高知の件に関して思うこと。

壁にぶち当たったと思う時はだいたいいつも人が絡んでいて、その壁にぶち当たるほど成長できたと思う反面、世の中を諦めてうまくかわす狡猾な大人になっている自分も感じている。

シェアハウスの経営をはじめたときに物件を貸してくれたのが50代の方で最初はお前は面白いからウチに鍋を食べに来なさいとかご飯に行こうと頻繁に誘ってくれて、その時はなんて良い大家さんなんだろうとその人のことを尊敬していた。

その大家さんがある日突然変貌して、きっかけは民泊だった。民泊新法もまだ出来上がってない時期でエアビーにお部屋を出せば出すほどジャブジャブで儲かっていた時代。

大家さんが、民泊やりたいから出て行ってくれと言い出して、契約期間はまだ残っているのでまだ待ってくださいと伝えた。
そこから今まで何も言ってこなかった大家さんが豹変して物件に防犯カメラを付け出したり、夜中にトイレを閉めただけで怒鳴り込んできたり、雪かきを強要してきたり、とにかく酷かった。(もちろん僕の主観なので大家さんもずっと不満に思っていたこととか僕が悪かったこともあったと思うのは前提)

その時に、ただ友達とシェアハウスをしたいだけなのに欲に眩んだ大人に振り回されなきゃいけないんだ。と幻滅して真っ向から戦ったんだけど大人の喧嘩に負けた21歳は次の引っ越し先を探しました。

もう自分で家を買おう。と思ってその翌年にあり金ぜんぶ突っ込んで一軒家を買った。

今思えば、あの時あのクソ大家に出会わなければリスク取って不動産を買うという選択肢もしてなかったと思うと、理不尽な大家と出会うことも自分が成長するために必要だったことなんじゃないかと思った。

戦うことがすべてではなくて、もっとうまくかわすやり方も考えないとなって思えたことも含めて、嫌な大人のとの出会いにも「意味があるねん」てアンミカみたく思った。

今はもう自分も大人?年齢的には大人?だけど、絶賛、年上のえらい人たちとの関係には苦労していて、、

正論だけど、思いやりがないことを言ってくる人

精一杯今の自分にできるすべてを使って立ち上げた物に対して、俺はこんなところに来ないと言ってくる人

おじいちゃんになって何もしてない人は本当に良くないと思ったから僕は一生仕事し続けたいなあと改めて思った。とにかく暇にならないようにしたい。暇だとロクなことにならない。

まあ、もう昔みたいに真っ向から戦っても時間の無駄なので(戦わなければいけないケースもあるけど)今はうまくかわせる大人になるために無い知恵振り絞って頼れる大人をたくさん探して落とし所を最初に作って戦っている。

高知の件に関しては、めちゃくちゃ共感出来て、noteでも出してくれたら投げ銭しまくりたい!!と思う反面、あそこまで大きく取り上げられてしまったら地元の人からの協力は今後難しくなってくるだろうからカフェの運営を続けていくのが大変だろうなあとも思う。
こうやって思ってしまうことが、嫌な大人に一歩近づいてるのかもしれなくてすごい嫌なんだよなあって思ってすごい葛藤がある。

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れん / リバ邸
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