ホロスコ星物語143
コエリは、苦しげに、悲しげに顔を歪めるベガを、優しく、慈母のような瞳で見つめると、自分の過去が、現在の大切な何かを喪わせていくような感覚を覚えながら、消え入りそうな儚げな笑みを浮かべ、いいのよ、とかすれた声で続けます。
「あなたが、苦しむ必要なんてないの。今は、自分の心に素直になって、いいのよ」
そう、、ベガの、無言で俯き、手を真っ白になるほどに握りしめて、歯を食い縛るような仕草が、その答えが正しいものであったと、雄弁に告げていました。
ベガの葛藤の正体はーー姉を失った悲しみを、ユリアナと接したことで、今更ながらに思い知らされて、自分の中で処理しきれずにいるから、、自分では意識していなかった悲しみを、まさに悲嘆に暮れ、恨みと怒りを抱えるユリアナを目の前にし、実際に慟哭の声を聞かされたことで、ベガの中でもそれが思い起こされてーー抑えきれなくなってしまったから。
ベガは、元々が家族思いで、仲間も身内も大切にできる好青年です。そんなベガが、いくら昔とはいえ、自分の実の姉を喪った悲しみを、忘れていたはずはないのです。
ただ、もう昔の話だからと、終わった話だからと、自分を納得させて、忘れたように過ごしていたにすぎません。それも、おそらくーー、誰によって、という事実を知らなかったからこそ、ベガも終わったことだと思えていただけで。
恨みをぶつけられる対象がいない以上、どうせどうにもできないからと。気にしていても仕方がないと、悲しみを忘れて、割り切っていたのです。けれど実際に、もし仮に目の前にその相手が現れたとき、自分でも何をするかわからない、と語っていたという話は、大分前にコエリもベスタから忠告として聞いていました。
その上で、ベガが誰にでもではなく、コエリに対して、ここまでの葛藤を抱いているということは、、それはつまり、ーーベガは、知っているということにほかなりません。ベガの姉、デネブをいったい誰が、死に追いやったのかを。
そんな機会があったとして、、考えられるのはただ一つ、前回アルタイルの睡眠不足を解決に来た、雨の日の夜です。あの日、コエリは子爵に11年前、自分が闇魔術を暴走させてデネブを死へと追いやったことを詫び、子爵本人からは、結果として赦しを与えるという話を聞かされました。
あの時、確かに部屋の外には、何者かの気配があって、、動揺し、自分で自分のコントロールが利かなくなっていたコエリは、結局あの夜、逃げるように帰ってしまいました。その、あの時感じた子爵以外の気配が、もしベガだったなら、、ベガに、この事実が知られていることも理解ができます。
それも、それでもーー、翌日、ディセンダント公が来校する日に、学校で会った際には、どうにか飲み込むことができていたのでしょう。大きな葛藤があって、乗り越えるまで、おそらく朝には不可能で。昼休みになってようやく声をかけてきたのは、おそらくその事実を自分の中で処理する、猶予を欲していたからなのだと思います。
けれど、そこで抑えていた感情は、きっとベガの中で、いつまでも燻っていて。ずっとそのまま意識せずにいられたなら、そんな平穏な日々も続けられたのだろうけれど、、その均衡を崩したのが、ユリアナの過去を嘆き、苦しみと哀切に暮れた悲嘆の声だったわけです。
コエリは、それら全てを静かに受け入れて、いっそ穏やかなほどに落ち着いた心で、ベガ、と呼び掛けます。
「あなたは、どうしたい?」
何が起きようと、全て受け入れるーーそれしか、できることはないけれど。
それが、自分の贖罪の証。そう覚悟を決めて、澄みきった声音で問いかけるコエリに、ベガは、唇を一度強く噛んで、ついに声を発します。
「俺は、、っ! なんで、姉さんだったのか! 姉さんが、、なんで、、!」
ベガは片手で目元を覆って、大きく息をつきます。そして、じっと自分を見つめるコエリに、目を上げることができず、両手を強く握りしめて、俯いたまま言葉を続けます。
「今までは、、俺だって気にしたくなんてなかった、、! もう過去のことだ、終わったことだって、、でも、あいつが、ユリアナが」
ひどい嘆きと悲しみの慟哭で、訴えかけるユリアナの哀切の声を聞いた時、、初めて自分の中の悲しみを自覚したのだと、ベガは言います。そして、それがとても無視できないほどに大きなものだったことを。
今までは、ただ無意識に押し込めていただけで、、見ないふりをして平静を保っていただけで、自覚してしまえば、その悲哀はもう、自分にとっても到底無視できないものだったのだと。
「だから、部屋に籠った、、それは、仇である私と会わないため?」
「、、っ!」
違う、と本当は言いたかったのでしょうが、、一瞬だけ目を上げかけ、口だけが動き、けれどベガは顔を背け、声を発することはできませんでした。
その、否定も訂正もできず、声も出せなかったという事実を、コエリは冷静に受け止めます。
ベガは、けれど訪ねてきたコエリを、拒否することはしなかった、、部屋に招いて、ただ責めることもできずに、どうにかそれを抑えようと、今も自分自身と戦っているのです。何を言いたいのか、何を言えばいいのかも、自分自身でわからないままに。
コエリは、そっと近付き、ベガの手を取ります。けれど、それは衝動的にか、強く払われることで、振りほどかれます。同時に、コエリを突き飛ばすような形になって、コエリとの間に、数歩の距離が空きました。
ベガは、最初は自分でも信じられないような顔をしていました。しかし、ついに耐えきれなくなって、窓へと駆け寄り、その枠に足をかけます。
「ベガ、危ない!」
「、、っ!」
ベガは、一瞬だけ潤んだ瞳で制止するコエリを見つめ返し、けれどそこから躊躇いなく窓枠を乗り越え、跳躍して自宅の向かいの屋根へと跳び上がります。
「ベガ、、っ!」
コエリは、自分も窓を越え、自分自身もよくわからないほど大きな躊躇いを抱えたまま、自分も屋根へと跳躍します。ーーこれ以上追っても、本当はベガを追い詰めるだけなのかもしれない、という思いと、それでも放ってはおけないという、二つの思いを抱えて。
ベガは、素足のまま屋根に立ち、夕日を背に風に吹かれながら、全身を震わせて俯いていました。
「ベガ、、」
「来るな! 来ないでくれ、、っ!」
ベガは、血を吐くように叫び、ついに地面へと玉の滴がその頬を伝って落ちていきます。
コエリは、それを、見過ごせない思いで見てしまって、、ベガ、と心が不安定にざわつくのを感じながら、か細い声で呼び掛けます。
「私は、、どうしたらいい? どうしたら、あなたのその心を晴らすことができるの?」
ーーこんなところでも。こんな場所でも、過去の自分が犯した罪を目にしなければならない。それだけのことをしてしまったのだという思いと、全てを投げ出したい思いが、自分の中でも交錯するのをコエリは感じます。
いっそ、ベガが暴君であったり、人を思いやれない心の持ち主であれば、コエリも遠慮なく自分を斬らせて終わりにしたでしょう。そうして仇を討って終わりにしてしまえば、お互いに楽になって終わることができるのだからと。
けれど、ベガは、、ベガにとっては、そんなことをしても、後悔しか生み出せないとわかるから。
ベガは、俯いたまま答えずーーコエリは、ならばと、一度指を鳴らして、周囲に黒い靄を漂わせます。
「私は、あなたには、、決めてもらうことしかできないから」
この靄は、影画。以前ベガに見せています。だからわかるはずです。
コエリは、今度は指を鳴らすことなく、それが維持に必要な魔力を失って、ただ薄れ、散って消えていく様を見送ります。
それを、ぼんやりと自分を見つめるベガに、コエリは、優しく微笑みかけます。全ての強化を解いた、無防備な状態で。
「ごめんなさい、私には、結局いつも、こうすることでしかお詫びをする方法が思い付かない、、いいのよ。私も文句は言わない。あなたには、私を殺す権利がある」
「、、っ!」
コエリは、続けて自分の影から剣を一本取り出すと、それを静かに屋根の上へ置き、腕を後ろに組んで、沈んでいく夕陽を見つめます。
「これで、あなたでも好きにできるはずよ。私は、あなたが苦しむ姿は見たくないからーー気の済むように、どうぞ」
「、、! 俺だって、、俺だって、、聖人君子じゃねえんだよ、、っ!!」
ベガは、ほとんど衝動のままに、両手へと雷の魔力を溜め、無防備に立つコエリへと向けます。
コエリは、いっそ穏やかな顔で目を閉じ、抵抗する素振りは勿論、一切逃げようとも、避けようとすらもしません。どこをどう撃たれようと、切り刻まれようと、それによって撃ち殺されようと、真実全てをベガに委ねたのです。
ベガは、魔力を溜めたまま、強く唇を噛んでーー
「、、っ!?」
その身体に、突如どこからか湧いてきた、黒い鞭のような魔力が絡み付きます。そしてそれは、ベガの腕にも巻き付き、身動きが取れないほど厳重にベガの身体を縛り上げていきます。
「な、これは、、!」
コエリは、今も目を閉じたまま夕陽の方を向いていて、これがコエリの魔力ではないことは明白です。けれど、これもまた闇魔術であることは、魔力の波長からもその色からも明らかで。
「なにをしてるんですか、、! なにをしてるんですか、兄様!!」
ーーそれは、今しがた跳躍してきた、ベガの部屋。その窓には息を切らせて、必死の顔で闇魔術を維持する、アルタイルがいて。
アルタイルは、コエリに闇魔術の指導を受けて以降、二つ三つと課題をこなしていて、今では初歩の闇魔術くらいであれば扱えるようになっています。それでも、束縛の鞭を扱えるほどには、魔術の腕は上達していないはずです。ーーそれはつまり、発動ができても、維持の能力はないということで。
コエリが、その不穏な波動に気付いたのは、アルタイルの扱う闇魔術が、小刻みに震え始めたからでした。
それは、闇魔術が、制御を失っていく前兆でーーコエリは、とっさにアルタイルに向けて、ダメよ! と声を上げます。
「アルタイル、闇魔術は恐怖を糧に暴走する! 恐れずに、集中して!!」
おそらく、幼いアルタイルにとっては、今のこの、兄がコエリを殺害しかけていたという光景は、危機以外の何ものでもなかったはずです。そこには当然、何が起きてしまうのか、兄はいったい何をしようとしていたのか、これからどうなってしまうのか、といった心を伴うもので。
「う、、っわああ!」
「アルタイルっ!」
大きくうねりを上げ、突如闇魔術は、その制御から逃れようとするように、窓枠からアルタイル自身を大きく振り上げます。
幸いというのか、アルタイルは他の屋根の上へと転がされ、派手な音を立てて屋根の瓦を撒き散らしただけで済みました。ただし、その身体は、身を起こそうとするだけで、バランスを崩して落ちてしまいそうなほどに、屋根の縁ギリギリでーーその手から伸びた闇の鞭は、命でも持っているかのようにいくつも枝分かれし、今度は束縛をほどけずにいるベガを貫かんと殺到します。
「ベガ!」
コエリは、反射的に漆黒の剣を拾い上げると、影画の強化はないなりに、十分な余裕をもって素早くベガの前へと移動します。けれど、
ーーアルタイルの魔術は、制御不能となって暴れているから、威力自体は侮れません。けれど維持能力に欠けるということは、魔術自体の脆さを意味します。
それはおそらく、この剣で斬ると、威力がありすぎて、余波でアルタイルにも被害を及ぼすということで。しかもこの、不安定な屋根の上で。ーー闇魔術で迎撃するのも同様、いくら影画がないとはいえ、容易に弾き飛ばして、アルタイルを屋根から容赦なく撃ち落とすことになるでしょう。
つまり、この場は守るしかないということーーけれど、闇魔術に防御の結界はなく、黒炎は逆に至近距離にいるベガを巻き込みます。つまり、ここでできるのは、
「これ以上はダメ、、アルタイル!!」
コエリは、最後の手として、その身を盾とすることでベガを庇います。それがーー、かつて、いつか見た、妹を守ろうとした人と、全く同じ光景だと気付き、全ての殺到する黒の槍が、コエリの身体を貫くーーほんの一瞬前に、
パリイン、という、乾いた音が。
クライストの敷地に鳴り響き、この場に展開されていた、全ての魔術が、陽光を反射しながら風に舞う、光の塵となって消えていきます。
アルタイルの手から、闇魔術のうねりは消え、、ベガを縛り上げていた闇の鞭も、もうありません。殺到していた闇魔術の枝もなく、一瞬にして、周囲は静寂へと包まれます。
「やれやれだぜ、、感謝しやがれよ、ベスタ?」
「ここで感謝するのは、僕じゃなく彼らじゃないか? 僕も、おかげで手を汚さずに済んだけれどな」
そして、いつどうやってここへ来たのか、アルタイルの目の前には、黒色の肌と筋骨逞しい巨躯を持つ魔族と、その左肩に大胆に膝を付いてバランスをとる、ベスタの姿があって。
コエリは、瞳を閉じて、ベガへと抱きついた姿勢のまま、しばらく身を固くしていました。しかし、予想していた痛みが来ないことで、やがて、そこに現れた気配に気付きます。
「ははっ、神速の姉さんも、強化がなきゃ可愛いもんじゃねえか。こりゃいいもん見せてもらったぜ」
「、、レグルス」
あなたが何故ここに、とコエリは問いかけ、同時に、その肩からベスタが降りて、屋根の上へと着地するのを見つめます。
ベスタは、先程学校で分かれた時と、そこまで変わったようには見えません。ただ、内心では、どうにも複雑な思いを抱いているのは見てとれました。コエリを責めるべきか、ベガの方を責めるべきか、というような。
結局ベスタは、コエリへと責めるような目を向けて、面倒をかけないでください、と警告をしてきます。
そう、、これは警告です。注意などといった生易しいものではなく、次はない、とでも告げているかのような、硬質な声と刺すような瞳で、ベスタは続けます。
「コエリ、あなた僕を犯罪者にするつもりですか? 僕は以前言いましたよね、小恵理とあなたなら、僕は迷わず小恵理を選ぶと」
「、、話が見えないわ」
「もしあなたがその命を投げ出そうとするなら、僕は何をおいても、どんな手段を用いてでもそれを阻止するということですよ。ーー例え8才の子供を手にかけることになろうと、あなたを気にかける友人を手にかけることになろうと」
その、今すぐにでも実践しかねないほどの気迫を含んだ容赦のない声と、機械のように冷たい目線を頭上から受けて、アルタイルは肩を跳ねさせ、体を震え上がらせて怯え始めます。
その目は、悲しみに沈んだベガにも容赦なく注がれ、コエリは、ベスタ、とこちらからも声質を強めて呼び掛けます。
「私は、、彼らのお姉さんを永久に奪った張本人よ。彼らには、私を撃って仇を討つ正当な理由がある」
「だからなんです? 僕には僕の譲れない理由がある。そもそも、あなたは失敗しているんですよ」
「、、っ!?」
その、強い口調のまま有無を言わさず断じるように告げると、ベスタは腕を振って、いきなり横凪ぎの突風を起こし、コエリへと叩きつけます。
コエリは、屋根から否応なしに吹き飛ばされて宙を舞い、その身体は隣の倉庫の屋根へと転がされます。同時に、ベスタは無防備に立つベガへ向けて、魔術を展開していて。
「ベスタっ!?」
コエリが身を起こすのをわざと待ち、そして見上げるコエリの目の前で、助けに向かうのが絶対に間に合わないタイミングで、ベスタは容赦のない雷撃をベガへと放ちます。
夕暮れの光景を両断するように、バリッ、という一瞬の閃光と、パリン、という、何かが割れるような音が響きーー
「ーーーえ?」
明らかに致死的な威力の一撃だったはずが、屋根の上には、腕で顔を覆うようにしたベガが、変わらずに立っていて、、その足元には、褐色の宝石が、陽光を照らしながら、何かの強い衝撃を受けて、砕けて転がっていきました。
あれは、、以前、確かアルタイルの様子がおかしかったからと。クライスト邸を訪れた日の帰りに、ベガに渡したトパーズの魔法石です。せめてもの護身用にと渡したはずの。
「、、持っていたの?」
「コエリが、、なるべく持ってろって」
ベガは、その言葉を忠実に守って、、だから。
「つまり、あなたは無駄にその命を散らそうとしていたのですよ。こんな初歩的なものにも気付かずに」
最初から、ベガへの一撃は、致命傷にはならなかった、、驚きに固まるコエリへ、ベスタは、呆れるではなく、むしろ怒りさえ滲ませて、わかりましたか? と問いかけます。どれだけコエリが冷静でなかったのか、どれだけ愚かな選択を採ろうとしていたのかを、断罪でもするように。
「あなたに、本当に小恵理を任せておけるのか、、僕は今、とても疑問に思っています。ーー一つ、試してみましょうか」
ベスタは、今度は不意に風の魔術を両手に溜め、身構えたコエリではなく、至近距離のアルタイルに向けて解き放ちます。
突如巻き起こった上昇気流は、一瞬にしてアルタイルを空高くへと放り上げて、
「うっわあああ!」
「アルタイル!」
コエリは、とっさに起き上がると、その軌道を計算して屋根から庭へと降り立ち、その着地点に入り、同時に、
「っ!?」
どすっ、という鈍い音が、自分の鳩尾から鳴り響き、呼吸が止まって、そのまま意識が薄れていくのを感じます。
それは、普段であれば、なんということもない、余裕をもって避けるか、返り討ちに切り払って終わる程度の一撃だったのかもしれません。けれど、全ての影画を停止し、強化を失って不意を打たれたコエリには、十分すぎる一撃となっていて。
ベスタはその突きを入れた姿勢のまま、やっぱりですか、と呟きます。同時に、降ってきたアルタイルは、風の魔術でクッションを作って受け止めます。
「僕は、今のあなたでもちゃんと反応できる速度で動いたはずですよ。なのにあなたは、クライストと関わることで、こうも弱体化してしまうのですか、、それでは、小恵理にとっては危険すぎます」
前回、コエリが風邪を引いたときから気にしていたのですよ、とベスタは語り、自分に身体を預けたまま、かろうじて意識を繋ぎ止めながら、呼吸もままならず、虚ろな瞳で、言葉も発せずにいるコエリに、大きくため息を付いて話を続けます。
「今回は、これで終えますが、、丁度見かけたユリアナに話を聞いておいて正解でしたね。ーー次に同じことをするなら、僕は容赦なくクライストを潰します。元凶を断てば、もうこんなこともなくなるでしょうから。覚えておいてください」
「ベ、スタ、、」
ベスタは、浅い呼吸を繰り返すコエリを庭へと横たえると、レグルスへ、行きましょう、と呼び掛けます。最低限、隠蔽の魔術は使っているものの、魔族たるレグルスがこれ以上こんなところにいては、大騒動になりかねないからと。
レグルスは、おう、となんでもないように答え、ベスタが再び屋根の上に跳躍してくると、同時に自分の影を開きます。
「しっかし、お前、あんな一撃までくらわして、あとで元気になった姉さんに殺されても知らねえぞ?」
「それならそれまでだ。僕は小恵理のために殉じるなら本望だ」
「けっ、お前も大概だな」
そしたら俺が逃がしてやるしかねえじゃねえか、とレグルスは軽口を交わした後、そんじゃ行くか、と影へとベスタも引き込んで、同時に転移をします。今までは、影による転移はレグルス一人の専用移動魔術だったはずですが、ベスタが何か工夫でも加えたのか、どうやらこれを使って二人で、揃ってここまで追い付いてきたようでした。
アルタイルは、二人が去ったことで、ようやく恐怖から立ち直り、コエリの下へと這い寄ります。そして、気は失ってしまったようですが、無事息があることに安堵し、にいさま、と屋根の上で一部始終をただ眺めていたベガへと呼び掛けます。
「にいさま、力をかしてください! コエリさまを運びましょう!」
「、、アルタイル」
ベガは、ひとまず自分も庭へと降り立ち、ここでようやく屋敷から顔を出した父へと振り向きます。
いつからいたのか、定かではありませんが、父であるクライスト子爵は、明らかに問題のある光景を目にしてしまったことで、困ったように眉根を寄せていました。けれど、やがて意を決したようにベガへ、運ぶぞ、と声をかけ、
「私も、お前には話しておかなければならないことがあるようだ」
父らしい威厳ある声で、そうベガへと話を続けました。