ホロスコ星物語214
「でやああっ!」
青年の上げる裂帛の声と、ギン、という甲高い金属音が狭い洞窟へと鳴り響きます。
持ってる剣は帝国支給らしい鉄製の剣で、うーん、この切れ味だと、ちょっとくらい補助をかけただけじゃ魔物の装甲は斬り裂けなそう。
これまで洞窟内にいたのは、野生の熊が魔素によって魔物化した、いわゆる自然発生型の魔物で、怪力と巨体の迫力こそあったものの、いくつか強化魔法をかけてあげれば、ランツィアの腕でも打ち倒せる程度の魔物でした。
ただ、ちょっと水を補給したい、とランツィアが希望して、水音を辿って訪れた水辺には、明らかに毛色の違う、巨大な蟹の魔物が居座っていて。
ランツィア、ここまで強化魔法を使ってもらった経験があんまりないらしくて、ここまで、熊の魔物を簡単に倒してきちゃったのが災いしたんだよね。万能感というのか、ランツィアは今の俺なら勝てない敵はいない、とでも思っちゃったみたいで、こいつも倒そう、といきなり斬りかかっていってしまって。彼我の戦力差を見極められない辺りが、まさに新人って感じ。や、アバウトに魔力反応を走査して、水の中まで探らなかった自分も悪いんだけど。
水辺だから蟹、というのはわかるけど、、この蟹は、魔素を自分で取り込んだ魔物ではなく、何かに魔力を打ち込まれて創られた、いわば人工的な魔物です。魔素の濃度とか、含まれている魔力に変な偏りがあるとか、そういう類いの差異があるので、それは間違いありません。
つまり、この蟹は、何か、もしくは誰かが意図してここに配置した魔物、というわけで。本来であれば、スルーして先に行っても良かったんだけど。
「キーリ、こいつに弱点はないのか!?」
振り下ろされるハサミをバックステップでかわしつつ、できるならそこを突いてくれ、というランツィアの叫びが聞こえてきます。うん、蟹の動きは鈍重で、ランツィア意外と反応は早いし、すぐにどうにかされることはなさそう。
でも、
「弱点ねー、、なくはないけど」
何度も飛びかかっては甲羅に弾かれる剣は、見た目にも傷んできていて。それもそのはず、この蟹の殻は、その誰からか施された魔力による強化のせいか、めっちゃ硬度を上げていて、たぶんいくら斬りかかっても、ランツィアの剣が折れる方が早いように思います。でも、かといってこれだけ近くで斬りかかられてると、炎で一撃、みたいな派手な戦術も取れません。間違いなく巻き込むし。
じゃあ、風の刃や氷の槍、土の槍みたいな単純な物理はというと、あの殻の魔力は、耐えてしまいそうな気もします。でも変にこっちで魔力を込めると、今度は洞窟を崩壊させたりしそうだし。力加減ができないっていうのも、こういうとき不便です。
ーーまあ、おっけ。外から撃てないだけなら、それはそれで手はあるし。
「じゃ、いくよ!」
自分への身体強化を、少しだけ強めて。ランツィアが蟹のハサミに剣を打ち当てる、すぐ目の前を一度まっすぐに走り抜け、蟹を中心に、ランツィアの反対側にまで駆け抜けます。それから無防備に両手を左右に大きく広げて、獲物はここよ、とでも言わんばかりに、ゆっくりと立ち止まって。
「キーリ、、!? 危ないっ!」
蟹のハサミが、新たな獲物に物理的に押し潰すのではなく、本来のハサミらしい、断ち切る動きで人の胴体を挟み込もうと、ハサミを広げて迫ります。ランツィアはそうはさせじと蟹に斬りつけますが、内在する魔力によって派手な金属音を立てて刃が弾かれ、やっぱり剣は通りません。
そして焦るランツィアを後に、丁度、胴を真っ二つにできる位置に立ったことで、ハサミは急速に両側から閉じられてーーそれが、けれど何かの強い力の抵抗を受けて、途中で止まります。
その何かっていうのは、結界ではなく、さっき落下の際に衝撃を吸収するのに発生させた、空気の層で。それを、何倍、何十倍にも更に圧力を増した状態で、周囲に発生させてあって。イメージ的にはタイヤの空気厚みたいな感じ。その辺にいくらでもある空気だって、一定以上を集めてしまえば、些少な外圧なんて耐えてしまえるわけで。
勿論、物理で隔ててるわけじゃないから、単に薄い魔力層で覆っただけだから、簡単には割れないけどーーものが自分の魔力だから、その層を保つのもやめるのも、自由自在です。
この空気の層っていうのは、詰めれば詰めるだけ反発も増していくものだし、そんなパンパンでカッチカチの限界突破した風船みたいな空気の層を、もしうっかり破裂させたら、どうなるか。
「ーー解放」
軽く手を叩くと、パアン、という凄まじい破裂音と衝撃で、蟹のハサミが吹き飛び、その巨体が猛烈な突風に煽られる形で、なす術なくひっくり返ります。影響があまりないよう、わざわざ反対側に来たのに、風が強すぎて、ランツィアも一緒にどっか吹っ飛んでいくのが見えました。
まあ最悪、周囲の壁にも風のクッションを利かせてあるから、死にはしないと思うし。先に軽く跳躍して、仰向けになった蟹の腹へと、遠慮なく乗り上がらせてもらいます。で、剣で止めを、、って。
「そういえば、今は持ってなかったっけ」
どうしよう。何の準備もなくここまで来ちゃったから、肝心の刃物がありません。魔術で光の剣を生み出す手もあるけどーー、ここではコエリが待ってるっていうし、こっちを借りても良いかな。
掌に魔法陣を浮かび上がらせ、一瞬で亜空間から取り出したのは、黒曜石のように全身を漆黒に輝かせる、暗黒の剣です。聖女の力とは本来相反する、闇の力を纏う剣、、だけど、私は今村小恵理であると同時に、ミディアム・コエリでもあるから。
漆黒の剣は、自分でも驚くくらい手に馴染み、吸い付くように掌中へと収まります。それを、蟹の腹に向けて、容赦なく突き入れて。
何か、剣から黒い靄のようなものが立ち上ぼり、蟹の内部へとそれが浸透していってーー、獣の叫びめいた唸るような悲鳴をあげ、蟹は、泡を吐きながら一瞬でその動きを止めます。そして、残っていたもう一方のハサミ、6本で左右へと動き回っていた巨大な脚も、順にバタンバタンと地面へと倒れ落ちて、蟹は、たった一突きのもと、完全にその動きを、、生命活動を、停止させました。
この、剣の威力もそうだけど、、今の、死神が命の灯火を刈り取ったような、唐突とも言える命の幕切れの仕方は、単に剣の鋭さによるものではありません。
この剣の通称、というか正式名称は、死を呼ぶ剣。およそ三割ほどの確率で、斬った相手に一撃死の闇魔術を送り込む、コエリ必殺の魔剣です。コエリの場合、持ち前の神業的剣技もあって、それこそ剣だけでも死神同然の威力を持っていたわけだけど、他の人が使ってもその特殊効果は発動するみたい。
「えっと、、ランツィア? 大丈夫?」
蟹の死体から飛び降りて見てみると、青年は、洞窟の隅で仰向けにひっくり返っていて、とりあえず怪我はなさそうです。でも目を回していて、しばらくは起き上がれない感じ。
それじゃあ、、今のうちに、水辺を調べておくとします。蟹が湧いて出てきた、水源の中を。
水源には、地下水でも溜まっているのか、ずいぶん底までも深そうで、、予想はしてたけど、魔力網を広げてみると、横道や分かれ道も多く、ちょっと先には、普通に潜っての探索なんてまずできないくらいの、広大な地底湖が広がっていました。
地底湖まで行ってしまえば、こっちにも山道に戻れる洞穴はあるみたいだけど、、うーん、外に出たら安全というわけでもないし、とにかくこの山、登山道の側も広ければ、地下に広がる洞窟も広すぎて、ここからどこをどう進めば肝心の願いを叶える云々に辿り着けるのか、見当もつきません。
「そもそも、どうやって願いを叶えるのって部分からして謎なんだよねえ、、」
神の領域に最も近い、っていうくらいだから、神様と交渉するとか、接することができる神殿みたいな場所があって、そこで願いを捧げる、みたいなイメージを勝手に持っていたんだけど、、何か大事なものと引き換え、とかいう話もあったし、この辺りの詳細は、できればランツィアに聞いておきたいところです。
ただ、一つ言えそうなのは、今斬り倒したこの蟹が、この蟹だけが、この辺りにいる唯一の人工的な魔物ということ。それは、この水辺には、誰かが魔物を配置したい何かがある、ということが読み取れるわけで。
この水辺を潜り抜けた先、地底湖までは普通に泳いでいけそうな距離ではあるし、これは奥に進む一手かな、、そこまで考えたところで、まだ地面に転がるランツィアに、一度目を向けます。
あとは、このランツィアが実はカナヅチで、とかないといいんだけど。体型的には標準的な青年とはいえ、地底湖まで直通で進めるわけではなく、潜水しないと通り抜けられない箇所が一ヶ所ありました。さすがに水路は薄暗く、前もよく見えないくらいだし、潜水しながら成人男性の身体を抱えて泳ぐのでは、さすがにキツそうです。
「、、キーリ、、? あの蟹の魔物は、、?」
あ。ランツィアが意識を取り戻したみたいで、額を押さえて上体を起こし、こちらにボーッとした、虚ろな目線を向けてきます。頭でも打ったのか、少しふらつきながら起きて近付いてくる彼に、やっほ、と軽く手を振って出迎えて。
「お疲れ様。蟹の死体ならそこに転がってると思うけど?」
「あ、いや、誰が、どうやってという意味なんだが、、まさか君が?」
や、あの、、まさかって。そもそも、最初に会った時点から、その程度のことができる実力は見せてきたつもりなんだけど。もしかしてちょっと鈍い子なのかも、と感じます。あ、もしくは、わからなかったことはなかったことにするタイプなのかも。
とりあえず、まあ、ね、と適当に頷いて、それよりも、とランツィアへ、水辺を指差します。
「ランツィアって泳げる人? どうもこの先に地底湖が広がってるみたいなんだ」
「む、水泳は帝国における兵役教育においては、必須科目だ。僕も得意ではないが泳ぐくらいならできる」
ん、どうもバカにしたとでも思われちゃったみたい。ランツィアは不満げに口を引き結んで、腕組みをして水辺に顔を向け、水の中を睨み付けるように見やります。
水質は、地下水らしく普通に綺麗そうで、泳ぐのに問題はなさそうです。ランツィアもそれを思ったのか、一度頷いて水辺に近づき、どこまで行けば良い? と問いかけてきます。けれど、複雑そうに顔をしかめていて、なんとなく嫌そうなのは、、水泳は得意じゃない、だっけ。さっき沢で水に打たれていたときもそうだったけど、そもそも冷たいのが苦手、とかもあるのかもしれません。
それと、、本題とは別に、今の発言がちょっとだけ気になってしまって、えっと、と先にランツィアに疑問を口にします。
「プロトゲネイアって、水泳が必須なんだ? 近くに海でもあるの?」
「ーーー」
、、や、なにその、こいつ本当にいっぱしの人間か? みたいな反応。珍獣でも見たような顔で、急に黙らないでほしい。それも、目を半開きにして口を開けた、ベスタに勉強を見てもらった時にもさんざん見せられてきた、バカにはしてないけど無知に呆れ果ててる顔、みたいで、ちょっと嫌な気持ちです。
「、、あの、ランツィア?」
「プロトゲネイアには、、南に海洋国家の広がるパヴァリア海、北にはメイベラ海があって、こちらはゴードニアという海賊の王国、いわゆるバイキングの本拠地があるから、当然海軍力にも力を入れている」
「ふうん、、そっか」
バイキングね、荒くれものの海賊たちってイメージで、なるほど、その北と南両方に国と海が広がっているから、プロトゲネイアでは兵の訓練に水泳も必要、ってわけです。よく見ると、ランツィアの身に付けている鎧も、ただ重いだけの純粋な金属製ではなく、ところどころに軽い皮製品や空気を取り入れる隙間みたいなものがあって、水の中でも沈みにくい工夫がされているようでした。
で、プロトゲネイアから見ると、西には今いる龍頭山脈があって、東に魔王領が続いてるはずだから、、プロトゲネイアの場合、陸続きに行ける場所は基本的に魔王領だけになるし、泳げる人間を育成したり、船などの海運を発展させた方が、国には有用だった、ということでしょう。納得。
プロトゲネイアの西と言えば、一応海洋を跨いでゾディアックとも直通で船が行き来していて、確かクライスト領っていう、ゾディアック側にも、優れた海軍と海運力を持った領主がいたと思いました。今では平和的な海運の盛んな両地域ではあるけど、案外プロトゲネイアと戦ってきた歴史、とかもあるのかもね。や、別に知り合いとかいないし、話を聞けたりもしないけど。
「そっか、ありがとう。勉強になったよ」
「いや、、別にかまわないけれど。ただ、、」
「ただ?」
「いや、見た感じ君はまだ学生だろう? どことなく貴族のようにも見えるし、令嬢的には社交や婚約相手を探す方が大事なのかもしれないけれど、こんな世界の地理くらいは、常識として押さえておいた方が賢明だと思う」
龍頭山脈に遊びに来られるくらいには裕福なんだから、地理を教える家庭教師くらい付けても良いんじゃないか、と。ずいぶん踏み込んだことを言われてるようだけど、、なんか、お兄ちゃんに叱られてるみたいな新鮮さがあって、これはこれで嫌いじゃないっていうか。
、、って。
「龍頭山脈に、、遊びに?」
「違うのか? イダに仲間を待たせていて、先行して様子見と言っていたから、、観光目的だったんじゃないのか?」
「、、あー、そー見えるかあ、、」
なるほど、、ね。相変わらず格好はブラウスにプリーツスカートっていう、いわゆる貴族の令嬢の格好をしていて、それで、仲間より先に様子見に来ちゃった、とか言われたら、貴族の金持ちが、何でも願いが叶うとかいう噂を聞き付けて、興味を抑えられずについ先にやって来ただけ、とか理解しても普通なのかもしれません。
そっか、、ちゃんとここまで旅人してきたつもりだったから、自分の中ではもう、あまり学院生っていう感覚がなかったんだけど。傍から見たら、まだまだ貴族の令嬢が遊びに来てるくらいにしか見えてない、ってわけです。
その現状を正しく理解して、ありがと、とランツィアにはお礼を言っておきます。プロトゲネイアは、ゾディアックとは国単位で見ても友好国ではないし、この国で自分がどう見えるのかについては、きちんと把握しておくのも、トラブルを避けるのには大切だと思うから。帝国の人間は聖女のことなんてよく知らないだろうし、金品目的の誘拐犯に狙われても面倒だしね。
それじゃ、そろそろ気を取り直して、ランツィアに、先に行こうか、と声をかけます。本来の目的は、あくまでもベスタとアルトナのため、必要に駆られてなんだけど、別にそこを詳しく説明する必要まではないと思うから。
それから、何故か返事はなかったけれど、早速飛び込もうと身を屈めたところに、ランツィアから、待て! という鋭い制止の声がかけられます。振り返って見てみると、なにやらランツィアは顔を真っ赤にして、パクパクと口を開閉させていて。いったい何の反応なんだか、よくわかりません。
「キーリ、、君は。今、そのまま先行して泳いでいこうとしてなかったか?」
「そうだけど?」
何の問題があるの、と首をかしげます。泳がなきゃ先に進めないし、当然じゃん、と。
ランツィアは、しばらく額を押さえてたと思ったら、無言のまま足早に人の前を通り過ぎて、自分の方が先に水へと飛び込みます。それからこちらは振り返らず、手のジェスチャーだけで、付いてこいと合図を送られて、うん、もういいのかな? よくわからないけど、とりあえず続いて水へと飛び込みます。
思ったより水温は低く、ランツィアに、大丈夫? と声をかけようとして。その、横に並ぶ前に水平に手を出されて、これは、、先に行くな、っていう意味みたい。大人しく示された通り、ランツィアの少し後ろに下がって、ねえ、と声をかけます。
「先行してくれてるのは良いんだけど、別にこの先魔物がいるわけじゃないし、泳ぎが得意じゃないっていうなら、前にいなくても大丈夫だよ?」
「君は、、! 頼むから、もう少し自分を気にしてくれ!」
君はスカートだろうっ、と。ランツィアはこれまた顔を真っ赤にして、首の骨大丈夫、と思うくらい明後日の方に顔を背けて、少し掠れ気味の声で、そんな指摘をしてきて。
「あー、、、」
うん、、ちょっと動くと水の中でふよふよと浮き上がるそれは、確かにちょっと、後ろに人を置きたくはないかも。ましてや水中になんて潜られようものなら、わかってるよねって感じです。
ランツィアが紳士で良かった、とちょっと胸を撫で下ろして。だってそうじゃなかったら、たぶんこの洞窟、跡形もなく消し飛んでたと思うから。
それから、ごめん、ありがと、と。
冷たい地下水の中だっていうのに、こちらも少しばかり、頬が熱くなるのを感じながら。はにかみを浮かべてその、同じく赤く染まっている頬を眺め、そう、お礼を返しました。