ホロスコ星物語202
「そうだね、、それじゃあーー、でも、今回はこのまま行ってみようか」
小恵理は、ベスタの少し期待を含んだ問いに、あっさりと言って見せます。
コエリに会いたがってるベスタには悪いけど、原作のコエリが襲われなかったというだけなら、ここでのコエリは襲われる可能性もあるし、その時には、使える魔術が闇属性単独のコエリじゃ、今以上に立ち往生しちゃうと思うからね。要は交戦さえしなきゃいいだけなら、他に手もあるわけだし。
だからーー、はい、と。
困った時の、といわんばかりに、にんまり笑って手を差し出す小恵理に、ベスタは、少しだけ落胆したような、でもどこかほっとしたような様子を見せながら、今度は何をする気ですか、と警戒半分、興味半分といった様子でその手を取ってきてーー
「、、は?」
「要は、逃げ切れば良いんでしょ? 行っくよーっ!」
レグルスは影にいてよね、と。改めて一言を告げてから、そのベスタの腕を、力任せに引っ張って、浮いた身体を、ぽすん、と腕の中に納めて。
「え、、? ちょっ、小恵理、魔改造じゃないんですか!? 何かこの状況に合った適切な術を作るんじゃ、、うっわ、、!!」
「口開くと舌噛むよっ!」
完全にベスタを、お嬢様抱っこする形で、腕の中に抱きかかえて。身体強化をかけつつ、更に強化補助に影画を複数発動し、上空の紫龍のギロッとした視線、それに伴う危険信号全開な圧力を感じながら、小恵理は茂みを飛び出し、砂煙さえ打ち立てながら、一気に山肌を駆け抜けます。
要は、紫龍から逃げ切れれば良いんだから。コエリがベスタを護りながら進まなくても、紫龍に追い付けない速度で、一気にイスパニア山を走り抜けてしまっても、全然かまわないわけです。自分で言うのもなんだけど、見た目は華奢な女の子が、細身とはいえ、大の男一人をお姫様抱っこして走るっていう、異様な光景にさえ目を瞑ってしまえれば。
新幹線でも乗っているような凄まじい加速と、地形の悪さから、どうしても凄まじく上下する自分の身体に顔色を失ったベスタを抱えて、岩の急斜面も猛烈な速度で真横に切り開くように駆け抜け、ーーその途中、やー、でもやっぱ無理だわ。凄まじい速度と明確な殺意で上空から急降下してくる気配を感じ、やっば!! と第六感だけで急速に90度方向転換し、途中まで横方向に、吊り橋でも渡るようなバランスで駆け抜けてきた斜面を、飛び落ちるほどの勢いで一気に下ります。
その、一瞬通りすぎたすぐ後ろに、大質量の巨体が轟音とともに激突し、大小様々な岩や砂礫が四方八方へと爆散し、撒き散らされます。地表が波打つように揺らぐ、という冗談みたいな珍現象も感じ取れるけれど、勿論、そんなものを眺める余裕なんてあるわけもなく。今度はまた90度方向転換して急斜面を再び横方向へと走り、光った、というのを一瞬だけ視界の端に納めてから、再び更に90度方向転換、今度は一気に山肌を駆け上がる形で登り、
「ちょっ、小恵理! わかりました、僕も降りて走りますから! このままではっ!」
「だから喋ると危ないってば! へーきよへーき!!」
登りで、40度ほどもありそうな急勾配を一気に駆け上がり、そのすぐ背後を、今度は龍の炎のブレスが焼き払って行くのを、背中に感じる灼熱の熱量から察します。うん、ちょっとだけ振り返ると、地表は炭化でもしたみたいに真っ黒に焼け焦げていて、へーきとは言いつつ、嘘みたいな火力に、ちょっとだけ冷や汗が背中を伝うのを感じます。
紫龍は青龍と赤龍の半分ずつ能力を持ってるっていうけど、どう見ても半分どころか、本家赤龍を軽く凌いでるよね。結界で防ぎきれる自信は正直ないし、あんな炎に呑まれたら、きっと骨も残りません。
そんな焦りも一瞬、小恵理は迫る影に、第六感に従って今度は再び90度方向転換して真横に跳び、腕の中のベスタが一瞬吹っ飛びかけたけど、それは力業で無理矢理押し留めて。また急勾配を真横に駆け抜けるよう、横方向に疾走して、再びの龍の追撃ーーグオン、と空を切る音だけで全身を切り裂かれそうな、鋭く尖った爪と牙による襲撃をかわします。
「小恵理! だから無茶を、、っ! ええい、やむを得ません!!」
更に、いい加減焦れたのか、空気を揺るがす咆哮を上げ、更に側方から迫る、山全体を吹き払うように全域を覆いながら、全てを凍てつかせる氷のブレスをーーや、山肌全部を覆うとか、もはやブレスと呼んでいい代物なのかすらわからないけどーー、ベスタは抱えられた状態から後方へと、炎、風、土の順に、それも幾重にも重ねた多重障壁を展開し、強引に押さえ込みにかかります。
「なんて手応えなんですか、、!」
いや、それですら、瓦でも割るようにバリバリと砕かれまくりつつ、なんとか足元ギリギリで止まってくれた凍土を見やって、ベスタは顔色も悪く、大きく息をつきます。や、これもまじでヤバすぎるねー、ベスタがここまで押される威力っていうのもヤバイけど、あれで足元を固められたら、たぶんそのまま見事な氷の彫像が出来上がるところでした。で、一瞬後には特攻くらって粉砕です。
追い付けない速度どころか、これだけ飛ばしてすら、逃げ切れるのかも怪しくなってきてるんだけどーー、小恵理は荒く息をつきながら、けれど、前の景色を見て、ちょっとだけ頬を緩めます。
確かに、あんな上空からでも獲物は絶対逃がさない、とか言うだけあって、全長にして五十メートルは超えてそうな巨体なのに、旋回は早いわ手数は多いわ、今まで戦ってきた魔族が赤ちゃんに思えるような強さではあるのだけどーー、ここまで来てようやく、イスパニアの山頂が見えていていて。
そこから、小恵理は一気に山を回り込むことで、どうにか龍の視界から抜けます。その一瞬の余裕で、ここから先のルートを見て、あとの残りの距離と、所要時間もざっと計算して。登りでも何分もかけてはいないはずだけど、ここからは下り坂だから、登りよりは少しだけ楽になるはず。
いやあーー本当、伊達にイスパニアの紫龍、なんて二つ名を得ていないと言うか。あの龍、追い付かれなきゃいいんでしょ、とか言ってはみたものの、規格外もいいところすぎて、なんだか苦笑いを浮かべてしまいます。
さっきも横目でちらっと見ただけだけど、岩肌にまたあんな事故死しそうな勢いで体当たりの直撃をぶちかましてるのに、全くの無傷だし。さっきは軽くかわしたけど、爪の一撃なんて、切っ先にほんの少し触れただけでさえ身体が両断されそうな勢いだったし。首の動きだけでブレスの追撃を決めつつ、その間に身体を起こして再び加速して飛んできたりと、反応も早いし、動きにも隙がありません。
「コエリ、半分は過ぎましたよ!!」
「おっけー、まだまだ飛ばすよ!!」
でも、それもあともう少し。
心臓が破裂しそうに脈打っていて、いい加減、腕も足も痺れてきて死にそうだけど。山頂は抜けたから、ここからはもう下りの急勾配、こっちはあとは飛び降りるだけだし、紫龍がまた突っ込んで来ようと思ったら、この山頂の裏側まできてから急ブレーキと、急旋回をしなきゃいけません。こっちはその隙に全力全開で駆け降りてしまえばいいし、ちょっとくらいは余裕がーー
「コエリ!!」
「嘘でしょ!?」
その、山頂を飛び降りる視界に。
まさかの、赤と青のキラキラなグラデーション、巨木さながらのぶっとい尻尾、巨大な黄玉でも埋め込んだみたいな大きな瞳と、その一本一本が自分の身長すら超える巨大な牙が、突如山の向こう側から、飛び込んできて。
ルートを読んでの、先回り、、っ! 山頂近くの山肌に掴まってポールダンスみたいに回転でもしたのか、その、これから駆け降りようっていう山肌に現れた巨体に、一瞬思考が追い付きません。
ただ追うだけじゃなく、こんな頭も使えるのが、イスパニアの、紫龍、、!! このままだと、自分から紫龍の口の中に横から突っ込んじゃう、けど、減速は無理、方向転換する余裕もなし、こうなったら、、っ!
「ベスタごめん!!」
「っ!!」
一瞬以下の空白、ゼロコンマ1秒以下の判断ーーベスタを、力任せに上空へと放り投げて。自分はむしろ加速して、高跳びでもするみたいに身体を横に捻りながら、切っ先が服に触れるほどギリギリで、振るわれる爪と噛み砕こうとする牙の隙間をすり抜けーー、
「ごめんね!!」
その飛び込んだ口蓋の間で、口が閉じられる前に上下に魔力砲を叩きつけ、自分も爆風を浴びつつ、牙の間を掠めるように抜けて、強引に再び外へと飛び抜けて。
更に地面から振り上げられ、身体を下から跳ね上げよう、もしくはその衝撃で、身体を粉々に打ち砕こうとする尻尾の一撃も、魔力砲を連打し叩き付けることで、反動を受けて上方向に自分は飛びつつ、無理やりに押さえ付けて。更に身を捻りながら龍の目元にも魔力砲を叩きつけて、その反動を利用して、どうにか体勢を立て直して、地面に着地します。
ここまでの、ほんの数秒。でも、まだ、ベスタの気配は上空のまま。小恵理は着地とほとんど同時に上空に魔力の鞭を展開して、一気にその身体を絡め取って引き寄せることで、浮いたベスタへと狙いをつけた紫龍の炎ブレスからも、ベスタを助けて。
「いや、きっつ! やっば! 死んだかと思ったああっ!!」
「僕の台詞ですよ!! 何するんですか!!」
で、またどうにかお姫様抱っこに納めたけど。
いや、まじで無理かもね! 全部の判断が一瞬過ぎて、今のは自分でも何をしたのか、全部は把握できてない感じでした。いくらネイタルで強化されてるって言っても、目まぐるしく状況が動き過ぎて、脳みそがショートしそうです。さすがのベスタも顔色悪いし、また一気に下り坂を駆け降りながら、自分もあとミリ単位で牙に食いちぎられていたであろう足元を見やります。
足先は龍の涎みたいなものが付いていて、スカートの裾も牙で切り裂かれて、スリットみたいになっていて、うーん、あわやトンデモな事態になるところだったよね! や、本来ならこんな荒業に及ぶ前に、スカートじゃなくズボンに着替えろって話だったんだろうけど。そんな場所も暇もなかったし。
でも、それもようやくあともう少し、、! また飛んでくる龍の気配は感じるけど、下り坂はこっちも加速できるし、ひたすら落ちる、なんなら加速して落ちるっていう無茶すらできるから、山の景色は吹き飛ぶように移り変わり、あっという間に中腹に辿り着きます。こんな加速も、樹が少ないからできる無茶です。
これでこの逃亡劇も、ほとんど最後の坂ーーでも後方からは、なんか何もしてこないと思っていたら、炎と氷、両方のブレスを溜めつつ、龍の巨体がジェット燃料でも積んでるのかってくらい、猛烈な速度で突っ込んできていて。いや、やっぱ嘘、こっちももうほとんど余裕はありません。
「小恵理、、っ! また来ますよ!!」
「いいよ、問題なし!!」
爪と牙はかわせる、特攻は避けられる、ブレスなら間に合う、そこまで計算した、最後の斜面を駆け降りる最中。
後方からは、まるで某巨大戦艦の放つ波動砲でも見ているような、ーー青白い閃光が。
一瞬の溜めで、解き放たれてーーー
ずどおお、という凄まじい爆風と轟音、溶岩すら彷彿とさせる熱量を持つ熱線と、絶対零度を思わせるほどの凍てつく冷気という、どれを取っても人間なら影すらも残らなかっただろう両者を併せた、巨大なレーザー状の光線がイスパニアの山肌を削り、猛烈な土煙と砂塵を舞い上げて、更にその先の砂漠までもを一直線に断ち切り、地平線の彼方まで、貫いていって。
その、もうもうと舞い上がった土煙の奥からーー無傷の小恵理とベスタが、イスパニアの山道を降りきって、勢いそのまま、走り続けていて。
その後方には、鱗を思わせる光の板が、幾重にも張り巡らされて、空から降り注ぐ陽光を、キラキラと反射し、光り輝いていて。
「ひゃああ、あっぶなかったああ、、っ!! あれが大技ってわけね、、ブレスそのものじゃなく、ブレスの力を溜めた魔法の閃光を撃ってくるとは、さすがにちょっとヒヤッとしたね!」
「小恵理、、あなたという人は、、っ! なんで最後に発動にラグがあって時間のかかる、ネイタルスキルなんて使ってるんです!? 本っ当に、本っっ当に、本っっっ当に紙一重でしたからね!?」
「えー、でもいいじゃん、無事山は抜けられたんだし!」
まじで若干、一か八かではあったけど。避ける暇がないとなったら、防ぐしかない、までは考えたんだけど、ベスタの多重結界すら押しきるブレスを、更に上回る威力のレーザーなんて、結界じゃ絶対貫かれるし。打てる手といったら、これしかなかったからさ。
幸いでしかなかったことに、いくら強大な波動砲じみた一撃とはいえ、金星蟹座のネイタルスキル、『防備の殻』を突破する程ではなかったみたいです。スキルを操る星力は、魔力の上位に属する、っていう見立ては間違ってなかったってわけで。といって、このスキルの壁であっても、物凄い振動が殻の壁を揺るがしていて、それもあと何秒かでも続いてたら危なかったかもしんないんだけど。うん、またしてもまじで死にかけたね、うん。
やー、まじで際どかったよね、と小恵理は腕の中のベスタへ苦笑で答え、ようやく念願の砂漠に差し掛かったところで、一度首だけで後方を振り返り、紫龍の様子を窺います。
ーー更にこちらを追ってくる可能性も一瞬考えたけど、山を降りきってしまったからか、紫龍は岩肌に止まって、こちらを名残惜しそうに見つめていて。あれほどまでに苛烈な攻撃を繰り返していたにも関わらず、そこからこちらに飛び出して、また追撃しようとはしてきません。どうも、本当にイスパニアの敷地から出てくることはしないみたいです。
それなら、もう平気かな。小恵理は一度立ち止まり、ベスタを地面に下ろすと、大きく息をつき、じっとりと額にまとわりついた汗を拭って、改めて後ろを振り返って。今自分が無理矢理に走り抜けてきた軌跡と、岩肌に鋭く巨大な爪を立てて、じっとこちらを眺める、紫龍の姿を、眺めてみます。
こうして見てみると、、あの紫龍は、自分のテリトリーを守っているだけ、まるで巣を守る親鳥が、巣に鎮座して自分の居場所を守っているような、不思議な落ち着きと警戒心が見え隠れしていて。つまりは、あの子は自分の領域に入ってきた相手を排除していただけなのかも、ということを、今更ながらに感じます。たぶん、あの紫龍にとっては、このイスパニア山が自分の家、みたいな感じなのかな。
だからーー、そっか、、もしかしたら、ただ魔物のいる山と思って無理矢理通り抜けるんじゃなく、お邪魔します、とでも言って、礼儀正しく、相手の住居にお邪魔するように敬意を払って山に入ってきたら、案外襲われなかったのかもしれない、とか、そんなことを、あの龍を見ていると、感じてしまって。
その考えをベスタにも話してみて、小恵理は、悪いことしちゃったかな、と困ったように眉を寄せ、反省の弁を述べます。
「土足で他人の敷地に上がった、って思ったら、そりゃ嫌がられて当然だもんね。その辺りコエリってああ見えて、ちゃんと礼儀はしっかりしてる子だったし。挨拶もちゃんとしてたし、人間以外でも敬意っていうか、、そういう敬虔さみたいなものも大切にしてたし」
「そうですね、、そういうこと、だったのかもしれません」
その辺り、眼鏡を直しつつ、ベスタも、何か心当たりでもあったみたいに頷きます。
レグルスは勿論、普段は礼儀正しいベスタであっても、山に入るのにまで、わざわざお邪魔します、みたいに、敬意までは払わないと思うし。龍の住処っていったって、みんな魔物が占拠している、くらいの認知でもあったわけだしね。
でもコエリであれば、紫龍の居場所ね、それじゃあお邪魔するわ、ごめんなさいね、くらい言って、ちゃんと頭を下げて、神妙に踏み入るとかしたんじゃないかと思います。
だからーーコエリだけが。
「えっと、、あなたの居場所を、お家を荒らしてしまって、ごめんね」
小恵理はなんとなく、紫龍に向けて頭を下げ、にっこりと微笑みかけてみてーー紫龍が、ふい、と顔を背けて、山中へと大きく羽ばたいて身体を浮かせ、赤と青の、紫に輝く鱗を煌めかせながら、これまでとは全く違う、ゆったりとした動きで飛んでいったのを、見送って。
小恵理は改めて、地上を振り返り、降りてきた先、陽光を受けて眼前に広がる、広大な砂漠ーー龍尾砂漠へと、目を向けました。