京都・〇の中にある■
今書いているのは10年以上前の旅の話。
大分で始まった3人旅がなんだか心地よくてその後も1年に2~3回の割合で小さな旅を繰り返すことになった私たち。ただのおしゃべりがオセロのように固定概念をひっくり返していって意識がどんどん拡大されていくのを感じてた。それをみんなでおもしろがって遊んでた。
あの貴重な時間を再考したくなって古い資料を整理している。
大分の旅が終わるとすぐに次の旅の話が始まった。
今度は私の地元京都。
3人ともスピが好き。好きというか日常にスピが溶け込んでいる。
もはや区別できない領域。ということで鞍馬山をピック。
ここはサナトクマラが宇宙船で降りたった場所。
3人で歩くとどんな発想が浮かぶんだろう?さて。
初日は吉田山のカフェ茂庵を目指してひと登り。
2日目は貴船からひたすら山を登り鞍馬寺へ。
ちょっと登り過ぎたと後で反省。どうも私は歩くのが速いらしい。何度も待て待てと二人に止められた。これ、旅のメモには「ペースを落とせ」というメッセージとして残ってる。目標に気を取られ過ぎて瞬間の感覚を味わうことを忘れてしまう。今これを書いていて10年経っても変わってないやん!と苦笑いしてる。
速いと呼吸が浅くなる。呼吸は大事だよ。横隔膜の動きを感じながら深呼吸をすると体幹の軸を伝って気が巡るのがわかる。
息をして瞬間の感覚を味わうとアンテナが立って直感が冴えてくる。
大分の名残りで〇を見つけて盛り上がる中で新たに「〇の中の四角」が話題になっていった。
これ確か泊まったゲストハウスの行灯の模様だったかなぁ・・この時のメモには「四角」ではなく「かご」と捉えて話がはずんだっけ。
「かご」は籠。囲い込む・枠。→「加護」というテーマに行き着いた。
〇っていうOKの感覚を受け取っていくと「守られている」っていう大丈夫感の中にいられるね、みたいな話だったと思う。
そして再考してる私はこんなこと思う。
〇ってOKだよっていう肯定の意味もあればひとつの括りをつくってグループ化する意味もある。グループ化は枠でもある。
それからOKには許可の意味もあるからこれもやっぱり何かの範囲のなかでの肯定・限られた肯定っていうふうにも言える。
〇ってAll OKという全肯定のMax拡大した感覚と囲まれた(加護された)感覚の両方を含んでいるんだ。
そしてね、■を今の私は「四角」と捉えた。
シカクは…今なら「視覚」とか「死角」がぴったりくる。
どちらも視ることに関わるイメージ。
『〇は開かれた扉。その中の見えていない部分を視る』
再考って螺旋階段を上がって同じテーマに取り組む感覚。
もし次の再考をするならば丸は「球」で四角は「立方体」としての3Dメッセージを見つけるだろうなぁ…ん?これ予告?
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