安定しているオトナを不安定な挑戦の世界に引きずり込んだ男・川尻蓮
みなさん、こんにちは。
Lotus…です。
JO1 とそのメンバーの川尻蓮くんの
オタクをやっているかなりのオトナです。
今回とある雑誌の公募企画に
自分の文章を送りました。
「どうしても文章を書きたい」
という思いが強くなった時に、
ふと私のところに舞い込んできたこの企画。
「やっていいんだよ」というお知らせと感じ、
勇気を出して挑戦しました。
仕事の合間をぬって書くことは
パワーを要しましたが、
不思議と疲れることもなく没頭しました。
紙の上に活字となって自分の文章が
流れている嬉しさを
本になって改めて感じました。
やらなくても良かったんです。
使命感を感じられ、なおかつ安定した職業に就き、
挑戦しなくても生きていける状況にあるんです。
もう人生の真っ昼間を終え、
黄昏を迎えようという年代なんです。
その私が“なぜ挑戦する気持ちになったのか”
という経緯を書きました。
書いた結果、いみじくも川尻蓮一色になり
これをファン同士で共有することは
「私たち、すごい人を推してるね」と
絆を強くすることにもなるし、
また彼を知らない人が読んでくださったら
興味をもつきっかけになるかもしれない。
どんな形であれ、応援になるかも…と思い、
みなさんに読んでいただくことにしました。
前置きが長くなりました。
ハードルが高くなるばかりですので
そろそろ始めますね^_^
拙い文章お許しください。
それでは、いざ!
【オタ、燃ゆ】
『推し、燃ゆ』が芥川賞を受賞した。私はまだこの小説をよんでいない。ここで名前を挙げるなら読んでおくのは最低の礼儀だとは思っているが、「推し」というオタクにとって気になるワードが表紙を飾っていても、仕事も子育てもオタク活動もある私には本を読むキャパシティーが残っていない。忙しい…。『推し、燃ゆ』は諦めた。
私はとあるアイドルグループを推しているオタクだ。“推している”とは“応援している”に置き換えられる。私は今までオタクと呼ばれる界隈の人々をキツネが餌を吐き出すような苦々しい顔をして眺めてきた。仕事では生意気な後輩も私と組めばゴロニャンとなるような切れ味の鋭さも持っている。まさか産めたかもしれないほどの若い男に傾倒しているなど誰が信じる?そもそも自分が信じられない。誰だ、私の堅実な人生ゲームにギャンブルのようなオタクコースを追加したのは?気づけば意気揚々とサイコロをぶん投げてはスキップで進んでいるではないか。「CD発売!複数枚購入し胸に抱いて眠る。一つ進む」「番組出演時はつぶやいてトレンド入り。二つ進む」などオタクコース以外ではあり得ない内容が続いている。「上司の覚えめでたくボーナスアップ!」と書いた堅実コースは彼方にかすんで見えない。あんなに求めてやっとたどり着いた道なのに…。思えば遠くに来たもんだの世界である。
ここで私をこんなふうにした推しについて触れたい。彼は類いまれなるダンスの才能をもち、「ダンスをし続けられる人生をください」と神様に祈り、許しを得たような子だ。神様との約束に見合う努力をしてデビューした。お情け御免と母子家庭の四兄弟で育ったこともデビューするまで伏せ、実力で勝負してきた。彼はその宿命を恨むどころか感謝し、自分で人生を作ってきたのだ。今までの痛みを伴う過程も、これからの挑戦し続ける道のりも、丸ごと支えたくなったのが、彼を推す理由だ。相手が芸能人である以上、推すとは貢ぐということにほかならない。ホストに入れ込むのと同じかもしれないが、直接会えない分、圧倒的に条件は悪い。しかし神がかったパフォーマンスが見られるなら文句はない。
推しはそこにいてくれたらいいのだから。
さて、話を戻そう。そうやって私のギャンブルオタクコースは充実していったのだが、その中で少し立ち止まって考えたことがある。
私は推しの何に惹かれているのかというと、「楽しくて仕方のないものをもっている」、そして「それを磨くための哲学をもち、努力し続けている」この二つだ。推しのこの精神に触れるたびに感動し、さらに沼にハマっていく。それではずいぶん長く大人として生きてきた私は、推しと同じものをもって生きているのか?今の生業の中にもその要素があるから続けてこられたと思う。ただ生業には生活維持という目的が色濃く出るので「楽しくて仕方がない」という部分はかなり息を潜める。昭和生まれ、気合い育ちの私にとって仕事は楽しくて仕方のないものという概念がない。私の“楽しくて仕方のないもの”ってなんだろう?今まで何が楽しくて生きてきたんだろうと禅問答を繰り返ししていたとき、それは突然現れた。現れたというよりもいたのだ。お仕事の中ではなく“推し事”の中に…。「書くこと」だった。
毎日SNSに推しへの思いをつぶやいてきた。制限のある文字数の中での効果的な言葉とは?表現とは?と推敲することが楽しかった。子どもの頃から声よりも文字に思いを込める熱量の方が圧倒的に高かったし、誤解されずに私の思いが伝わった。仕事で書く“文書”には自分の思いを込められない。SNSでの発信は、何者でもない綿菓子みたいな真っ白な私が、何かの為につけている仮面をはずしてもよく
て、とても心地良かった。もっとも私らしくないと思っていたオタ活の中に、もっとも私らしくいられるツールが隠れていたなんて皮肉だ。人生はサイコロを振ってみなければ本当にわからない。
私はこれから自分なりに書くことと向き合っていこうと思う。今まで通りSNSでつぶやくだけかもしれないし、新たな挑戦をするのかもしれない。楽しくて仕方のないことを損も得もない世界で、ただ書くのだ。そうすれば物質的なものが至高とされる空気が薄いようなこの世界の中で私は息をしていられる。推しのように「書き続けられる人生をください」と神様に祈り、楽しくて仕方のないことを続け、人生をより輝かせられるのかもしれない。これ以上の幸せはない。
推しよ、あなたが夢見たことで倒れ始めたドミノは、私のところまでやってきた。そして私の中で消えていたロウソクに火を灯した。私の物語は『推し、燃ゆ』ではなく『オタ、燃ゆ』だ。仮面をはずし吸えるようになった酸素を燃やして、私の人生をの物語を作っていこう。推しよ、ありがとう。
ーおわりー
縦書きの文章を書き起こしたので、
読みにくいところもあったと思いますし、
素人の稚拙さはご勘弁くださいね。
純喜が「自分の作ったものを紹介するのはハダカを見られているように恥ずかしい」と
表現していましたが、同じ気分です(笑)
彼らはただ愛嬌を振り撒き
ファンの支持を求めるだけの存在ではなく
こうやって誰かの人生の登場人物になり
励まし、慰めていることを
誇りに思ってほしいし
そうしながら彼らの人生も輝かせてほしい。
その為にオタクは存在しているのだと
思っています。
読んでいただいてありがとうございました。
以上、Go to the top ! JAMでした!
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