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ホロスコ星物語232
「、、落ち着いた?」
子供のように、悲しみに泣きじゃくるコエリ、なんて、、本当、絶対に見ることはないと思っていたし、そんな本心を見せてくれたことに、心の底からの申し訳なさと、ありがたさと。自分も本心できちんと向き合わなきゃ、という思いを抱きつつ。
胸に抱いたコエリが、ようやく啜り泣きになって、また、それも落ち着いてきたことで、大丈夫? と声をかけます。少なくとも、会話ができるくらいには、コエリも落ち着いてきたと思って。
コエリは、一度強く私のことを抱き締めて、それから、名残を惜しむように、本当に時間をかけて、ゆっくりと、その身体を離していきます。まるで、本当に脱皮でもして、二人に分裂でもするように。
「、、コエリ?」
「話は、、理解したわ。私は絶対に認めたくないけれど、私とあなたのネイタルが二つ、私一人の身体に入っているから、あなたの魔術のコントロールが利かなくなっていること、それが今後、もっと悪化していくだろうこと、、問題が生じていない、なるべく早い内に、対応が必要なこと」
うん、、さすがコエリ、完璧に理解してくれていて、補足事項もありません。
そうだね、と安心して頷いた私の前で、コエリは、テーブルの上のティーセットを、まずは丁寧に片付けます。
「そして、あなたの思う、恐らくはその神様という相手に入れ知恵された一番の解決策は、ミディアム・コエリを私と貴女という、二人の人間に分離して、ネイタルを二つに分けること」
「うん、そうだね、合ってると思う」
入れ知恵された、っていう部分に、なんかそこはかとなく、鋭く光る棘が見えるけど。その棘が向けられるのは、自分じゃなくて神様だから、そこは頑張ってねって感じ。
それからコエリは、椅子も丁寧にテーブルの奥へとしまって、こっちよ、とテーブルから離れた位置に、腕を引いていきます。
「それじゃあ小恵理、一つ教えて?」
「うん、何?」
「ーー私がそれに、応じなければならない理由は、何?」
って、、え、えええっ!?
コエリは急に、黒いドレスを纏って、戦闘体勢に入っていて、、や、嘘でしょ!?
コエリ、てっきり納得してくれたと思ったのに、、手には、いつの間にか死を呼ぶ剣まで持っていて。ちょっと待って、とコエリに、思わず声を上げます。
「コエリ!? 二人になれば、魔力が暴走する危険だってなくなるし、コエリはコエリで、自分の思う人を大切にできるし、それこそ好きな人だって」
「黙りなさい、小恵理」
っ、、コエリは、すぐ横から急に黒いオーラを吹き出してきて、やむ無くコエリから飛び離れて、距離を空けます。暴走寸前じゃないけど、ここまで危うさを抱えるコエリの近くにいたら、本当にその剣で斬られかねないと、思っちゃって。
「コエリ、、!」
「小恵理、、私はね、あなたと、ずっと一心同体でいいと思っていたの。もし必要なら、時々あなたの身体を借りて、外に出る。いつもは外にいられないけれど、代わりにいつでも、どんな時でもあなたが私と共にいる。闇に生きる私にはそれで十分だったし、それが私の生き方だったのよ」
でも、、そんなの、コエリの幸せじゃない、と反論しようとして、けれどコエリは、また少し泣きそうな顔で、ねえ、と続けて呼びかけてきます。
「小恵理、もし私と分離して二人に分かれるというなら、、あなたに教えてほしいことがあるの。私は、この世界から解放されて、あなたに全てを託して、楽になれた、、本当よ? なのに何故、もう一度現世へ還らなくてはいけないの? 何故、また一人、個人として外で生きなければならないの?」
ほんの一時、外にいるだけなら、歪みが出ることはないかもしれない、、けれど、闇の魔力というものが世界からどう認知されているのかは、あなただって知っているはずよ、と。それこそ、今さっきに、神域ででもそういった偏見に晒されたかのように、コエリは続けてきます。
コエリ、、いつも鉄面皮のように、穏やかさを自分に強いていた、女の子、、でも、誤解されて傷付かなかったわけじゃない。ただ、何でもないようにそれを受け流して、必死に、耐えていただけ。その、コエリの泣きそうな表情から、その心の痛みが伝わってくるようで、思わず言葉に詰まります。
コエリにとって、ずっと外にいることは、それだけ厳しい世界に一人放り出されることなんだと、、絶え間なく人の悪意に、誤解に晒され続けることなんだと、わかってしまって。ただ生きることすら、嫌になるくらいに。
「コエリは、いや、、なの? 帰ってくることが」
、、ひどい質問かもしれない、と。自分でも思ったけれど、、そう、問いかけるしか、できなくて。
コエリは、その問いに、落ち着いた様子で、首を横に振ります。
「いいえ、、嫌ではないわ。この世界は辛いことも多いけれど、私にも大切に思う人も、大切に思ってくれる人もいた。それに気づくことができたのも、あなたのお陰。だからあなたには感謝もしているし、あなたの望みなら叶えてあげたいとも思っているわ」
でも、と。
コエリは深く息をついて、もう動揺も震えもしていない、手に持った漆黒の剣を、鑑定でもするように、憧憬でも感じているように眺めやりながら、あなたは、私に教えてくれたわね、と続けます。
「私は、私の意思で物事を決める。誰に流されることなく、自分の意思で。自分の理解と、自分の納得で。私は、私である限り、私であるために、ただ頷くわけにはいかないのよ。それが他ならぬあなたから教わった、あなたへの誓いだったから。だから、私はただ、あなたの答えを知りたいだけーー」
何故。私は外でまた生きる必要があるの、とーー
かつて、自分を見失って人形のようだった少女の姿は、もうそこにはなく。まっすぐに、心の奥底へと糺すように、こちらを見つめるコエリの問いは、重く、ただ通り一遍の答えや、逃げないでといった叱責、形だけの誤魔化しなんて、まるでお呼びじゃない感じがして。
でも、、世界の真理にでも迫るようなそんな問い、すぐに答えを思い付けるものでもありません。何より、生きないという選択肢を、迷いなく持ててしまうコエリだからこそ、生半な答えに、納得してくれるとも思えません。
答えに詰まる私に、コエリは、優美な騎士のように直立しながら、すらりと、剣を構えることで、自分の意思を示します。
「わからないのならーーいいわ、一手お相手願うわ」
漆黒のドレスを纏い、明確な、これまで、コエリから向けられるなんて、夢にも思わなかった強烈な殺気を、放ちながら。
「あなたへの質問は、命は、如何にして生まれ、如何にして生きるべきなのか」
コエリは、詠うように、その言葉を紡ぎます。
覚醒者の身体能力があって、なお冗談じゃ済まない、神速の剣を、その持ちうる至高の剣技を、存分に発揮する心持ちで。
「命とは、何なのか」
、、ダメだ、間に合わない。
答えを焦って探そうにも、何も思い付かないし、
「生きるとは、何なのか」
コエリの覚悟は、間違いなく本物で、それも、普段なら半分も発揮しないような、神速の剣を、全力で発揮する心づもりでいて。
「生とは、生きる意味とは」
もう、どうしようもなくて、、光の剣を掌中に生み出して、その死線を、待ち受けます。
コエリの振るう、絶対の死への誘いを。
「言葉で語れないのなら。その身体に、命に問いかけるまでーー」
ゼロコンマ一秒にも満たない、絶速の剣技ーー何も見えないまま、ただ気配と勘だけで持ち上げた光の剣に、
「つうっ!!」
衝撃は、五撃。光の剣に、ダンプでも突っ込んできたのかと思うような重い衝撃が迸り、後方へと大きく弾き飛ばされます。でも、勿論、その最中でも、空気の揺れる気配が、
「っ!!」
宙を舞い飛びながら、身体を捻るとか、首を反らすとか、そんな一つ一つの動作を認識すらできないまま、感覚だけでひたすら身体を動かしてーー更に、七撃。もはや、剣を打ち合わせる音なんて、重なりすぎて一つにしか聞こえません。
ただ、ひたすらに死というものの気配を察知して、何も考える暇もなく、ただひたすらに、剣を、手足を、銅を、その軌道から逸らす、、そんな動作を、十数繰り返したところで、ようやく地面へと着地、
ーーすら、できない、、!
足が地面に着いたと、認識する前に、再び後方に跳躍して、同時に、足先の空気を切り裂く、空気の振動を感じます。
「さすがね、小恵理。あなたは、生きたいのね、、」
そう、囁く声は、優しく、けれど、死神の呼び声めいて、冷たく。
更に後方へ下がることなんて、読みきっていたとばかりに、コエリは、バックステップで下がろうとする、すぐ正面に、迫っていて。
「くぅっ!!」
更に振るわれた剣閃が、いったいいくつ煌めいたのか、もはや感覚ですら捉えられないまま、右肩、左腕、右の脇腹と、立て続けに鮮血が舞い散ります。
傷は、いずれも深くない、、動作として、十数は動いていたはずだから、避けきれなかった、防ぎきれなかった閃光の数としては、上出来だったと思います。ちなみに死を呼ぶ特殊効果は、何度も発動しかけたけど、効果を発揮する前に光魔術で消し飛ばしました。
コエリは、5メートルほど前で一度立ち止まっていて、、それだけの本気の、もしここで私を殺してしまったら、自分も迷わず後を追うんだろうなと思うような、覚悟の剣の前に、ようやくここで、一呼吸目を行います。あまりに超速が過ぎる連撃の前に、ただ空気を一度吸って吐く、それだけの動作すら行えなかったのです。
たぶん、秒速にして十閃以上、、緊張と緊迫感で、こちらは全身に冷や汗をかいていて、身体と呼吸が、小刻みに震えていて。そんな、とてつもない連撃を続けたわりに、コエリの呼吸は落ち着いていて、改めてこの子の鬼才を痛感します。まるで剣撃の一つ一つに死神の鎌が満載にされているような、致命傷の嵐です。全く生きた心地がしなかったというか、自分でも、どうやって生き延びたのかわかりません。
一つ言えるのは、この子は、純正に剣だけで、間違いなく自分を殺せる力を持っているということ。おそらくは、カイロンにすら不可能なレベルで。
そんなものを立て続けに受けていた手は、もう握力がなくなってしまっていて、剣が滑り落ちそうになるのを、柄を握り直してギリギリで押し止めます。
今の、たった一度の攻防だけで、もう、手が痺れて、感覚もなくなってしまっていて、、次が来たら、最後。剣ではまず絶対に勝てない、文句なしの、最強の剣士、、コエリは、漆黒の剣を構え直して、もう一度、教えて、と呼びかけてきます。さっきよりも力強く、小恵理、と。
「何故、私は、現世へ還らなくてはいけないの、、? 小恵理ーー」
、、ああ。そっかーー
その、苦しげに口許を歪め、絶望感すら漂わせて尋ねるコエリの問いかけから、コエリの、本当の幸せを、理解します。
それは、私が、コエリにはこれが幸せのはずと。外にいるのが、コエリが自分で幸せを追求できるのが幸せのはずと、押し付けちゃいけないんだ。
この子に必要なのは、そこで幸せを追求していこうと、外で幸せになろうと、自分から思えるように、納得できる何かが、そこにあることーー
だから、、私が下せる、答えは。
再び剣を構え、神速の剣を、放つ、コエリにーー
「そんなのは、、! 私が、そう望んだから! それ以外の理由なんてないっ!」
剣を投げ捨てて、精一杯に、声を張り上げて。
迫る、絶殺の剣、死を呼ぶ剣、、その剣の柄を、素手で、コエリの手ごと掴み取って。
呼吸さえ届きそうな至近距離から、自分が言葉にできる、精一杯を、伝えます。
「人は、望まれて生きてるーーそれは誰かかもしれないし、何かかもしれない。人かもしれないし、世界かもしれない。運命かもしれないし、自分自身かもしれない」
「、、ーー」
「ただ、コエリは、私が、望んだから! あなたに、真っ当に生きて、今度こそ幸せになってほしいと思ったから!!」
それしかないんだよ、と。
遥か昔に凍りついてしまった、心の根底を縛る、この子の恐怖という名の鎖を、ほどくために。
「だから、お願いコエリ、帰ってきて!!」
ーーその、まっすぐに、叩き付けるような思いを受けて、コエリは、
「、、強欲なのね。でもいいわ、それがあなたの願いだというのなら」
ふっ、と。表情を、緩めて。
この呼び名も懐かしいわね、なんて、どこか自虐的に、笑って。
「私はミディアム・コエリ、ーー小恵理の思いに、応える者、、!」
そう剣を捨てて、一つ瞬きをして微笑むコエリは、いつも通りに冷静で、どこか誇らしげで。けれど、黒歴史でも思い出したみたいに、恥ずかしそうに、はにかんで。
「今回は、そういうことで、納得してあげる」
コエリは、ありがとう、と。
お礼を言うと、今まで見たことのないくらいに、柔らかく、花の咲く春のような暖かな笑顔で、微笑みました。
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