ペルソナ3を遊んでライブに行ってきた感想
ペルソナ3を遊び、ペルソナのライブに行ってきました。
ペルソナ3リロード
ペルソナシリーズの音楽ライブに誘われたのでやってみた。4と5はプレイ済みだが3は全くの未プレイ。エンディングだけ昔ニコニコ動画で見た。
遊び始めの印象としてはオリジナル版が2006年発売ということもあり、リメイクされてもなお「古いな~」というものだった。ペルソナ4と5が本編中のエピソードを小分けにして幾重にも話の緩急を付けていたのに対し、3は基本的に一つの物語を地道になぞっていくだけ。それに合わせてダンジョン的なものは1種類しかなく、ランダム生成のフロアを延々と進んでいくパートがメインコンテンツという豪胆な構成だ。
これが良いか悪いかではなく、時代性の話でしかないと思う。コンテンツ離脱率だのSNS映えだの言われる昨今で3の作劇は許されないが、逆に言えばそのような些事を取り繕う必要のなかったペルソナシリーズの本質とも言える。バトルの単調さにしても、当時はまだザコ敵との戦闘はJRPGのトロの部分だったはずで、今の感覚で議論しても仕方ない気がする。
何とも言えないなと思ったのはモラル的なところで、例えば4や5では教師と生徒の恋愛はセンシティブあるいは厄介として繰り広げられていたが、3においてはかなり野放図だ。教師との付き合いを目論む熟女好きの友人・友近のコミュは何かしょうもない勘違いオチが待っているのだろうと思いきや、至極まともに悪い恋愛物語だったので不思議な感覚だった。女教師から男子学生への好意はご褒美扱いだった時代、というのはひねくれすぎか。
逆に時間を経たからこそ明確に良いと言える部分もある。本作のテーマは「メメント・モリ」、作中のセリフを借りれば「生きるとは終わりと向き合うこと」というもの。これはシナリオ部分だけでなくゲームプレイにも表れていて、ゲームを進めるたびにカレンダーの日付が進み、時は戻れないことやゲーム終了がいつか待ち受けることをを否応なく示される。だからこそ日々の選択や出来事に意味を感じられる。
今だからこそだと思う。昨今幅を効かせるApexやフォートナイトといったライブサービスゲーム、あるいはソーシャルゲームが目指すのは「終わりがないこと」であり、ユーザーですら自分がお金や時間を投入したゲームが終わらないように行動する向きもある。
そういった時代にあって本作は終わりを前提とした作品で、クリアすれば何十時間もかけて築き上げたキャラのレベルも、プレイヤースキルさえも無意味になってしまう。それらをコスパが悪いとして一蹴するのは正しい。しかしそこには失うからこその感動があると思うし、未練や執着も無く次に進める思い切りの良さもある。ゲームの終わりと向き合うことに意志を試される今、冒険的な作風なのかもしれない。
ライブ
そんなわけでペルソナシリーズの音楽ライブ「PERSONA LIVE TOUR2024」に行ってきました。演奏される楽曲はペルソナ3と5から選出しており、ペルソナ4の曲をやらないのは作曲家が逮捕されたアイドルアニメの作曲家が逮捕されてない版では?と思ったりもしたが、3をクリアした後となっては最後に「キミの記憶」をやってくれたら全部OK、という心境になっていた。
感想としては、とても良かった。チケットは安くないのに生演奏がギターだけとか、めちゃくちゃ難しい英語の歌詞で「はいみんな一緒に!」的なこと言われていやいや、みたいなことはあったが、トータルの満足度としては間違いなく良いものだった。
アゲアゲな曲が来たら当然アゲアゲになるよう持ってきてくれるし、幕間のMCのいじりも上手いし、透過ビジョンを使ったゲームイメージを再現した演出もカッコいい。その映像に明智吾郎が出てきたときにものすごい歓声が上がっていて、明智にそんな人気になる要素ある!?と思ってしまったが、まあみんな喜んでいたのでいいことだと思う。P5Rやってたら違うのかな。
特に良かったのがダンサーさん達で、ゲームキャラに扮した格好で踊ってくれるのだがこれがダンスの動きはもちろんキャラの理解度が非常に高い。主人公のスカした感じとか順平のおふざけとか、それぞれのキャラの戦闘モーションとかを取り入れてくれていた。
ペルソナシリーズがいくらオシャレとはいえ、この世を陰と陽に分けたら間違いなく陰のオタクコンテンツのはず。出演者一同はおそらくは陽の陽の人たちで、このライブが彼らのやりたい表現と必ずしも一致するものではないでしょう。それでも真剣に、ましてや二日昼夜開催で24時間中に3公演もやるハードな仕事をやってくれるのは本当に立派だと思いました。いやこれは自分がこういうイベントに疎いだけで2周3週遅れの感想なのかもだけど。
ちなみに他の人の感想を探ろうと「ペルソナ」の単語でXやnoteを検索してわかったことは「ゲームタイトル以外の意味で『ペルソナ』という言葉を使う人、ほぼうさんくさい」でした。