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ホロスコ星物語233
マティルド青年は、全身の力という力が抜けてしまったように、重い自分の身体を引きずって、霧の立ち込める祭壇の、正面へと移動します。
祈りの手順は、すでにギルド内でも共有されていたから、マティルドも知ってはいました。ただ、自分がそれを願うことになるとは、思いもしなかっただけで。
最も重い代償と引き換えに、何でも願いが叶う、、それ自体、元々ギルドの中でも半信半疑で広がっていた噂だったし、ギルマスのように信じる派の人間が一定数いただけで、マティルド青年自身は、むしろ懐疑的な部類でした。
なにせ、もし本当に願いが何でも叶うなら、今の世の中には、世界最強の人間になりたい願いを叶えた冒険者、世界で最も裕福になりたいという願いを叶えた商人、世界で最も強大な国になりたいという願いを叶えた帝国のように、願望を成就させた魑魅魍魎たちが溢れる世の中になっているはずです。
けれど、今世界最強と名高いのは、これもまた眉唾臭いけれど、歴戦の勇士たちを差し置いて、ゾディアックにいるという、天候魔術まで操る才能を持った令嬢だという噂が流れているし、今世界で最も裕福なのは、実在するかも疑わしい、魔族出身の商人だという話で、、ただの冒険者や一端の商人が介在する余地など、おかしなくらい残されてはいません。
それはつまり、この噂が、所詮は噂にすぎない、ただの伝承だということの何よりの証左だと、マティルドは思っています。勿論、その噂に乗って、帝国に反旗を翻してまで国への下剋上を目指した、ギルドの士気を下げてはいけないから、そんなこと口に出したことは、ないけれど。
けれど、、自分にとって最も重い代償ーー大切だと思う何かと引き換えに、願いが叶う、という伝承には、そこに真実が紛れ込む余地が、確かに一つ残っています。
それは、自分の命と引き換えに、願いが叶うということ。なぜ重い代償、等と遠回しな表現をされているのかはわからないけれど、そうすれば、願いが叶った人々は皆亡くなっているのだから、そこに矛盾は生じてきません。願いを叶えた彼らは、一時の栄光に浸った後、皆等しく息を引き取っていて。だから、世の中の勢力図は、変わっていない、、そういう構図が、できあがるのだから。
ーーだから。
マティルドは、その、奇跡の可能性を信じて、祭壇の前、その場だけ何故か草の生えていない地面へと跪き、祭壇の上で、心臓を串刺しにされて息絶えた、黒衣の少女に、祈りを捧げます。
、、ここまで、長く知り合いだったわけでもないし、好印象から入ったわけでもない、それどころか、最初は敵対し、お互いに武器まで向けあった、敵同士だったけれど。
立ち振舞いには隙がなく、冷静で、恐ろしいまでの戦闘力を持っていて、、けれど、衝突してしまった敵であっても、無意味に傷つけることはせず、傷を負わせてしまった相手に、心から心配し、無事を聞いて安堵する、心優しい少女。
接する内に、可愛らしい、お茶目な一面を見せてくれたり、慈母を思わせる情の深さを見せてくれた、汚れのない夜闇を持った、彼女だったから。
もし、、彼女が、この世へと帰ってきてくれるのなら。
僕の命を、捧げてもいいーー
そう、願いを叶えるという神様へと、両手を固く組み合わせて。額に押し付けるように、真摯に、お願いをして。
「ーーー」
、、そのまま、どれほどの時間が経ったのか。マティルドは、ゆっくりと顔を上げて、黄金色に光輝く長剣と、それによって、蝶の標本のように、中空へと縫い止められた少女の身を、ーー何も変わらない、その光景を、見上げて。
「は、、ははっ、はははっ、、」
ーー何も、変わらない、、手順通りに願いを捧げて、他の願いが紛れる余地もなく、一心に、ただそれだけを願い、深く、深く、祈りを捧げたのに。
マティルド青年は、自分の口から、壊れたからくり人形のように、乾いた笑いが勝手に漏れ出るのを、再び滴に濡れ、歪んでいく世界の中で、他人事のように受け取ります。
ーーこんなの、笑うしかない。
漆黒の少女が、目を開けることも、光の剣が、抜け落ちることもない、、それどころか、眉唾臭い噂を信じて、ギルドをあげてここまでやって来た、ギルマスや副マスター、メンバーらの思いまで、全てが無駄だったということなのだから。
「願いが、叶う、なんて、、そんなの」
信じなきゃ、良かった、、マティルド青年は、そう、口の中だけで小さく呟くと、今度こそ全身の力が抜けてしまったように、その大地の上に身体を投げ出し、仰向けに倒れ込みます。
結局、いくつもの苦難と障害を排し、複数の山を越えここまで来て、得られたものは、絶望だけ。愛らしくどこか儚げで、これまで見てきた誰よりも美しかった漆黒の少女、一人を救うことだって、できなかった、、
もう二度と、あの笑顔を向けてもらうことが、できない、、そう思うと、心の真ん中に大きな空洞でも空いてしまったような、切なさと悲しみが押し寄せてきて、マティルド青年は、土の大地へと幾筋もの水滴が流れ落ちるのを感じながら、自分自身に自嘲するような思いを抱きます。
振り返るほどの思い出もない、ほんのわずかな時間、一緒にいただけなのに、、こんなにも心の大事な部分を占めるようになっていた、漆黒の少女。自分ですらこうなんだから、彼女の友人や家族、ーー恋人、、なんて、いるのかはわからないけれど、彼ら彼女らは、もっとひどい悲しみを背負うんじゃないだろうか、と。
「、、そっか。それも、悪くないかな、、」
どれだけ長く、地面へと身体を投げ出していたのか。マティルドは、不意に、自分の思い付きに突き動かされるように、その上体を起こします。
ギルマスには悪いけれど、、アラウダのギルドを脱退する決意は、自分でも驚くほど簡単に決めていました。
それから、それほど深くを知っていたわけではない、漆黒の少女の、故郷を、目指して。
彼女の訃報を、活躍を、その最後に見た姿を伝えるために、彼女の友人や知人を探して、旅に出る、、そこで、彼女について、もっと色々なことを知って、順序が逆になってしまうけれど、これから思い出を、作る。彼女の死を悼み、弔いながら、その半生を、軌跡を追って。
多くを知らないまま逝ってしまった彼女だからこそ、これから、思い出を作る余地がある、、その思い付きは、何もできずに彼女を見送ってしまった自分には、悪くない弔いとなるように思えました。
、、マティルド青年は、その思いを固めるまで、どれだけの時が経ったのか。これから長く関わっていくことになるだろう彼女に、最期の挨拶を済ませるべく、祭壇を見上げーー
「ーーー、、、」
ーー自分の、目の前で。
何が起きたのか、理解ができず、たっぷり十数秒、それが終わるまでの間、呼吸すら忘れて、硬直します。
確かに、今この瞬間まで祭壇で串刺しにされていた漆黒の少女が、、急に、光輝いたと思ったら、、墓標となっていた光の剣が消え失せ、代わりに。
「ふむ、うまくいったようだね。性能の寸分違わぬ身体の複製を作るというのは、案外難しいものなのでね。うまくいって良かったよ」
「まあ、でも神様が自分で提案したようなものなんだし。お疲れ様でしたー」
「小恵理、相手は神様なのでしょう? さすがに扱いが軽いのではない?」
「はははっ、なに、私にとっては愛しい子供のようなものだ。ほら、パパとお呼び?」
「え、やだ。パパはちゃんと他にいるし」
「小恵理、、そんな、簡単に。不敬ではないの?」
、、何が起きているんだ、と。マティルド青年は、目の前で繰り広げられる、困った顔で窘める、確かに生気を取り戻した漆黒の少女と、双子の姉妹のようにすら見える、漆黒の少女と瓜二つの顔をした快活な雰囲気の少女、それと、大人びた表情の白い絹に身を包んだ長身、長髪の青年による、漫才じみたやり取りを、ただひたすらに、呆然と見やります。
願いが叶ったのだろうかと、、マティルドは漆黒の少女を見て、思うけれど。このおまけ二人はいったいなんなんだと、その二人を見上げて。
「あ、お客さんだよ、コエリ」
「、、客、というか」
その、快活な少女の方が、マティルドの目線に気づいて、漆黒の少女の、注意を促します。
その漆黒の少女は、これまで、一緒にいた間と何も変わらない、清冽な、冬の冷え込みを思わせるような冷徹な表情と、けれど麗らかな春の到来を告げるような、暖かさをも交えた目線で、マティルドを見下ろして。
「っ、とーーこれは、しばらく慣れないわね。大丈夫、マティルド?」
自分の身体の調子を確かめるように、軽く跳躍すると、マティルド青年の目の前へと降りてきて、手足の感触に、軽く眉を寄せます。
それから、漆黒の少女、、コエリは、神域の森で見せてくれたような、上品な笑顔で、クスリと、微笑んで、くれてーー
「、、っ」
「マティルド、、!?」
その、奇跡に、、その、二度と見られないと思っていた、姿に。耐えられず、急に滂沱のように涙を流し始めたマティルドに、コエリは、慌てたように駆け寄ると、ーー仕方のない子ね、と。
コエリは、子供のように泣きじゃくるマティルドの頭をそっと抱え、母が子に語りかけるように、優しく、囁きかけます。もう大丈夫よ、、と。マティルドを、あやしつけるように。
神域へと案内するため、神様が二人を仮死状態へと陥らせ、魂を呼び寄せた、、あの水龍の顎や、カイロンの姿をとった偽物の挙動の数々は、全て転移魔法陣の主、神様による、そのための、ただの茶番だった、、とはいえ、マティルドが、自分のあの光景を見て、少なくない衝撃を受けることは、わかっていたから。
だから、それから、ごめんなさい、と。
小恵理と違って、コエリは自分自身に向けられる感情には敏感な質ですから、マティルド青年の自分へと抱く、淡い想いにも気が付いていました。そんな自分が、磔刑にでも処されたかのような、あんな光景を目にしてしまったら、、それは、悲しみも、嘆きもしただろうと思います。それが、いかにコエリが自分で必要と認めたがゆえの決断であろうとも。
「マティルド、、あなたはあなたで、頑張ったみたいね?」
「、、ええ、、何度か、死んだと思いましたけど、どうにか」
「ふふっ、あんな幻なんかに殺されないでいてくれて、嬉しいわ」
「、、っ」
マティルド青年は、再び向けられた柔らかな笑顔に、今度は自分の中にも、その暖かさが染み入ってくるような錯覚を覚え、自分自身もまた、コエリへと縋りつくように、その細い身体へと手を回し、それこそ、母に甘える子供のように、もう一度、コエリへと身体を寄せます。その鼓動、そこにある体温や息づかいを感じ取って、本当にそこに、少女の実体が、暖かな生命の宿る身体があることを、確かめるように。
それから、間違いなく感じられる生命の鼓動に、安心した微笑みを浮かべーーマティルド青年は、ふと、我に帰ったように、パッとコエリから距離を取ります。そして、周囲を警戒するように、目線をあちこちへと送ります。
「、、どうかした?」
「ガレネが、、そういえば、ガレネが、いるはずなんです」
確か、あっちの樹の根本だと、マティルドは、祭壇の裏側へと歩を進めながらコエリを手招きすると、その途中、祭壇の上で、何やら話を続けている二人にも目を向けます。
「いや、付いていってあげたいのは山々だが、私は生憎、この祭壇からは降りられなくてね。異界を構築したり、私が使える中で最も力を持った魔王の残留思念を借りていれば、山中だけなら移動もできるが、それでは味気ないだろう?」
「味気ないかどうかで、移動する身体を選ぶのもどうかと思いますけど?」
「私が普通に声を届けると、それは神託となってしまうのでね。それは避けなければならないんだよ」
「声を発するだけでダメなんですか? 神様っていうのも、色々不便なんですね?」
「いや、なに、私は自由にやっている方さ。こんな駅近物件のような祭壇を設けて現世と堂々と関わっている神など、そうはいないよ」
、、、話の内容が、まるで掴めないし、壇上の二人は、こちらには我関せずを貫くようなので、マティルドは、コエリを連れて、祭壇の先、ガレネの眠っていた樹の方へと移動します。
けれどーー確かにガレネが眠っていたはずの樹には、誰の姿もなくて。マティルド青年は、あれ、と辺りを見回します。
「おかしいな、、確かに、ガレネの姿がここに」
「ーーそれは、あれ、かしら」
「、、!?」
コエリが腕を引いて促した先には、何かが引き摺られて下草が擦れ、土の露出させられた、跡があって。それを視線だけで辿るとーー朽ちた遺体の並べられていた場所に、その隅へと移動させられた、長身の大男の姿と、
「ランツィア!?」
確か、プロトゲネイアの帝都から新たに派遣されてきた、山脈の管理者、、自分達がここで目的を達成させるため、先んじて口封じをしようとして逃げられた、兵士の一人です。
そのランツィアが、何かに憑かれたような、怨みや怒りといった、強い負の感情に囚われた瞳で、眠っていた、移動させられたガレネの身体を見下ろしていて。
ランツィア、とマティルドが驚愕に叫ぶと同時、それがわかっていたかのようにランツィアは身を翻し、神域の森、入り口の方へと駆け出し、見る間にその姿を霧の中へと溶け込ませていきます。それも、一介の兵士に過ぎない、身体強化の能力さえないはずのランツィアが、驚くほどの速度で。
「何だったんだ、、?」
それをひとまずは見送って、マティルドは自分の内に生じた疑問を口にします。
眠りについたままのガレネの長身の身体を、わざわざ朽ちた遺体の並ぶ列へと運んでいる、、兵士の中でも、特に体格に優れたわけでもない彼には、過ぎた荷物だったろうに、何故そんなことを、と。
首をかしげ、ガレネの様子を見に行こうとしたマティルドに、けれどコエリは、その腕を取って引き留め、どこか緊張した面持ちで、ゆっくりと首を振ります。それから、向こうを追った方がいいわ、とランツィアの消えていった森へと視線を送って。
「ただし、辛いものを見ることになるけれど」
「君は、、いったい、何を?」
「行けばわかるわ」
コエリは、あくまでも口数少なく、けれどマティルドに決断を委ねるように、待ちの姿勢で、どうするの? と問いかけます。腕は掴んだままに。
祭壇の上からは、相変わらず仲の良い漫才コンビのようだった二人が、会話を止め、こちらへと伺うような目を向けています。それに、マティルドはどこか嫌な予感を覚えて、わかりました、と頷きます。
「追いましょう、彼を」
「、、そう」
コエリは、ようやくマティルドの腕から手を離し、無風の湖畔のような澄んだ、静かな顔で頷き、祭壇へと振り返ります。
「それじゃ、あとはお願いね」
コエリに呼び掛けられた二人は、その意図を察して、ゆっくりと頷きます。
それは、自分達がすべきことだと。そして、コエリに任せるべき課題だと、わかっていたから。
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