JO1「未完成」〜マジメに分析編〜
今回、映画を観るにあたって
武者震いするほど
緊張していました。
それは普段のYouTubeの動画公開とは違い、
観客一人ひとりが
一定の時間を拘束され
料金が発生する
“映画”という大きなエンターテイメントの船に
うちの子達が乗っかっている重圧を
なぜか、田舎の、オバさんの、私が
感じてしまい、
少々怖かったからです。
大方はJAMが観るんだけど、
“JAMでない人”も観るかもしれない映画が
どんな構成になっているのか…。
デロデロのベロベロのJAMの私だけど、
今回はできるだけ理性的に観ようと決めました。
自分の感情を被せた目で
「あの子達ならなんでもいい」
という捉えはやめようと思いました。
それほどに、映画の公開は
大きな分岐点だと思っています。
私がまず知りたかったのは
この映画が
「固定ファンであるJAMを
ターゲットにしたもの」なのか
「一般大衆にJO1を知ってもらう
媒体として制作されたもの」なのかです。
誰に向けてなのかによって
評価も変わってきます。
見た結果としては
私の実感は後者寄りの部分が
大きいかなと感じました。
今回の映画の内容は
JAMならおおよそ
知っているであろう“経過”と
「やっぱりそうだったんだね」
と思うような
彼らの“心のひだ”を
改めて映像化して見せてもらった感じでした。
仕事が保育関係なので思いますが
「仲良くする」って難しいのです。
相手に思いが言えたり、
信用したりって
簡単にはできません。
時間と、その時間の中で
何を共に経験するかによって
関係性は変わってきます。
彼らがすぐチームになれなかったのは
アイドルだからというわけでなく、
人間関係においては
当然のことです。
知っていることプラス
もう一歩踏み込んだ
彼らの苦悩や葛藤の姿をありのまま見られると
期待していたとしたら
物足りなさを感じるJAMがいても
不思議ではないと思います。
しかし一般大衆は
彼らのキャラクターやバックグラウンドを
全て理解していません。
葛藤している時の発言や態度で
悪い印象をもたれる
可能性も十分あるので、
100分ほどの映画の中でそれを見せて
なおかつリカバーできるかというと
それは非常にリスキーだなと思いました。
だからあのくらいの描写で
良かったのではないかと思います。
何より私はセンシティブな場面を見せて
煽って興味を引いたり
同情をかったりしなくても、
事実を伝えるだけで
十分感動を与えられると思っています。
マイナス面もまた
ドキュメンタリーだとは思いますが
あまり作り込まずに感じ方を
こちらに委ねてもらえるのは
ありがたかったです。
一般向けとはいうものの
淡々と進むことや
省略していることで
一般の人にとっては
JO1の今までの軌跡や経過に
わかりにくさもあるなぁとは
思いました。
しかし、JO1が夢に向かって
真摯に努力を重ね、
棚ボタ的なアイドルとして
ちやほさされている存在ではないと
感じてもらえる内容だったと思います。
そして、うまくいかない現実に
心を痛めている一般社会の人と
同じ苦しみをもち
共に寄り添ってくれるような
身近な存在だとも…。
では、JO1の今までについて
わかりにくいなぁというところを
わかりやすく伝えたり
映画に入りきれなかったJO1の良さを
知らせられる存在は…??
そう!JAMです!
今回、ツイートを読んでいると
JAMさんが非JAMさんを連れて
映画を一緒に鑑賞し、
たくさんのフルーツさんや
フレッシュJAMを爆誕させています。
きっと映画の前後に
自然と相当なプレゼンをしているはずで
(したくなっちゃうのがJAM)
まさにラポネの営業か広報か、
いや、JAMは国プだった!
プロデューサーとしてこの映画を通して
まだまだJO1を育てているようなものだと
思いました。
ファンの心を
しっかりつかめるような供給をし
ファンがファンを作っていくのに
映画がひと役かって、
新たなファンを獲得していく…。
マーケティングとしては成功なのでは
ないでしょうか。
あと、ツイッターの中で
ざわついていた
若いJAMさんばかりがフューチャー
されていた件ですが…
これもある程度仕方がないかと
思っています。
ただし“短期的な戦略として”という
条件つきでです。
やはり若いお嬢さんが
チョイスするものは
興味を引くものが多い。
流行を作っている部分もあります。
一般の人に
「こんなかわいい人達が好きなんだから
JO1もまたステキなんだろうな」と
思ってもらいたいのでしょう。
“イメージ”がほしいのだと思います。
運営さんも、決してJAMが
若いお嬢さんばかりではないというのは
把握しているとは思います。
実際若いお嬢さん以外JAMがいなかったら
大変なことになることも。
なので「若い女性に人気の」という枕詞は
いつかははずした方が
戦略として必要になる時期が
来るのだと思います。
「ELLE」でSDGsに
関わる啓発をしているなかで
特定の性別・年代に偏ったフレーズは
やはりふさわしくないと思いますし、
一歩先ゆく存在であるなら
そういったことにも敏感さがほしいですね。
何より、こんなにJO1を
大切に思っているのに
いないような存在にされているのを
みんな寂しく思いますよね。
どんな人も「僕も私もJO1が好き」と
堂々と言える土台を
いつか作ってもらいたいなと
思いました。
さらに、崔社長のインタビューや
ライブ後の彼らへのメッセージが
収録されていたのは正解だと思いました。
かなり韓国と濃密に
作品作りをしている様子が
収められていました。
日本では吉本の看板が大きくて
CJのことを忘れそうになりますが
韓国プロデュースの要素は強い。
そうなると
少なからず存在する
“韓国アレルギー”の方には
マイナスポイントになることもあります。
ところが、ここで
サジャンニム(社長)の涙ですよ…
「JO1はずっと踊りっぱなし。
立ってるだけでこんなに足が痛いのに
どれだけJO1は辛いだろうか」と
涙を流すサジャンニムの考え方の根っこは
まさに“親”と同じ。
我が子の痛みを
自分の痛みとして感じられるのは
会社の雇う側と
雇われる側の関係性とは
全く別のところにあるもの。
会社のトップが
親のような無償の愛で
彼らを育てようとしていることを
感じたならば
観衆の見る目も変わってきます。
韓国云々ではなく
親が子を思う心は万国共通。
あの温かさがJO1を支えてること、
あの関係性を表に出したことは、
加点ポイントかと思いました。
だからこそあのライブ終わりのメッセージには
しっかり字幕をつけてほしかったです。
サジャンニムは泣いていらっしゃったので
一部聞き取りにくい一節がありました。
あの言葉は、見ている人の心に
確実にズドンと届けて
もらいたかったな…と残念に思いました。
そして私は
「process サジャンニム」を見たいと
思いました。
一大プロジェクトの中止の話も然り、
JO1のあれやこれやを
めっちゃ知ってるのは
サジャンニムだなと…(それはそう)
そして最後にこれは分析でもなんでもなく、
ある意味“運”のようなものですが、
稲垣監督に撮ってもらえたことは
幸運でした。
監督としての技術的なものは
私にはわからないけど、
距離感のバランスの良さ、
スカイの復帰を
映画の着地にもっていく愛情、
さらっとフラットなようで
12羽の鳥を見て「JO1とJAMだ」と
思ってしまう乙女心(笑)
バツグンに「いい人」でした。
結局仕事には人柄が出ます。
素晴らしい方に撮ってもらえたと思います。
全くの私見で分析してみましたが
ドキュメンタリーという手法は
JO1には正解だと思うし、
この映画が跳び箱の踏み台のような
役割を果たして
次のステージにひょいっと
飛び上がれるツールになっていくと
思います。
何よりも、動画でもなく、
配信でもない、
映画という長年社会に根付いている
伝統ある娯楽文化の歴史の一部に
JO1の名前が残ったことに
すごく価値を感じています。
いつか振り返った時に
「“未完成”から変わったよね」と
JAMみんなで言える時に
JO1の“未完成”が終わり
完成するのだと思います。
そんな日が来ることを祈る…のではなく
必ず来るそんな未来を当たり前のように
待っていたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?