングの交易ルートについてみていきます。
↑ヴァイキング船博物館(オスロ)にて
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▼何を売り、何を買ったのか?
交易に関する史料はあまり残っておらず、特にローカル間でのやりとりはほとんどわかっていないそう。それでも、毛皮はスカンジナヴィアの遥か遠くでも交易品とされており、ヴァイキング期の主要輸出品目であったようです。
数少ない文献の中でもOhthere(オフゼア)という人の証言が記録されている書物が重要な鍵な手がかりとなっています。彼は、ノルウェー北部に住んでいた農家出身の交易商人でした。彼の証言に基づくと、ヴァイキング時代はこのような暮らしをしていたようです(ノルウェー北部の暮らしという点に注目してみてください)。
”土地が貧しかったため、トナカイやセイウチの狩猟や捕鯨、サーミ人からの貢ぎ物を生活の足しにしていました。こうしたモノを売るために、遥か南にあるKaupangやHedebyといった交易都市へ赴いていました。”
これはスカンジナヴィアでも特に気候が厳しい北部地域の事例ですが、こうして農業をやりつつも商人を兼業としていた人がいたということですね。それで彼らは船を漕いで、前章でも出てきたヴァイキング時代の中心都市Kaupang(ノルウェー南端部)やHedeby(現ドイツのシュレスヴィヒ南部)まで足を延ばしていました。
交易の柱にあった毛皮の他、奴隷貿易も重要な役割を果たしていました。輸出用途として、ロシアにて多くの人々を捕虜として捕らえ、東西ヨーロッパに交易の対価として連れて行っていたようです。逆に、ヴァイキングらが西欧に略奪に行った際に、囚人を捕らえスカンジナヴィアまで持ち帰り売っていた、ということもあったよう。
毛皮や奴隷の輸出に加えて、「セイウチの象牙、魚、蜂蜜、木材、琥珀、鯨の骨、略奪品や交易で得た海外の産物」も輸出していました。
一方で、どんなモノを輸入していたのでしょうか?主な輸入品目として、「塩、香辛料、ワイン、ウールの衣類、絹、陶器、ガラス、半貴石(=宝石)、武器、銀貨などがあります。中でもその交易先にはこんな場所がありました。
西欧:陶器、ガラス、ウールの衣類
ビザンチウム:絹
アラブ:銀貨
コインも多く(特にアラブからが多かった)輸入されていて、大半は溶かしてジュエリーにしたり、そのまま売買の際に使われたりもしていました。
▼ヴァイキング時代の交易ルート
再三にはなりますが、ヴァイキング期の出来事について史料が限られていて、全てがわかっていることではありません。これは、歴史というメタな観点から見ても同じですよね。
彼らが実際に通った交易ルートについても詳しくはわかっておらず、帰納的に「きっとこうだっただろう」と推察できます。
●東側ルート:
Hedebyに行き来した航路が文献からわかっているようです。
その航路は、HedebyーTruso(現在のポーランド北中部:グダニスク)までで、その中継地点として、Langeland(ランゲラン島)、Lolland(ロラン島)、Falster(ファルスター島)、Scania(スコーネ)、そしてBornholm(ボーンホルム島)へ。それからスウェーデン領へ入り、Blekinge(ブレーキンゲ)、Möre(モーレ)、Öland(エーランド島)、Gotland(ゴットランド島)などにも範囲が及んでいたそうです。下の図解でぜひご確認下さい。
(著者作成)
●西側ルート:
Hedebyはスカンジナヴィア内外に置いて中継地として非常に重要だったよう。ノルウェー北部から南下して、Kaupangを経由してHedebyに辿り着いていたようで、スウェーデンのBrikaからもHedebyに向かって船が漕がれていたようです。
スカンジナヴィア国外からは、ライン地方(ドイツ)やドレスタッド(オランダ)のような裕福な地域から交易商人が主に陸路でやってきました。一方、スカンジナヴィアの商人は海路を好んだようです。Hedebyを拠点として、イギリスへ定期的に行き、アイルランドに到着してはそこからアイスランドへ、それからノルウェーから直接グリーンランドにまでも到達していたようです。
(著者作成)
●ロシア方面ルート:
先ほどの東側ルートのもっと東側、ロシア方面とその南へ進んだ航路もありました。現在のロシア南西部にあたるVolgaやBulgarという地域にまで辿り着いていたようで、これはアラブ人と接触することになります。そのまま南下を続け、カスピ海、そして最終的にはバグダッド辿り着いたようです。バグダッドはシルクロードの要所であったので、ここで絹や銀、香辛料などを手に入れたそう。
他にもロシアを経由して南下したルートはあり、ヴォルホフ川(Volkhov)沿いに、ノヴゴロド(Novgorod)へ、グネスドヴォ(Gnezdovo)へと進み、それからドニエプル川に沿ってKievを越え、黒海にまで辿り着きました。終着地点はビザンチウムで、絹、フルーツ、ワイン、ジュエリーなどを獲得しました。
(著者作成)
地図には載せませんでしたが、これまでの東西南に加えて実は北へ移動した商人たちもいたようです(下の写真を参考にしてみて下さい↓)。ノルウェー北部より極北(北極圏)を移動し、ロシア北部までのルートです。かなり寒いことは容易に想像できますが、なぜ彼らは温暖な南へ進まなかったのか、不思議ですね。セイウチやトナカイを産物として求めていたのでしょうか、、?
▼この章のまとめ
今回は、ヴァイキングたちの交易のルートを中心にご紹介しました。スカンジナヴィア内での交易も、ロシアを跨いだ交易ルートも、聞き慣れない都市名が多かったと思います。それはそれとして、ひとまず、大航海時代よりも遥か前である8〜11世紀を生きたヴァイキング達がどこまで辿り着いていたのかを地図でなんとなく視覚的に理解していただけたら嬉しいです。
今回の参考文献では、地中海のどの町に足を踏み入れていたのか、はたまた東へ行ってフィンランド南部の沿岸地やエストニアについては深く触れられていなかったので、割愛しました。
それでも、ポイントはヴァイキング達の強靭な体力と飽くない冒険心(時々残虐な略奪・虐殺)。そしてそこから生まれる行動力、それを可能にする航海技術、造船技術などにも注意してみていきたいところです。ちなみに、現在も海運業で世界最大手はマースク(MAERSK)というデンマーク企業だったりします。
さて、参考文献の第2章「Economic Life」について予定より大幅に内容を詰め込んで(3回に渡って)ご紹介してきました。次は、第3章「Intellectual Life」です。彼らが操った言語や、医学などの学問について迫ります。
ヴァイキングとの旅はまだまだ続きます。
それでは!
Vi ses!!
参考文献:
Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.
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