北の海賊ヴァイキング〜vol.15 『旅の終わりに』〜
こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。
さて、ヴァイキングに関する連載ブログもようやく終わりも迎えました。前回の14章をもって参考文献の重要な部分は抽出し終わりました。
今回はエピローグとして、このヴァイキング連載ブログを通して何が見えてきたのかについて書いて終わりにしようと思います。
▼ヴァイキングとは何者だったのか?
0章にてヴァイキングの簡単な説明(定義)としました。そこでは、
ヴァイキングとは、スウェーデン、ノルウェー、デンマークにいた人々で、活動期間は800〜1100年頃。周辺地域だけでなく、大西洋を囲う色んな地に赴き、略奪や交易を生業としていた。
と説明しました。
この定義は今こうして振り返ってみても変わりません。この二文でヴァイキングの重要なところは説明できているように思います。
今エンターテイメントとして取り扱われるヴァイキングは、どうも「略奪」に重きが置かれて描かれています。それはエンタメとしての旨味だから致し方無いことなのですが、歴史という文脈で語る際にはあまりにも軽率な見方だと感じます。
略奪するほど凶暴だったのかは当時を生きた人にしかわからないことで、交易を中心に時々略奪もしたというサブ的な位置付けとして捉えておいた方が良いと思います。
「ヴァイキング=略奪」というイメージがすでに刷り込まれてしまっているのでこれも修正がなかなか難しいのですが、歴史的に見ると「略奪」や「殺戮」に該当するような行為をしていた民族はごまんといます。
古代ローマ帝国も大航海時代のスペイン、ポルトガル、奴隷貿易で莫大な利益をあげていた国々。同じような位置付けをできる行為は何も珍しいことではないんですね。
それよりもヴァイキングについて注目すべき点は、なぜ彼らは国を出て勢力拡大する必要があったのか?であったり、どのように航海技術を培っていったのか?といった部分なはずです。8世紀末にスカンジナヴィアを生きた人々が西(イギリス)を目指した理由については議論の分かれるところで、ある人は「人口過剰」と説明します。
こうした議論は学者でも意見の分かれるところなので、はっきりとした答えがありません。
とかく、この連載ブログを通してヴァイキングのネガティブなイメージが少しでも払拭する事ができたらなと思います。
▼ヴァイキングと北欧社会
さて、14章に渡る膨大な量でお届けしてきたわけですが、総括として現代の北欧社会と紐付けて結びとします。
■ヒット・アンド・アウェイの生き残り戦略
今回の連載ブログではあまり取り上げることはなかったのですが、ヴァイキング達がなぜこんなにも強かったのか?についてあちこちで言われていることに「ヒット・アンド・アウェイ」があります。「攻めては、すぐ撤退する」ということです。
勝敗に関わらず、良きタイミングで軍を下げることは一つの戦略として意識していたであろうということですね。それこそ、ヴァイキングの幕開けとしてのリンデスファーン修道院なんかは良い例です。中世期においてキリスト教の権威は絶対的であったため、宝石や高価な金品は修道院や教会に集められていました。それを知っていたヴァイキングらはそこを襲撃したということですね。おまけに司教らは戦闘力としてはヴァイキングにはとても張り合えない。
ヴァイキングの襲撃を知り、援護が駆けつけた頃には時すでに遅し。彼らは取るべきものを取り、早々に撤退していた。これがヒット・アンド・アウェイです。抜群の機動力を生かして、木々の隙間からも細い川の間からも突如現れては一気に仕留める、無理なら撤退。これが彼らの戦略であったと言います。
そしてこうしたマインドは現代社会においてどこまで受け継がれているのを考えてみます。わかりやすいと思ったのがフィンランドのノキアです(→フィンランドはヴァイキングには入らないのですが、同じ北欧としてスピリットを共有しているということで)。
携帯電話で有名なノキアですが、元々は製紙業から始まっています。操業は19世紀末という老舗企業なわけですが、その後姿形を変え、携帯電話にて巨人として君臨することになります(この辺は記憶に新しい方も多いかと思います)。
しかし、Appleに見るスマートフォンの大波にまんまと飲み込まれ、今ではかつての栄光として、あまり聞かなくなりました。現在は5Gといった次世代通信技術の参入して、再び注目されているということです。
ここからわかるように、ヴァイキングらのようなヒット・アンド・アウェイの考えはどことなく滲み出ているように感じます。
北欧は企業には厳しく、国民には優しいという事があります。不況などで経営困難に陥った企業であっても政府は手を差し伸べないことが多いです。それよりも、職を失った時のセーフティーネットを敷いておくことで、次の一手を撃ちやすくするという考え方があります。
事実、昨年からのパンデミックにより多くの人が求職者となりましたが、この波を受けて学び直しをする人も増えました。これまでの道に一旦踏ん切りをつけ(撤退)、また新たな道を模索する。こうして国は再び回復するんだなと感じました。
■男女平等意識は当時からあったのか?
毎年発表されるジェンダーギャップ指数では北欧諸国が上位の常連国として知られているかと思います。中でもアイスランドは不動の一位としての呼び声も高く、女性政治家の数はトップクラスで多いです。とかく平等意識が強いことはある程度知られていることだと思うのですが、その経緯まで理解している人はそう多くはいないと思います。
その答えの一つにヴァイキング時代の名残があると思っています。1章で取り上げたように、1000年以上前から女性の相続権が認められていました。相続の他にも離婚を切り出す事が珍しくなく、当時のグローバルスタンダードからすると、極めて稀有な存在であったことは確かです。
こうした価値観、思想は現代社会にも垣間見れ、結婚観一つとっても事実婚の多さ(サンボ sambo)や高い離婚率がそれを物語っています。そして、そうした女性の自立を促すシステムが当時からあったことも確認しました。
では、なぜ北欧でこんなにも平等意識が強いのかについては疑問の残るところではありますが、一つに環境要因が強んじゃないかと思います。厳しい環境下での生活を強いられていたわけですから、それほどに労働力の確保が喫緊の課題だったと推察できるかと思います。
今となっては、ポジティブに捉えられるような女性就業率の高さ、などは当時からすると環境要因というある種、負の力学によって生まれたのかなとも思えます(この辺はあくまでも推論です)。
▼さいごに。
ヴァイキングの歴史を通して学ぶことは沢山ありました。今回初めて知ったことも多かったのですが、そうした知識をつなぎ合わせることでまた新たな発想や思考に繋がるものなのだなと改めて実感しました。
北欧はまだまだマイナーな地域ですが、こうした歴史の観点から「線」で物事を見る意識をすると、より北欧社会を解像度高く見れるのではないかと思います。
情報量が思っていたよりもかなり多く長くなってしまいましたが、今回の連載ブログから何かしら生かせるものがあれば幸いです。
ありがとうございました。
松木 蓮
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