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ホロスコ星物語173

結局、コエリが再び存分に腕を振るい、ヘレナも途中で起きてきて、もはや農家の朝食というよりは、宮廷料理の域ですね、とベスタすら認めざるを得ないような出来映えとなった朝食を、四人全員でこの上ない満足と共に平らげてーー

「それでは、今日中には出発されるのね?」
「はい、つきましては、可能であれば、その前にヘレナさんにも少しお話をお伺いできれば、と」

背中まで届く赤い髪をゴム紐でポニーテール状にまとめ、麻の服にエプロンという、こざっぱりした格好で食器を洗うヘレナに、ベスタは慎重に、さも重大な話なのだ、と匂わせるように声を低めて頷きます。

コエリは今、食後の散歩に、とねだるミリアムに付き合って外へと出掛けていて、家には今、ベスタとヘレナの二人しかいません。もし取り乱されても、穏便に収められる人はいない、、という、この状況はベスタも承知していましたが、今この場でなければ、聞けないことがあったため、意を決して声をかけたのです。

ヘレナは、若干とはいえベスタにも警戒感を持っている様子で、極力ベスタから完全に目は離さずに済むよう、上体を捻り、横を向いた状態で水洗いをしながら、化粧の薄い、その薄幸の美人然とした顔貌を曇らせます。

「それは、やはり、、当時の?」
「おそらく、ご推察の通りです。簡単な質問で結構ですので、数点程度、確認させていただけたらと」

ヘレナは、そうですか、と頷きながら、若干顔色を白くし、カタカタと手を震わせます。

やはり平静ではない、、と理解しながら、けれど、会話くらいはできそうだと、少なくとも、当時のことを思い返すだけで取り乱しはしないということを見て取り、ベスタは、早速ですが、と切り出します。

「先にお一つ確認させていただきたいのですが、あなたは10年前、あの山間部の、崖に面した村から逃げてこられた、、間違いありませんか?」
「ええ、、恐ろしい夜でした。船に乗っていらっしゃった聖戦士様に助けていただけなければ、娘共々、今頃はこの世にはおりませんでした」

聖戦士、、というのは、おそらくはデネブのことですね、と。文脈と役割、船というキーワードからそれを推察して、ベスタは、では、と重ねてヘレナへと質問を続けます。

「ヘレナさんとミリアムは、共にあの村の出身だと?」
「ーーー」

問いかけながら、ベスタは一瞬口をつぐんだ、ヘレナの表情の変化を見て取ります。そこに生じた、一瞬の迷い、、迷いが生じたという、事実を。

やがて、ヘレナは、うっすらと、何か、ベスタにすら薄ら寒さを感じさせるような、乾いた笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振ります。

「いいえ、生まれで言うなら、もっと北と言われています。ーーベスタさんは、何故そのようなことを?」
「ーーー」

ベスタは、どう答えるべきかを、こちらもまた一瞬の躊躇いで、考えます。

普通に、気になっただけ、もしくは、その髪色と雰囲気に心当たりがある、、どちらで答えても、問題はないはずです。ーーなの、だけれど。問いかけるヘレナの笑みは、ベスタの第六感に、えも言われぬ警戒感を与えていて。

ネイタルの覚醒者であるベスタは、一般の人間は勿論、生半可な魔族であれば、複数人を同時に相手取って、なお優位に保てるだけの戦闘能力は持っています。だから、仮に怪しまれ疎まれ、どこからか刺客でも送り込まれたところで、返り討ちに遭うのが関の山、何かを恐れ、警戒しなければならない理由などないはずなのです。なのにーーこれはまるで、

「いえ、、僕は」
「ただいまー!」

ーーと。無意識に否定しようとしたベスタの言を遮るように、ガタガタという、立て付けの悪い戸を強引に開くような、滑りの悪い音を響かせて、玄関の戸が開けられます。

そこから、まずはミリアムの小柄な体躯が飛び込んできて、一瞬でヘレナの不可解な雰囲気は掻き消え、相好を崩して愛娘を抱き止めます。それから、遅れてコエリも入ってきて、

「ベスタ? 何をしていたの?」
「いえ、、少し世間話を」
「それでごまかせると思っているのなら、あなた一度鏡でも見てみなさい。ものすごく表情が固いわよ」

あとで話を聞かせてもらいますからね、と。目を細め、やや表情を厳しくしたコエリに告げられ、ベスタは、自分の顔に手を当て、本当に表情筋が凝り固まってしまっていることに苦笑します。

そして、ヘレナへ、帰りました、と軽く挨拶と会釈をしてから、今日の方針について話しましょう、とコエリは上に誘って。それに応じて、ベスタも、自分もヘレナへ、お話聞かせていただきましてありがとうございました、と丁重に挨拶をして、コエリの後を付いていきます。

、、あの、莉々須に聞かされていた、原作というものの展開から。それぞれの人物の裏側を推測することは、ベスタには可能です。全てを詳細に知るのは莉々須だけですが、ベスタにとって、今の会話で得るべきものは得たと言えます。

そういえば、莉々須は今どうしているのでしょうね、、と、あれから一切音沙汰のない友人の姿を思い出しながら、ベスタは部屋へと戻り、

「それで、さっきはヘレナさんと何の話をしていたの?」

それも私がいない間に、とコエリはベスタを目を細めて、不満があると同時に、その裏を見極めようとするような、落ち着き払った理知的な瞳で見つめてきます。

コエリについては、ベスタすら唸らせるだけの洞察と思慮深さを持ち合わせていて、隠し事をしても、ことごとく看破される、という道化じみた体験は昨夜ベスタも味わっています。隠す方が悪い結果を招くというのであれば、仕方ありません、とベスタは観念して肩を竦め、素直に先程ヘレナに問うた二点について、口を割ります。

「つまり、ヘレナさんは十年前にあの村から逃げては来たけれど、元々があの村の出身ではない、ということ?」
「ええ、もっと北の出身だそうです。もし本当に村の人間であれば、隠す意味もありませんから、先の出身を問う質問で、素直にはいと答えたでしょう」

あの会話で村の生まれかを聞かれて、答えを躊躇った時点で、違う場所の出身であることは明らかでした。北、という方角についてはある程度の幅をもった考察が必要かもしれませんが、少なくとも、ベスタにはそれは真実のように感じられます。

コエリは、自分も考察を深めるように、顎に手を当て、つまり、とその結論を口にします。

「出生地は村ではない、、それは不確定ではあるにせよ、アルトナとの繋がりは、やはり可能性があるということよね。いいわ、話してくれてありがとう」

コエリは、柔らかな笑顔で礼を言うと、それじゃあ、とすっかり陽の上った窓の外へと目を向けて、今日の方針ね、と切り出します。

「ひとまず村での用件は済んだと思うから、私としては、あまり時間が遅くならないうちに村を出て、そうね、なるべく早く、ベツレヘム領までは抜けてしまった方がいいように思うけれど、どうかしら?」
「、、理由を聞きましょうか?」

ベスタは、興味深げな目を向けて首をかしげ、コエリの方針に質問を投げ掛けます。何故そんなに急ぐべきだと思うんです、と。まさか黒龍の噂が原因ではないでしょうね、と冗談まで交えて。

コエリは、あなたもわかっているはずよ、と逆に挑戦的な笑みを返してきます。むしろあなたの方が詳しいくらいでしょう、と。

「昨夜のアルトナの捜索依頼については、あなたも覚えているわよね?」
「勿論。王家の、もとい王子の意向が働いている、というやつですね?」
「そう。でも普通に考えて、王家が本気で動くのであれば、人数的にもまず第一に声がかかるのは王家所有の騎士団であるはず。なのに、わざわざ冒険者を動かしている、、理由は何かしら?」
「僕にそれを答えろと?」

わかるわよね、という視線を受けて、ベスタは苦笑し、仕方ありません、と首を振って、おおよその理由はこうでしょう、と話し始めます。

「確かに、人の捜索となれば大部隊を動かす人海戦術に勝るものはありません。ただ、騎士団というのは、規律と命令が何より重視される堅物の集団ですから」

場所がベツレヘム領で、かなりの遠出が想像されるとなれば、次元収納のない騎士団には、当然荷駄隊なども組まれるわけで、その足並みは普通の個人と比べて著しく悪くなります。だから、まずはフットワークの軽い冒険者に先行させて情報を収集させ、おおよその騎士団の行くべき方向性を定めようとしたのではないか、と。

要は、騎士団がどこに向かうべきかを見定める先見隊、、それが、冒険者の役割でしょう、とベスタは答えます。その自分の思う答えを聞くことのできたコエリは、だと思うわ、と頷き、だからこそ、無期限の高額報酬などという、冒険者の飛び付きやすい条件を掲げたのでしょうね、と続けます。

「昨日ヘルガたちも話していたけれど、冒険者たちは、自分の得意分野に合致するか以外にも、基本的には報酬の高さと依頼の難しさの兼ね合いで依頼を受けるかどうかを決めるようだから、、魔物を相手にする必要すらない捜索依頼、しかも無期限で高額、となると、ヘルガたちでなくても飛び付くわよね」

昨日のジグネの喜びようからすると、冒険者がこれからベツレヘム領に集まってくるのはほぼ確定事項で、討伐依頼以外に、アルトナの捜索を副次的に請け負った人間も多くいることでしょう。もしかしたら新侯爵との利害の一致から、それを狙って、ジュノーと新ベツレヘム侯爵の二人が結託した可能性もあります。そしてこれでジュノーの狙い通り、ベツレヘム領内にアルトナがいるのかは、ほとんど調査ができるはずです。

そしてその、ギルドを総括するのが宰相の役割でもありますから、ベスタがその冒険者たちの性格を知らないはずがありません。コエリに話を振られていると察したベスタは、つまり、と後を引き継いで、苦笑混じりにその結論を口にします。

「これは言い換えれば、後から騎士団がやって来る前兆ともいうべきものでもあるから、これに追い付かれる前に、どうにかベツレヘム領を抜けたい、、というわけですか。ちなみに、何故騎士団に追い付かれるのはまずいと?」
「ジュノーが、躍起になってアルトナを探している理由、、それって、あの子を探してるからなんじゃないかしら」

と、コエリはここで、急に難しい表情で俯き、口に手を当てて、勿論、私は現場を見ていないのだけれど、と断りを入れた上で、眉間を寄せ、気まずそうに目線を泳がせます。

ジュノーが小恵理に並々ならぬ想いを抱いていることは、ベスタは勿論、コエリも承知しています。わかっていないのは小恵理当人くらいのものなのです。

そして、その当人がわかっていない、というのが、ここでのとても大きな問題で、、アルトナが誘拐されたことを、異空間での魔王との争いの後で知ったとして、小恵理がどう動くのかは、実はさほど予想の難しいことでもありません。

絶対に、助けようとする、、自分の見知らぬ人だからとか、そんなことは関係なく、全力で、それも、電光石火の勢いで。事実、それはあの廃墟となった村でコエリが無理やり叩き起こされた際に、ベスタから聞かされているのです。あのベスタが青くなるほど、二人で異常な加速をしてベツレヘム領まで駆け抜けてきたと。

そして、それだけ全速力でここまで走ってきた小恵理が、自分はただのお飾り婚約者で、自分のことなんてどうでもいいと思っていると誤解している、ジュノーに対して、わざわざ出発の断りを入れてきたとは、全く思えなくて。

「こういう場面ではわりと猪突猛進なのよね、あの子、、」

コエリは、溜め息をついて、困った子よね、と一つ嘆き節を入れてしまいます。婚約者でもある聖女が無断で王都を出奔したなど、王家としても一大事ですし、まして国を飛び出されなどしては、国家としての威信にも関わってきます。かといって、小恵理を追え、などと明言すれば、それは聖女が出奔した事実を公表すること、王家の威信を失墜することと何ら変わりません。けれどその辺りの事情を、小恵理が理解しているとも、到底思えなくて。

だから王子は、まずはアルトナを追えば、必然的に小恵理をも追うことになるのだからと。小恵理ではなく、アルトナの捜索を命じ、必死にそれを追うことで、小恵理の確保を目指しているのではないか、とーー

せめて、一言くらい断ってから出ていてくれていれば、、ともう一つ大きくため息をつき、その考えなしの暴走に苦慮するコエリに、言わんとするところを理解して、ベスタは、そうでしょうね、とコエリに苦笑を送ります。事実、ベスタは、単に自分が忖度しなかっただけで、実際に、小恵理が王子には無断で王都から飛び出てきたことは承知していましたから、王子がアルトナを追っている真意については、十分に推察できる話ではありました。

「でも、それでもあなたは王子の下に帰るのではなく、彼らに追い付かれる前に北上してしまうことを選ぶんですね?」

ついつい悪い癖だとは思いながら、ベスタは意地悪く、その矛盾を問いかけてしまいます。王家のメンツに配慮すべき、とするコエリのその思想と、その出てきた結論部分には、大きな解離があるような気がして。

コエリは、いよいよ拳を固めて俯き、だって、とそれこそ苦悩を抱えている様子で、ぽつりと、ベスタへその葛藤を口にします。

「仮に、王子の下に帰ったとして、アルトナはどうなるの? また解放されるまで何日かかるの? その間、アルトナは無事でいられる? あなた保証できる? そんなタイムロスをしても、アルトナはちゃんと生きて帰ってこられるって、、!」

ここに来てから、なるべく意識しないようにはしていたけれど、、アルトナは、コエリにとって大切な友人なのです。自分の思想と矛盾をしているからと言って、安易に切り捨てられるような思考は、コエリは持ち合わせていません。

確かに、本当であれば、今小恵理は眠っていて、身体の主導権はコエリにありますから、今からコエリが南下でもして、どこかで騎士団と合流すれば、小恵理をジュノーに返すことは簡単です。そのあと自分が引っ込んでしまえば、小恵理は自分でその清算に努めることになるでしょう。

けれど、アルトナは、今も魔王に囚われの身でーーその身がいつまで無事でいるのかは、誰にもわかりません。

本当であれば、この村でゆっくりしていられるような猶予すらなかったかもしれない、、アルトナのことを思えば、そんな焦燥も、ないわけではなくて。あの魔王は、人を騙すことに関しては誰よりも長けていて、安心と思わせてドン底に叩き落とすような、非道なことだって平気でできるに違いないのだから。

そんな魔王の下に、大切な友人であるアルトナを、いつまでも置いておけるわけがない、、その、額を微かに震える手で押さえ、瞳を曇らせるコエリの深い深い憂慮に、ベスタは、どこか苦しげに目を伏せ、わかりました、と頷きます。

「すいません、冗談も少し度を過ぎました。そうですね、、相手は魔王、莉々須と同様、原作を知っているという話もあるようですし、安心や油断は大敵なのでしょう」

少なくとも、原作をなぞって対策を考えるだけのこちらに対して、相手は原作の大筋こそ外れないとはいえ、原作を利用し、応用し、改変して何かを仕掛けてくるだけの智恵を持っています。あの魔王が小恵理を最終的に手にするため、近い将来何かを仕掛けてくるだろうことは、容易に想像が付くことでもあって、、それが何かは、ネイタル覚醒によって強化され、学年一の秀才といわれた頭脳をもってしても、わかりはしないけれど。

ベツレヘム領におけるここから先の行程は、中規模都市のイェニーを残すのみ、ここ数日はやや寄り道ぎみで、お互いにアルトナを捜索している以上、王子の部隊の進行速度によってはどこかでかち合ってしまう可能性もないではありません。けれど、おそらくはそれも、リーガルの山地までのはずです。いくら王子でも、国家保有の貴重な騎士団を、前人未到の地などで消費してしまうわけにはいかないはずだから。

とすると、王子の手を掻い潜るためには、まだ騎士団の姿がないうちに、今日はもうこの村を出てしまって、イェニーに寄って最後の物資の補充とアルトナの確認をして、早くにリーガルの山地に挑む、、それを一番の今後の方針として、コエリとベスタは頷きあいます。

「それでは、あの親子へ別れの挨拶としますか」
「ええ、、これから先ミリアムも、元気で、無事でやってくれると良いわね」

コエリは、目線を落として口許を歪め、寂しそうに、けれどできる限りに穏やかに微笑んで、ベスタへと頷きます。それに、ベスタは苦しげに目を反らし、細く息を吐いて、そうですね、と頷きます。

そして、立ち上がり、階下へと降りていくコエリの背中を見送って、

「困ったものです、、僕も、あなたも」

このまま僕は、無視し続けられるんでしょうか、と。誰へともなく呟き、ベスタも、階下へと続きました。

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renkard
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