北の海賊ヴァイキング〜vol.6 『学問と教育』〜
こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。
今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。2019年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。
今回は、参考文献の第3章「Intellectual Life」より、ヴァイキング時代の学問と教育についてみていきます。
↑ヴァイキング船博物館(オスロ)にて
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学問や教育と言っても、そんなに硬いお話ではありません。今でさえ科学が盛んになりましたが、これはルネサンス期の数々の発見と発明の功績が大きいですよね。ヴァイキング時代は大雑把に8〜11世紀を指しますが、世界は中世の真っ只中。中世といえば、宗教と深く紐付いています。それもそのはず、自然界の現象を科学的に説明できなかったので、何かにつけて宗教や神に繋げて生活をしていました。そんなわけでキリスト教圏では教会が確固たる権威を持っていました。
さて、ヴァイキング期はどうだったのか?結論から言ってしまえば、そんなに盛んでなかった、で片付いてしまうのですが、前提としてそうした記述が残っていないことがあります。少しだけ掻い摘みながらわかる範囲でヴァイキング達の学問と教育を見ていきましょう。
▼文学
「北の海賊ヴァイキング〜vol.5 『言語と文字』〜」にて詳しく書きましたが、当時はルーン文字と呼ばれる文字を採用していました。この文字文化を使って、当時の人々が何を書き残したのかというのがここでのトピックです。
あまり盛んではなかったようですが、文学は確かにあり「詩」というジャンルで残されているお話があります。キリスト教化に至るまでは、口頭伝承にて言い伝えられていました。残されたほとんどの詩はアイスランドで確認されていて、2種類に分類できます。エッダ(Eddic poetry)とスカルド詩(Skaldic poetry)です。
■エッダ
「詩のエッダ」「スノリのエッダ」として知られることの多いエッダですが、この詩に書かれているのは、「古代の神話」「英雄伝説」が主です。北欧神話として知られる宇宙樹ユグドラシルの世界観、巨人と神々の戦いとそれらを隔てる壁(→進撃の巨人に影響与える)などは、このエッダを紐解いて説明されています。
「Eddic」というは「edda」に由来していて、これは「詩」を意味します。1220年代にアイスランド人の政治家や歴史家などによって書かれました。エッダなくして、神話を語れないほどに重要な史料です。
■スカルド詩
スカルド詩に書かれているのは、ヴァイキング期当時の様子や輝かしい戦いの勝利などです。エッダが半ば空想や伝承に基づいて書かれているのに対し、スカルド詩はどちらかというと(一番古くて9世紀にまで遡る)史実に沿って書かれている点が違いますね。
また、詩の文体という点では、エッダは比較的読み取りやすい表現技法を使って書かれていますが、スカルド詩は婉曲した言い回しを使ったりと解読が困難だと言われています。「eddic」と同様、「skaldic」も「詩」を意味する単語です。
▼地理
続いて、地理について。ヴァイキング達は地図さえ残していないにしろ地球の形をした地図らしきものは残しているそうです。これによると、ヴァイキングの中では、地球を受け皿のように丸みを帯びたものだと認知していたことになります。
ヴァイキング時代終焉時には、彼らの中で北半球にはアジア、アフリカ、ヨーロッパがあると考えられていました。南半球は入植はしているものの特定されていない土地と考えられていました。ヨーロッパの範囲として、アフリカとの境を地中海、アジアとの境をドン川(ロシア南西部)と定義していました。
地理自体は基本的に航海を通して知識を得ていました。ヨーロッパとアフリカの境を地中海としていたことからも、ヴァイキングはアフリカという存在どころか、地中海にまで航海していたということがわかります。
さらには、北アメリカ大陸に関しては、グリーンランドの南として理解していたなど、彼らの行動範囲の広さには驚かされますね。
後世にみるヴァイキングの冒険心:
西暦1000年前後の彼らの血は確と後世に受け継がれています。世界一大きい島として知られるグリーンランド(デンマーク領)を初めて横断したことで知られるのは、ノルウェーの探検家ナンセン。彼は北極探検(フロム号)にも精を出しました。ちなみに彼は国際政治家としても活躍し、「ナンセン難民賞」にその名を残しています。それから、南極探検で大きな功績を残したのもノルウェーの探検家アムンゼン。1911年に人類初の南極大陸到達を果たしました。
▼天文学
12世紀(ヴァイキング期終了後)までは天文学に対する関心はさほどなかったようです。これは12世紀にアイスランド北部にて月と太陽の観測を行ったという記録に基づいています。
しかし、どれだけ天文学への知見がなかったとはいえ、彼らは当時からすると卓越した航海士であったことは確かです。空の観測によって進路を見出していたと推察する方が妥当です。観測方法こそほとんどわかりませんが、北極星の動きに合わせて位置関係を理解したり、正午の太陽の位置と真夜中の月の位置から方角を決めていたなどが考えられる方法です。
『ヴァイキング 〜海の覇者たち〜』
NetflixやAmazon Prime(国地域によって配信母体が異なる)などで配信されているヴァイキングに関するシリーズドラマ。架空の話と織り交ぜながら彼らのリアルな生活を描いた物語。中でも印象的なのが、793年に初めてイギリスのリンデスファーン修道院に漂着する際の出来事。スカンジナヴィアを発ち、西へ向かう際にその進路を空に導きました。光と影の向き(写真下1枚目)や太陽の石(写真下2枚目)を利用することで正しい方向を見つけたのです。
©️ヴァイキング 〜海の覇者たち〜
▼カレンダーと時間
先述の通り、彼らは月と太陽の位置関係から西へ航路を見出したと推測できます。同時に月と太陽の動きから時間の概念を捉えていたとされています。ヴァイキング期の1年は夏と冬の2つに大きく分けていました。
夏は「time of light」や「生産の時期」として、今でいう4月中旬から10月中旬を指しました。一方、冬は「time of darkness」や「消費の時期」として、10月中旬から4月中旬を指していたようです。これは今の北欧の季節感とさほど変わらなさそうですね。が、年始は冬の始まりとしていたため、今でいう10月中旬に新年を迎えていたとか。
アイスランドのみキリスト教以前のカレンダーについての記述があります。これによると、930年にアイスランドが一つの共和制に基づいた(ある種)国家として基盤ができました。この時に『アルシング(Althing)』という議会が生まれました。
このアルシングは当時シンクヴェトリルという丘で開かれていたのですが、毎年アイスランドに散らばった人を召集する必要があったんですね。当時アイスランドでは時間を正確に捉えることができていなかったため、議会開催の一年前に日付を決めていました。当時一年を52週と定め、これは364日になります。今の僕達ならわかるようにこれを採用し続けると数年後に大きなズレが生じます。そのため、7年ごとに追加で1週間が補填されていたんです。今でいう閏年と同じ考え方ですね。
世界最古の議会『アルシング』
このアルシングは今にも続く議会で、世界最古の近代議会とされています。アイスランドは入植者によって開拓された国ですが、各定住地域で「シング」という小さな議会がありました。それが全島議会となったのが「アルシング」です。先述の通り、このアルシングが開催されていた場所はシンクヴェトリルという丘ですが、ここは『シンクヴェトリル国立公園』(↓)という名称で世界文化遺産に登録されています。
写真拝借:unsplash by ©️Henrik Eikefjord
▼医学
ヴァイキング期の人々の健康状態などを推測するのは極めて困難ではあるのですが、医学と宗教の境界線を引くのは極めて難しいとされています。ある種同一視していたということが考えられます。それほどに北欧神話にみる神々への信仰心が強かったことと、医学そのものが発達していなかったことが伺えます。
■どんな病気が流行っていた?
特定するのは難しいものの、衛生面や栄養失調に起因する病気があったことが考えられています。例えば、壊血病(ビタミンC不足)は冬期に多く発症していたとされるし、骨格精査によって変形性関節症は成人に多く見られたことがわかっています。
歯が1〜2本抜けていることは珍しくなく、一方で虫歯はほとんど見られなかったようです。これは食生活に白糖を含んでいなかったからです。
疫病については、結核(tuberculosis)、発疹チフス(typhus)、回帰熱(relapsing fever)、ハンセン病(leprosy)、赤痢(dysentery)などが考えられます。事実、ハンセン病は949年にアイルランドのダブリン(ヴァイキングの重要交易拠点)にて広く発症し、赤痢はイギリスのケントにて確認されているようです。
が、こうした疫病(特にスカンジナヴィア地域)は大幅な人口減には繋がらなかったとか。過密ではない町建設と村集落の在り方が結果的に感染が広がりにくくなったと推測できます。
■どんな療法で治癒していた?
医学が発達していなかった当時の療法として、こうした方法を取られていました。ハーブ療法(一般的)、食事、スチームバス、浄化、放血(静脈切開、瀉血)などです。急性の病気などについては外科手術のような手段を取っていたとも。
加えて、北欧神話の神々への信仰心が強かった時代は、宗教的なアプローチも取られていました。おまじないや、宗教に精通する専門家への相談、宗教的儀式などです。ルーン文字も魔力を持つ治癒力のある手段とされていました。が、キリスト教化以後も、神への嘆願を一つの手段として取られていたようです。
■医療機関の存在は?
ヴァイキング時代が終わるまでは、基本的に医師・開業医という存在は認められていませんでした。また、キリスト教が浸透したことで、教会施設にて医療サービスのような手当てを受けることでできるようになりました。当時もまだまだ未発達であったとはいえ、中央ヨーロッパや南部ヨーロッパからの医学の知識が入ってきて、それらは教会内で共有されるものでした。
▼教育
今でさえ北欧の教育システムは世界的に脚光を浴びるある種憧憬の的となっていますが、1000年前のヴァイキング時代はどうだったのか?
キリスト教化以前にまで遡る教育に関する史料はほとんど残っておらずわからないというのが現状です。それでも、推察できることとして、ホームスクーリング(home schooling)によって様々な分野に渡って教育をしていたなどがあります(11世紀のアイスランドでは実際に行われていたそう)。ただし、これは現代の教育という形とは大きく形が違い、生活のために必要な知識(農業、戦術、詩など)を実践的に教えるという躾に近いような形で教えられていたのではないかと思います。
キリスト教へ改宗したあとは、教育分野にも大きな影響を与えました。言うまでもなく教会の存在が大きく、教育機関として重要な役割を担っていたわけです。
この教会を含め、当時大きく3つの教育機関がありました。まずは、大聖堂型の学校(Cathedral schools)、修道院型の学校(Monastic schools)それから町の学校(town schools)です。
大聖堂型の学校については、”デンマークのルンド”の大聖堂が挙げられています。これに関する記述が(おそらく)1085年に確認されていて、1123年には間違いなく記されていたそうです。参考文献には大聖堂の名称まで言及されていませんでしたが、他に該当する大聖堂がルンドにないことと設立年などから、ルンド大聖堂の可能性が高いかなと個人的に思います(↓)。ルンド大聖堂は北欧でも最も重要な大聖堂の一つであり、事実2016年にローマ法王を訪れています。
古都ルンドはスウェーデン領:
先ほど”デンマークのルンド”と記述しましたが、これは半分正しくて半分間違っています。現在のスウェーデンの南部にあたる地域(スコーネなど)は元々デンマーク領でした。1658年のロスキレ条約によってスコーネ地方などがスウェーデンに割譲されました。つまり、ヴァイキング時代の教育の話だとデンマーク領のルンドとして扱っても間違っていないと言うことになります。ちなみに、世界的にも有名なルンド大学は1666年に設立されているため、スウェーデンに起源に持つ学術機関です(↓)。
教会施設にて教えられていたことは今でいうリベラルアーツで、人として修学が必要とされた自由七科を指します。具体的には、
- 文法学、修辞学、論理学(trivium)
- 算術、幾何学、天文学、音楽(quadrivium)
がありました。もちろん、これらの科目は時期や場所によって差異はあったと思われます。
どんな教育方法を採用していたのかまではわかっていないのですが、朗読や暗唱を軸とした教育であっただろうとされています。又、生徒が不誠実な行動が発覚した際の、いわゆる体罰(鞭打ちなど)は許容されていたようです。
2〜3年に渡る教育プログラムで、司祭になるであろう生徒には学校の監督の下、追加で2年間のコースがあったよう。司祭の育成が1番の目的であったことは変わりないですが、他にも政治や公的サービスに就く人を育成する役割もありました。
どれくらいの人が学校に通えたのかまではわかっていないにしろ、これまでの流れからわかるのは一部の富裕層で、生計を立てるのに子供が働かなくても良い家庭の子が通っていたということです。女性の教育参加はなかったと考えるのが一般的です。
▼この章のまとめ
今回は学問についてまとめました。学問といっても1000年も昔の話で、見たったつであったことはもちろんのこと、史実として明らかなものが少ない。それでもこの章で抑えておきたいことは、
- 詩文学によって彼らの世界観、生活様式が明るみになっている📜
- 地理と天文学から考えられるヴァイキングの航海技術🗺
- 医学から考える宗教の重要性💊
です。その他、余談(コラム)として書いた、ルンド大聖堂の話や最古の議会アルシングなどについても頭の片隅に入れておくと良いかと思います。
この章で本書の第3章「Intellectual Life」が終わりました。お疲れ様でした。次回は、彼らの住居や服装などについてご紹介します。盛り沢山です。
それでは!またね。
Hejdå!!
参考文献:
Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.
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