ホロスコ星物語193
侯爵は、先頭を行く王子、小恵理に続いて慎重に、今もどこか信じられないような顔で、開け放たれた鉄の扉を潜り、その隣へ、晴れやかな笑顔のタウリス伯爵がゆっくりと並びます。
「、、伯爵」
「さて、我が国の王子も婚約者も、またその部下も。昨今の若い者には、随分と優秀な人間が揃っているようですな」
貴方も含めて、とタウリス伯爵は穏やかに笑い、前を行く二人に目を向けます。それから、事情は聞いたよ、と目線を地面へと落とし、隣を歩く侯爵へ、少しだけ残念そうに語りかけます。
「、、私の妻は、確かに魔族に殺された。それも、私を邪魔に思う貴殿の父による暴挙であったからな、、貴殿の魔族との懇意は周知であった故、貴殿と会えば、嫌でも魔族への恨みを思い出さねばならぬ。故に、私の気持ちが晴れるまでは、貴殿を責める気持ちが生まれなくなるまではと、距離も置かせてもらっていた」
「ああ、、知っている。それも、貴方の心の正しさあってのことだろう。貴殿は、いかに父子であれ、直接に関係のない相手を無闇に責め立てることのない、良心と自制心ある人物だ」
今魔族を率いているのは自分で、魔族と懇意にしているのも事実なのだから、いっそ自分を責めてくれれば、どうとでも、いくらでも謝罪しただろうにな、と悔恨を窺わせる様子で、侯爵は俯きます。亡き父の不始末は自分の不始末だし、ただ何も言わずに距離を置かれる方が、よほど辛かった、と。ーー貴方はベツレヘムがまだ父であった代から自分に力を貸してくれていた、数少ない人物だったのだから、と。
タウリス伯爵は、それに、昔を懐かしむように目を細めて、すまぬな、と静かに謝罪をします。決してそれまでの友好を忘れたわけではなかったし、貴殿を苦しめる意図もなかった、と。
侯爵は、けれどそれだけでは納得がいかないと、訝しげに伯爵へと問いかけます。
「だが、結果として、伯爵は反魔族派へと入った、、何故だ? 私は、それがあったから、結局貴殿は敵に回ったのだと、私のことも恨みに思っていたのだと、判断せざるをえなかったというのに」
「確かに、、恨みは恨みとして、契機にはしたがね。私の意図はそこではない」
それは、本来的には悪い意味ではなかったのだよ、とタウリス伯爵は、ゆっくりと首を振ります。何かを、妻の言葉でも思い出すようにしながら。
「私は、元々魔族との共生に反対していたわけではなかった。魔族によって平和が取り戻された、今もだ。彼らは有能で、彼らによってここブルフザリアの治安が維持されていることに間違いはないのだから」
「ーー、、」
「だが、ここは人間の街なのだよ。ただひたすらに彼らに頼り、支配も治安もおんぶに抱っこでは、我らがこの街にいる意味はなんだ? 私は、ただ享受するだけの身でいてはならぬと、人間にもっと奮起せよと、尊厳を取り戻せと、魔族にばかり頼るな、という意味で、反魔族を名乗っていたに過ぎなかった。排除せよ、などと大それたこと、私は思ったこともないのだ」
取り調べの最中では、お互いにこのようなこと、語らう余裕もなかったがね、と伯爵はわずかに後悔を滲ませながら続けます。問答無用で放り込まれた牢では、侯爵の愚行を叱りつける自分と反発する侯爵という、ほとんど押し問答のような流れになってしまって、お互いに事件以外の本音を語る隙間がなかったな、と。
その口調は、けれど侯爵を責めるようなものではなく、タウリス伯爵は、あくまでもただ侯爵が魔族を頼りきって、人間を、兵士らや貴族らを蔑ろにしているように感じたことへの警鐘だったのだと、またいくら過去が過去であっても、人間のことも信用、信頼できる体制を作るべきという提唱であったのだと続けます。
今も、政策立案こそ貴族で協力はしていたけれど、街へと侵入する魔物を追い払い、民を、自らの身を守るのに、治世を取り戻すのに、あまりに魔族に頼りすぎているように見えていたからだ、、と。そう指摘された事実に、侯爵は息を飲んで黙考します。無自覚に、最後に頼れるのは彼らだけ、と思い込んでいたことに、自分でも気付いて。
そして、その結果、伯爵には、侯爵が最後には貴族すら軽んじて、やがては魔族を率いる、魔王代行のような存在へと堕してはしまわないかという、懸念までもがあって、、結果として、侯爵は今も民を思い、人とも魔族とも共生する、立派な領主ではい続けているけれど。その、何かと魔族に頼っている、魔族を当てにしている姿勢は、端から見ていて十分に危険に映るものだったと。
そこまでを理解したところで、二人は一度言葉を切って、まだしばらく続く廊下の先を見やります。侯爵邸という、立派で巨大な、防音に優れたこの屋敷であるのに、何か、、声のようなものが聞こえてきている気がして。
やがてその、危機意識は侯爵にも伝わったのか、侯爵は困ったように眉根を寄せ、そうか、、と地面へと目を落として、安心と反省を織り混ぜたような、細く重い息をつきます。タウリス伯に裏切りの意図は、本当になかったのだと、ようやく理解することができたから。
「、、貴殿の事情を鑑みれば、こちらにも、反省すべき点はあるがね」
伯爵は、そんな若き領主へと、気の毒そうに首を振ります。彼の生来の事情は、伯爵から見ても、おそらくは不幸と呼ぶにふさわしいものだっただろうと感じて。彼はーーこの街の人間の起こした、小さな偶然が重なった事故がなければ、その一生を、幽閉されて過ごしていたかも知れないのだから。それも、彼の父による身勝手な一存で。
それを思って、伯爵は一つ重いため息をつき、侯爵へと付け加えます。全ての原因は、あの父にある、と。
「長い付き合いだ、無論、、周囲が父の息のかかった者で溢れていた、貴殿の事情はこちらも承知している。ただひたすらにベツレヘムへと媚びへつらい、立ち回りにばかり優れた無能たち、、そんな当てにならぬ人間ばかりを見て育ち、人に頼る気になれぬのは道理だ。そもそもにーー、生まれからして貴殿には、人間を信頼できる素地がなかったのだからな」
「伯爵、、」
その、言葉の真意を理解して、眉間に皺を寄せ、難しい顔で続ける伯爵を、侯爵は困ったように見つめます。タウリス伯爵は、侯爵の幼少を知る数少ない人物で、、その事情というのも、身に染みて理解はしているとは、知っていたから。その、生まれた時点から、悪しき人間で溢れていた自分の環境を。
その事実を、侯爵は一度目を閉じ、自分の中で消化するようにして、ゆっくりと頷きます。
「私の母は、、確かに、本来あった幸福を失い、父によって、誘拐同然にここへと連れられてきました。そしてその裏にも、確かに闇に蠢く人間たちがいた、、」
それも、母を連れてくるのに一役買った隠密たちだけではなく、ベツレヘムへと協力した他家の貴族、母をこちらに差し出した、母の身内の裏切り者、更にその裏にいた、権謀術数の策略家たち、、誰もが利権と財に目が眩み、自分たち母子の運命を翻弄してきていて。
小恵理の前でこそ、気さくに振る舞ってはいたけれど、、多くの人に慕われる領主ではあろうとしたし、実際そうであっただろうとは思うけれど。実際は侯爵自身、屋敷の人間との間に、埋めがたい溝があったことは自覚していました。
その理由は、その生来の由来によって、どうしても人間というものが信用しきれなかったから。だからこそ、ここぞと言う局面では、常に魔族に頼ることしか考えられなかった、という面があったことは否定できないと感じて。
ただ、その唯一の例外がーー、小恵理と一緒の部屋に、監視兼護衛として置いていた、あの少女で。
「だから今、、私が気楽に接していられる隠密は、アメリア一人だけです」
だから、元々侯爵には人間を信用できる素地がないのだと、魔族に頼りたくなるのもわかると、同情する顔で自分に理解を示す伯爵に、幼少の頃、妹のように可愛がっていた、今は自分の反対をも押しきり、隠密となってしまった少女を思い、侯爵は苦笑いを浮かべます。その一人を小恵理の部屋に割り当てたのは、それだけ小恵理への想いが本物だった証左だったのに、と。小恵理が聖女だったという事実を知ってしまった今、わずかに悔やむように。
その、若者の恋模様については、伯爵は関わらない方向で聞き流します。若者が情に苦しむのはいつの時代も必定であるし、今も前を行く、王子に寄り添う形で歩き続ける、聖女の本心は、伯爵にもわかりませんが、世には、お互いの想いだけではどうにもならないことがあることは、特に侯爵にとっては、今更言うべくもないのだから。
その母にとっての不幸は、ベツレヘムに見初められてしまったことなのか、自らを狙う隠密から、わかっていても逃れられぬ事情があったことからなのかーーその、今は故人となった女性の、たおやかな気品溢れる、けれどどこか寂しげな笑顔を侯爵の面影に見ながら、伯爵は、貴殿は立派に母の後を継いだな、、と続けます。
「幸い、貴殿はベツレヘムに毒されることなく、母から優れた頭脳と人懐こさ、人を思いやる心を継承していた。貴殿の治世に誤りがないことははっきりしているが、、だが結局、今回悪さをしたのもまた、ベツレヘムの血筋だったのかもしれぬと、私には感じられるよ」
反魔族を掲げて暗躍していたララージュ伯、それに対抗して策を打ったベツレヘム侯爵、、そのどちらもがベツレヘムの血を引く者で。皮肉というべきか、今回の件では、侯爵には母の血筋だけでなく、ベツレヘムの腰巾着だったララージュ伯にさえ対抗できる、あの先代のベツレヘム候の血を感じさせる、汚い術策への素質が感じられたのも事実で。血は争えなかったか、、と伯爵は落胆したように、小さく呟きます。
侯爵にとっては嫌悪の象徴であり、そう、憎むべき父を引き合いに出されたことで、実に嫌そうな顔で、伯爵、、! と侯爵は苦情を言い、伯爵は、冗談だ、と悪戯っぽく笑って、ともかくだ、と話を締め括ります。別に、今更過去を掘り返す気はないと。心配しなくとも、あの王子のことだから、ララージュもすぐに確保されるに違いないと。
「私も、ただ遠巻きにでも見ていればいいところ、それに参加までしてしまったがため、こうして牢に入ることになった。だが、その方向性の違い故に、反魔族を名乗る彼らとの関わりもまた、私は一切を断っていた。ーー事件の真相は私も先程聞かされたが、このようなことになるまで、誤解が溶けなんだことだけは、残念に思っている」
やはり会話は大事だなと、こうして本心を語れて良かったと、伯爵は軽く肩を竦め、侯爵と伯爵ではない、旧友へと語りかける口調で、なあ、ラインムート、と呼び掛けます。
それに、侯爵もまた、プレチオーザ殿、、とタウリス伯爵ではなく、年配を敬う若輩者として苦笑を返し、不意に真摯な顔つきとなって、深々と頭を下げます。
「伯爵、、今回のことはベツレヘムの名において、如何様にも謝罪しよう。それで気が済むというのなら、いっそ侯爵の地位を譲り渡しても、ブルフザリアの統治を代わっても構わん」
その時は、もし許されるなら私も一兵士として伯爵に尽くそう、、と。深刻な表情で告げる侯爵に、伯爵は、小さく愉快そうな笑い声を上げて、不要だ、と首を振ります。そもそも貴殿は剣の手解きを受けたこともないだろう、と。
「第一、その答えは、既に出ているであろう。この街の領主には、私のような老骨より、もっと適任な者がいるではないか」
二人はーー、歩く先に、だんだんと何か、少しずつ大きくなっていく音を、、人の声のようなものを、聞いていて。
階段を登り、廊下を抜けて、バルコニーへは、あと十メートルほどでしょうか。既に明確に声とわかるその音は、具体的に何を言っているのかは、あまりにその声量が大きく、高い声、低い声、大人の声、子供の声、男の声、女の声、、全てが多数重なりすぎていて、判別もできないけれど。
「やれやれ、元々が王家の責でもあるとはいえ、ここまで激しくなるとはな、、奴に釣られて悪役を買って出たはいいが、果たして本当に収集するのだかな」
「大丈夫だと思いますよ、王子。ここには、ちゃんと場を収められる人が健在ですから」
小恵理とジュノーは、ここまで二人の邪魔をするまいと、無言で前を歩いていましたが、バルコニーに姿を現す手前で、新たなベツレヘム侯爵の到着を待って立ち止まります。そして、タウリス伯爵も、二人の更に手前で、一度立ち止まって。
「さて、死者がここで姿を現しては、混乱は更に極めたものになろう。死に損ないを発生させた身として、貴殿には責任を持って、先に解説役を担ってもらおうではないか」
「ーーーこれは、、」
これが、貴殿への答えだと。そう伯爵に促され、若きベツレヘム侯爵が、ゆっくりとバルコニーに姿を見せるとーーそこには、町中の民衆が、兵士、魔族、貴族、平民と問わず、足の踏み場もないほどの大勢が、ベツレヘム侯爵邸の前へと詰めかけていて。
数百、数千人すら数えようかという民たち、皆が共通して叫ぶのはーーベツレヘム侯爵の助命嘆願を、と。
彼は、自分達にとっては理想の領主であり、他の領主が選任されるなど考えられないと。どうか助命を、どうか地位の保全を、と。屋敷から見渡す限りに民衆が、侯爵邸の中へ、王子の耳へ、侯爵本人に届けとばかりに、誰もが口を揃えて、叫んでいて。
「形上、種族としてはいまだに敵対関係にあるというのに、これほどまでに、魔族と人間が団結して一つの目的を目指そうなどとはな、、俄には信じられん光景だ」
「それだけ、ベツレヘム侯爵が民衆のために身を粉にして尽力してきた、ということですよ」
ここでは王家も、下手をしたら彼らに飲み込まれますよ、と。小恵理は冗談めかして、ジュノーへと笑いかけ。ジュノーは、フッと笑い、恐る恐る前へと進み出る侯爵の手を、力強く取って、前へと引き寄せます。恐れることなく、民の前に姿を現せ、と。
ーーそうして、若きベツレヘム侯爵が、バルコニーの柵まで進み出るとーー
「なんか、、夢にまで出てきそう」
もはや、隣に立つジュノーの声も、自分の声さえもが聞こえなくなるほどの、喜びに満ち溢れた爆発的な歓声に、自然と込み上げてきた涙を拭い、小恵理は一人独白をします。
本当、ただ事件の報告に立ち寄っただけの街で、こんなに人と魔族が一体となった、民衆の姿を見ることができるなんて、、誰も、思いもしなかったよね。
人と魔族、、二つの種族は、イメージばかりが先行してしまって、今も確かに少なくない割合で、敵対関係にはあるけれど。
決して手を取り合えない仲ではないことが、この景色を見ていてもわかります。
だから。小恵理はそっと、心の中で誓います。
あの時は、色々と切羽詰まっていたのもあって、ろくな会話もできなかったけれど。
今度カイロンと会ったら、、自分も、ちゃんと話そう。
原作の流れがどうであれ。元の魔王の意思がどうであれ。
そんなことは関係なく、魔族と人間は、手を取り合える。
本当はもう、争う必要なんてないのだとーー