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「見たままに描け」と言う絵描きのアドバイスを論理的に説明してみた。

こんにちは。
デンマークではロックダウンが段階的に緩和されていて、最近美容院も再開しました。土曜日にカットの予約をしたのですが、72時間以内のPCR検査の陰性結果を提示する必要があるので昨日行ってきました。が、検査記録をみると10:43となっていて、予約時間は土曜の朝10:45なので間に合っていないことに気付きました。検査から「72時間2分」が経過している場合は有効なのか、とても不安になっている松木蓮です。
#今日もう一度受けに行こうかしら
#デンマークのPCRは無料です

(3667文字 / 約7分で読めます)

さて、今日は「感動させられる絵」について書いていこうと思います。あえて「感動させられる」と書いてみたのですが、つまるところ「上手に描くには」です。


▼絵ってどうやって描くんだっけ?

僕はまともに絵の勉強をしたことがなく、昨年8月頃から100%独学で練習してきました。一瞬YouTubeの説明動画で勉強しようと思ったのですが、その人の描き方をトレースするような形で上達するのもちょっと違うのかなぁと思ってしまった頑固な僕はとりあえず模写をひたすら繰り返す、ということをしています。

結構前に美大卒の友達に自分で描いた絵を見せたところ、「もっと骨格を意識した方が良いかも」とアドバイスいただき、速攻IKEAで骨格の人形を買ったりしたこともありました(ほとんど使ったことないですが)。

こんな調子で今も修論の合間を縫っては、夜な夜な鉛筆を走らせたりするわけですが、僕の中で特に重要なのかも、と思っているのは

「点と線」

「光と影」

です。

僕は何をやるにも、必ず因数分解を意識するようにしています(実際は無意識なのですが)。例えば、論文を20000ワード書くというと、先の見えない骨の折れる作業に思えるかもしれませんが、実際にどんな要素で成り立っているのかを分解してみると、そこまでだなぁと思ったりします。

一見すると難しく見えることでも、いざ手に取って要素、要素で切り分けて考えると意外とイケる!みたいなのって多いですよね。

昨年9月から始めたギターなんかもそうで、もちろんまだ上手ではないんですが、結局ギターってコードを知っているか否かがやっぱり大きいと思うんですね。これに関しては指先が場所を覚えるまでの鍛錬だな、と腑に落ちてからはひたすらポロポロと指を動かし、バレーコードもそんなに難しくなかったやん!となったりしている最近です。

こんな感じで因数分解は口癖にすらなっていたりします。難しい漢字も、結局これとこれの組み合わせじゃんと理解できればすぐに覚えられる、あんな感覚です。

という感じで絵を分解すると、まず「点と線」に切り分けられるなと思います。複雑に見える絵も点と線が幾重にも重なり合っているだけなので、そう考えると肩の荷が少し軽くなります。特に、線で境界線を表現するというのはむしろ面白いなとさえ思います。

それから、「光と影」です。写真もたまに撮ったりするのでその感覚でいうと、僕たちは光があるからものを視覚で認知できるというのがあります。

どこにどれだけ光が当たっているか、その強弱によって人の顔の凸凹を表現したり、髪の毛の艶を演出できたりします。

光と影を意識すると少しはそれっぽく描けるのかなぁと僕は思ったりします。


▼見えたままに描け、というアドバイスの意味

以上が、僕のこれまでの学びなのですが、ここからはプロの領域の話になります。絵描きとして活躍されている人(シンプルに絵が上手い人)の話を聞くと、「上達のポイントは見えたままに描く」と言われることが多いです。

これを聞いたときは「どういうこと?」とハテナだらけだったのですが、最近ようやく無茶苦茶に理解できました。理屈(論理的に)で理解したという方が正しいかもしれません。

絵を描くときに、何をモデルにするかでまず分かれると思うのですが、大きく分けて「データ化されたもの」と「データ化されていない生のもの」に分けられると思います。

簡単にいうと、ピンタレストや写真、誰かの作品を参考にする場合と、そうではなくてリアルな世界での生の状態を参考にする場合の話です。

ここから学術的な話になるので、上手く説明できるか不安です。僕たちの目に写るものって一様ではなく、2種類の像に分けられるそうなんです。

「網膜像」と「知覚像」です。

光を通して目に入ってきた情報は目の網膜に写ります。これを網膜像といいます。そして、これが脳で処理されたものを知覚像といいます。僕たちがリアル社会で認識しているものは知覚像なんですね。

こういう経験ってないですか?

山登りなんかをして壮大な景色に感動して写真を撮ったけど、あとで見返してみるとそこまでじゃない?となんだかガッカリする。

この場合、写真に写っているものは網膜像で、写真レベルではその時その場で体感した感動するような景色(=知覚像)までなかなか表現できないんですね。

ちなみに、この写真はノルウェーのプレーケストーレンという崖で、去年行ったときに撮ったものなのですが、はちゃめちゃに絶景なんですね。この一枚からでもなんとなく壮大さが伝わるかもしれませんが、こんなもんじゃなかったです。

ここで、網膜像と知覚像についてまとめると、写真や誰かの作品を真似て描くときは網膜像に基づいて描くことになって、リアルの中のものを再構築して描くときは知覚像に基づいて描くことになります。

いうまでもなく、知覚像で描いた方が臨場感があって、どこか惹きつけられる感覚になると想像できるはずです。

ということで、見えたままに描け、というアドバイスの意味って網膜像と知覚像で説明できました。

これは必ずしも網膜像がダメと言っているのではなくて、過去の名作を真似ること(ヨーロッパの美術館ではよく作品の前でスケッチしてる人を見かける)は「プロはどんな風に点と線、光と影を表現しているのか」という分析ツール(理論)として使うべきで、それを頭に入れた上で、外の世界を自分なら表現するのか(実践)という手段をとると良いのかなと思いました。


▼プロはみんな知覚像で描いている?

さて、じゃあこれを実践しているプロって誰なの?という話になると思うのですが、2人ほど僕は知っています。1人目は、日本アニメーションの巨匠宮崎駿さんです。名前を知らない日本人っていないんじゃないかなと思います。

ジブリ映画製作にて、この知覚像をベースにする、ということを口酸っぱく言っているようです。正確には「資料を見て描くな」だそうです(実際に資料を見て描く人には怒るそうです)。

実際に自分が外で見たもの、感じたものを再構築して点と線に描き起こせ、ということなんだと思います。ジブリ映画がなぜあんなにも重層的で感動できるタッチなのか、その理由の一つとして知覚像というのがあるようです(他にも運動視差、オプティカルフローと言ったテクニックも駆使しているようですよ)。

ちなみに宮崎監督は、ビジュアル(絵コンテ)でストーリーを作るということで有名です。それから、旅行先で写真を撮らずに、何時間もじーっと見つめては脳内に染み込ませるそうです。記憶力が桁違いなんだと思います。

それから、もう1人は元ピクサーの堤大介さんです。トイストーリー3やモンスターズユニバーシティなどのアートディレクターをされていた方で、光の作り方に僕はめちゃくちゃ感動しました。堤さんの絵の描き方、光の表現の仕方、めちゃくちゃ好きなんです。ちなみに、堤さんの義叔父は宮崎駿さんです。

現在は「トンコハウス」というアニメーションスタジオをやられています。ピクサー時代に同僚ロバート・コンドウさん(トンコハウスの共同創業者)と作った「ダム・キーパー」という短編アニメーション映画はアカデミー賞にノミネートされたほどです。

(↑)18分ほどの内容で、セリフはほとんどないのでお時間ある方はぜひ見てみてください。僕は久々に昨日の夜中に見て感動しました。

そんな堤さんですが、彼の特集動画なんかをみると、よく外でスケッチをしている様子が写るんです。よくよく考えると、これまで作られてきた彼が関わっている作品を見ていると、とても資料に基づいた光の使い方ではないなと素人でもわかります。


▼デンマークにも春がやってきた

さて、そんなわけで僕も外に出てスケッチをしたいなぁと思っているところです。前々から外でのスケッチはやろうと思っていたのですが、デンマークって風が冷たくて、とても鉛筆を円滑に動かせる気候じゃないんですよね。

最近は日照時間も長くなってきて、いい感じに温かくなってきたのでそろそろ外に出ようと思います。

先日、小さいスケッチブックも買ったので!
ということで、今日は「感動させる絵の描き方」について書いてみました!

赤ちゃんってムチムチ感が重要ですよね。


ps. 短編アニメーションでは「Father and Daughter」というも大好きです。父と娘の感動できる9分間の物語(言葉なし)です。



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まつきれん
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