「何」ではなく「誰」を売る
少し前から各所で言われていることの復唱になります。それでもやっぱり時々そうだよねという確認作業は必要だと思っていて、今日はそんなことを書いてみます。結構踏み込んだ話かなと思います。
▼情報の価値低下の背景
コロナによって時代の在り方が大きく変わった(あるいは、すでに水面下で変わっていたものが表面化した、と言った方が良いのかも)と思うのですが、そもそもの根本的な要因は「ネット」の存在です。
オフラインで色んな情報を仕入れられ、見知らぬ人と出会えるようになったという事実は、紛れもなく人類を前に進めて、これにより昨日の常識が今日の非常識になったということは珍しくないと思います。なので、こんな時代に毎度毎度ハンコを使って意思決定をしていると、ネットで秒速で情報交換している人に到底勝てるはずがありません。競歩でF1に挑んでいるようなもんです。
#機械を使おうぜ
ビジネスや広告(、その他諸々)の在り方も大きく変わり、それはマネタイズの在り方も変わりました( #無料で読める本があるくらいなんだから )。「情報」というものの価値が高かったネット以前は、情報伝達のスピードがあまりにも遅く、シンプルに「情報」を持っている人が強い時代でした。情報量の力勝負(例えば日本の受験なんかはその典型)が各所で繰り広げられていたというわけです。
が、ネットによって誰もがメディア化すると、情報の伝達が爆速化し、「情報」の価値は著しく落ちました。「情報」でマネタイズが難しくなっているということですね。
先ほどのレフレイズですが、情報がコモディティ化していなかった数十年前は正論を言える人が強かったです。が、誰もが情報にアクセスできたことにより誰でも正論を言えるようになり、間も無く世の中は正論で溢れました。
#口が悪いですが馬鹿でも正論が言えちゃうのが今です
#言うは易し
#秋元も康
需要と供給によって経済は成り立っているわけでありますので、正論を言う人の母数が増えると、正論を言える人の価値は低下します。くれぐれも正論の価値が下がったというわけではないです。それを拡散するスピーカーの数が増えたので、「それ、何回も聞いたよ」とリスナーが辟易するということです。
となると、次に来るのは「正論」から「異論」「誤論」への価値の移行です。どんなに正しいことであっても、みんな口を揃えて同じことを言ってしまっては差別化になりません。そんな中、みんなと違うことを言っている人がいると「おやおや、、」となります。これは「異論」です。
それから、「誤論」も今後間違いなく重宝されます。「異論」と似て非なる言葉で、僕は「正解かどうかまだわからないこと」を「誤論」だと定義します。
#本来の意味とずれている可能性あり
言い換えれば、未来の正解・不正解となります。これは、これまで誰も検証してこなかったことなので、現段階では正論ではありません。その点で、”今は”間違いである(=誤り)と言えると思います。
これが正解であると証明できたとき、人は”イノベーション”と言い換えます。
このイノベーションには「誰」がよく伴います。「電話の発明はベル」だし、「人類初の月面着陸はアームストロング船長」です。
ここまでをまとめると、
「ネット以前は情報を持つ者・持たざる者の線が明確」
↓
「情報に価値があった」
↓
「情報を収益源にすることができた」
↓
「ネットの出現で誰もが情報にアクセス」
↓
「誰でも正しいことを言えるようになる」
↓
「情報の価値が下がる」
↓
「正論よりも異論・誤論に目がいく」
この「異論」「誤論」は新しいことに挑戦している人を好む習性があります。こういう背景があって、「Think different(Apple)」とか、「Just do it(NIKE)」などとかく行動しろと言われています。行動しないと新しいものは降ってこないので。
#やりたいことが見つからないの答えはいつも 「とかく行動しろ」
#動かないやつは出来ない理由で自分を正当化する
#答えがわかっていることをやっても面白くないだろ
#それは挑戦ではなく 「答え合わせ」と呼ぶ
こんな感じで流れていそうです。ただし、全員が全員挑戦できるわけでもないし、誰もが特別な視点を持てるかというとそうではありません。じゃあそういう人は落ちぶれるのかというとそうではないはずです。
(↑2019年7月僕が運営する北欧情報メディアNorrにてイベントを打った時の様子)
▼もはや売り物は「自分」しかいない
ここで、「何」から「誰」の話になります。
例えば、カフェを営むオーナーを例にとります。先述の通り、今は情報社会で誰もがアクセスできる。つまり、コーヒーのド素人でもコーヒーの煎り方や挽き方はYouTubeやGoogleなどですぐに「情報」が手に入ります。
最近、不味いレストランが無くなったのもこのためだと思います。みんなググれば答え(美味しいレシピ)をゲットできるので。商品の「味」で地雷を踏むことは無くなったというなんとも素晴らしい時代であるということですね。
#評価がずば抜けているレストランは例外
となると、「より美味しい料理を提供しよう」では集客装置として上手く機能しなくなります、みんな美味しい料理のレシピ(情報)は持っているので。それにすぐコピーされる。
「何(どんな)」ではお金にならないということですね(差別化にならなくなった)。
そこで「誰」の出番です。
同じものを提供しているカフェであっても、同じ人が提供しているわけではありません。差別化できるとしたらもはやここしか余白はなくて、目指すは「〇〇さんの淹れるコーヒーが飲みたい!」と言わせること。「コーヒー飲めないけど、〇〇さんを応援したい!」になれば最強。
味(何)ではなくサービス提供者(誰)でお客さんはお店を選ぶということです(選ぶようになる)。変数の多い「人」を売った方が長期的に見ても長生きするということですね。
現にこれはすでに始まっていて、例えばクラウドファンディングなんかを見ていると上手くいっているプロジェクトとそうでないプロジェクトは必ず存在します。似通ったプロジェクト内容であってもです。
お金を出す側は、もはや内容(何)なんて読んでなくて、そのプロジェクトを誰がやっているのかで決めています。少なくともこれまで僕がお金を出したクラファンのプロジェクトはその内容というよりはその人に払いました。
愛される「誰か」にならなきゃいけないということですね。
じゃあ愛されるためにはどうすれば良いのかということを次に考える必要があります。この1番の基盤にあるのは「信用」なのですが、今日は少し長くなってしまったので、この辺で終わりにしたいと思います。
#自分を (アニメ)キャラ化するということも言われ始めている
この辺は続編として、僕がやっている「北欧情報メディアNorr」や「北欧留学大使」、それから僕が描いている絵本の動向に注目してもらえると嬉しいです。
p.s.今はデンマークにおりますが、帰国したらまたNorrでイベントやりたいですー!
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