ホロスコ星物語221
、、山の奥へ、あるいは藪の中へ、茂みの陰へ。樹の枝へと身体を引っかけ、それをばきぼきとへし折ってでも逃げ惑う、人々の悲鳴を聞きながら、ここがプロトゲネイアの管理下にあって良かったな、と。あらぬことを考えてしまいます。少なくとも、ここがゾディアックじゃなくて良かった、と。
「逃げろ! ば、化け物だあ!」
うん、、ごめん、でも、たぶんそれは本当にそう。
普段はみんなの望むような、心の優しい聖女様でいるよう心がけているし、ゾディアックの領土にいた時は、本当にこの世界に降り立って初期の、魔術の研究にハマっていた時くらいしか、こんなものは、使わないようにしていたけど。
「悪いけど、道を開けてもらうね」
手加減も容赦も、一切しないーーそのくらいの心持ちで、両手から夜闇に溶け込むように立ち上る、暗黒色の、闇に染まった邪悪な波動を解き放ちます。
ゾディアックだったら、たぶん聖女が魔王に身体を乗っ取られた、とか、大騒ぎになっただろうけど、、聖女には、元々は神様から、聖女になって魔王を倒してこいと言われただけで、実は、聖女としてこの世界に降り立ったわけではなくて。
その証拠に、この世界に降り立った時、神様からはそういうチートを授かっています。全属性、全階級の魔術を使える、っていう。それはつまり、
「闇魔術、死への門出!」
前方に手を突き出し、魔力が暴走しないよう、過剰な威力にならないよう、細心の注意を払いながら、黒炎を繰り出して。その一直線上に、一瞬にして禍々しい暗黒の炎によって周囲と区切られた、長い黒炎の回廊が築き上げられ、木々がたちまちにして燃え上がり、夜闇を不気味に紅く照らし出します。
なるべく人を避ける位置に放ちはしたけれど、運悪くその黒炎の欠片に腕に掠めただけの冒険者は、全身を地獄の熱で炙られたような、ものすごい悲鳴をあげて山道から転がり落ちていきます。通常の炎と違って、熱量云々ではなく、闇の炎が痛覚自体を過剰に刺激しているのです。
全階級、全属性ということはーー、つまり当然、光魔術だけじゃなく、こうして、闇魔術だって扱えるということ。闇魔術特有の禍々しいオーラは隠しようがないし、こんな魔族すら軽く凌駕する、ダークオーラに包まれた聖女なんて、ゾディアックのみんなには、とても見せられたものではないけれど。
ここで殊更に闇魔術に手を出したのには、そんなに深い意味はありません。単に、今回の相手が魔物ではなく、簡単には反省も逃げ出しもしてくれない、よく言えば、勇気を持った、人間だったから。
幻惑や混乱、呪殺や精神攻撃といった、人身を惑わす魔術を得意とする闇魔術が、特に有効な相手だと思ったから、、そんな魔術でしか、ここから手を引いてくれないと思ったから。だから、それを選んだに過ぎません。
とはいえ、
「くそおっ! 怯むな、儂に続け! こいつはランツィアを抱えてる、行動は制限されているぞ!」
「制限されてる? ーー違うよ?」
山の斜面を駆け抜け、上空へと高々と跳躍して、黒炎の回廊の上から飛びかかってくる白い髭の老剣士に、普段であれば決して誰にも向けることはない、感情を乗せない瞳と、亡霊のような空漠とした笑みを浮かべてみせます。
ーー今の私は、ミディアム・コエリ、、幼少から強大な闇の魔術を扱い、忌み嫌われてきた、漆黒の少女。聖女ではなく、そのつもりで闇魔術を扱う、、そうでもしないと、自分が闇に飲まれて、聖女だったことを忘れてしまいそう。
「はあっ!」
裂帛の声をあげて振り下ろされる、老剣士の剣の軌道から、半歩だけ後退して、その剣先が目標を霞でも捉えたように見失い、地面の土へと食い込むーー、それと同時に、その両刃の剣の上に、あえて靴を軽く乗せます。
その瞬間、その剣士は、これは両刃だと、そのまま切り上げて断ち切ってやるとばかりに、ニヤリと笑って、剣を振り上げようと、
「闇魔術、、腐蟲の呪」
「っ、ぅっわああっっ!!」
その靴は、一瞬で無数の蛆虫に化けて、手に持った剣を、老剣士を、空間全体から覆い尽くすように襲う、、勿論、そういう幻を、見せるだけ。
けれど、人の心を恐怖で覆ってしまうのには、それで十分すぎるくらいでした。おぞましい蟲の大群に襲われる幻覚を見せられた老剣士は、剣を投げ捨て、口の端から泡を吹き、絶叫し、半狂乱になって地面を転げ回ります。勿論、続け、と呼び掛けられていた若い剣士たちは完全に足を止め、恐怖に青ざめた目線を交わします。
それを、冷めた瞳で一瞥して、、木々が燃え尽き、薄明かりに、幽霊のように浮かび上がる中、追い討ちをかけるように、冷たく笑みを浮かべてあげて。静かに、けれど身体の髄まで恐怖が染み入るよう、耳元へと届く、涼やかな声をかけます。勿論、更にいっそう激しく闇の魔力を生じさせて、吐き気すら催すような、強烈なダークオーラを撒き散らしながら。
「これはね、ハンデって言うんだよ、、あなたたちが、より楽しめるように」
「う、ううわあぁ、、っ!」
「に、逃げろぉっ! 殺されるっ!!」
うん、、ちょっとやりすぎたかな。あまりの恐怖に、若者たちは、右も左もなく、とにかくここから離れようと、剣も盾も投げ捨て、足をもつれさせながら、全力で山道を駆け降りていきます。めちゃめちゃ必死な、ひきつった顔で。
肩には、老剣士に指摘された通り、意識のないランツィアが担がれたままになっているけれど。これは、どうせ狙われるなら、むしろ大々的に狙ってもらって、さっさと全員片付けてしまった方が早いよねっていう風に、作戦を変更したからです。魔物と違って、人間は数に制限があって、魔素がある限り無限に湧いたりはしないから。
ランツィアが目覚めたら、さすがに、肩に担いで闇魔術を乱射っていうわけにはいかないからね。せめて眠っている間はこれで爆走させてもらうねっていう、それだけのことで。もっとも、見ていると、そのぐったりした大の男一人を軽々と担いで自在に戦っている少女、なんて絵面も、恐怖を駆り立てているようだけど。
「それじゃ、また会おう、ね、、夢の中で、ね?」
半分以上腰を抜かして逃げ惑う若者たちの背中に、背後霊同然に、張り付くように、振り返った瞬間目の前に顔があるくらいの距離まで接近しつつ、そうトドメとなる、透き通るような、けれど柳の下にでもいそうな、幽鬼のような声をかけて。
真っ青を遥かに通り越した、絶望的とも言えるほど顔色を失って腰を抜かし、ついに土の地面へと倒れ込む彼らを、顔だけ振り返って見やりつつーー、今度は風魔術を使って、彼らを追い抜き、ふわりと闇が支配をする山中へと滑空し、加速して闇の中へと溶け込みます。傍目には、すーっと闇に掻き消えたように見えるように。ふふふふ、っていう、笑い声を届けながら。
勿論、夢の中なんかに入り込む気は全然ないし、これだけ恐怖に晒しておけば、もう追走してくることもないと思っての、ただの演出なんだけど、ね。これで接触したアラウダの部隊は三つ目だけど、だんだん悪役にも慣れてしまって、悪役聖女とかいう、ブレンドキャラを確立できそうな気がしてきちゃう。
こんな調子で、夜の闇が降りるまでの間に、既に山も、二つ越えて来ています。一つ一つがさほど大きくはないし、イスパニア山と違って、関門となる紫龍みたいな相手がいないから、ただダッシュで越えるだけなら、だいたい一時間もあれば突破できてしまうから。
この三つ目の山も、あとはもう半分ほど下って、次の山へと道が続くだけだから、あとはその途中から、四つ目の山にトライするだけ、、だけど。
ふと、この闇魔術を、選んで敢えて使っている自分とは対称的な、それしか扱える魔術がないがために、闇魔術を使っている、本家ともいう少女のことを思い出してしまって、一度着地し、ゆっくりと足を止めます。
今の自分は、、たぶん、闇魔術の使い手としては優秀だったかもしれないけど、あの子の代役としては、あの子のふりですらない、完全な紛い物、、それこそ、面白半分に人を追い回す、悪霊にも近い存在だったな、と。自分を振り返ってみて、思います。
あの子は、、本当は心の優しい子なのに、否応なしに人々に恐怖を与える存在としてあり続け、不本意に、人を怖がらせてきてしまって、、それを自分自身受け入れて、いっそ偽悪的ですらあるようにすら、振る舞っていたけれど。
以前、その子の、、コエリの魔力を、同じ闇の魔力でも、寝静まる人々を見守る、夜闇のようと評した子がいたと言います。そんな彼女が、明らかな邪悪を振り撒いていた今の自分を見たら、なんて言葉をかけてくるだろう、とか、、怒られたり、窘められたりするんだろうかと、考えてしまって。
「、、聖女失格、とか言われちゃうかな」
ただの戦略、戦術の一つと割り切ってくれるのか、闇魔術は、そんな使い方をするものではないわと、怒られるのか。あの子は、あまり人に本心を明かしてくれるような子ではないから、ちょっと想像ができません。でも少なくとも、そろそろやめなさいと、もう十分ではないのと、止められそうな気がします。やり過ぎよ、と。
、、元々、闇魔術が得意ってわけでもないし。あの子みたいに、強い、しなやかで美しい心を持っていない自分がこれ以上このダークオーラを纏っていたら、本当に自分が悪霊になってしまいそうだし。
再び歩を踏み出し、丘に広がる草原、三つ目の山の、なだらかな傾斜の下り斜面を軽く駆け抜けながら、一度闇のオーラを消して、一度普通の聖女様へと、白い清冽な魔力へと纏う魔術を戻します。アラウダの人間も、そんなに大勢いるわけではないだろうし、もういいかなって。
それから、やっと普段の自分に戻った感覚を取り戻して、ちょっとだけ走った先。不意に聞こえてくる、チョロチョロと水の流れる音に、人の気配がいくつかいることも感じて、もう一度減速し、樹齢の長そうな大木の陰へと張り付きます。
また、闇の魔術を纏う必要は、ないと思うんだけど、、今回色々使ってみて、闇魔術が悪として扱われる理由も、大体理解はしたし。だから、次何か対処するとしても、他の方法を考えるとして。
今日は月明かりも薄く、夜の闇で、少し見えづらくなっています。その中でもうっすらと、ここまでを飛び抜けた茂みの更に先、丁度谷となっている部分に、川が流れているのが見えています。その川辺に、冒険者のパーティがいくつか集まっているのも。
既に辺りは真っ暗で、おそらくあの冒険者たちは、ここで夜営の準備をしているのでしょう。二ヶ所ほど火が焚かれ、パチパチと薪の弾ける音がして、そこだけが明るく光に照らし出されています。その火には、鉄製の鍋がかけられて、何か野菜だかお肉だかが煮込まれているのも、見えていて。
そういえば、朝から走りっぱなしの戦いっぱなしで、ろくにものを食べてないな、、とそれを見て、ちょっと自分のお腹事情を思い出します。ダイエットにはなるけど、動けないのは困っちゃう。
肩に担いだランツィアは、、まだ、眠ったまま。もう目覚めても良い頃だと思うんだけど、いまだに瞳は閉じられて、目覚める気配がありません。移動の際も大分激しく上下していたはずだし、これだけ目覚めないとなると、案外ガレネに、何か薬でも嗅がされた可能性もありそうです。
ランツィアもまた、食事らしい食事をしていないはずだし、、起きたら、ちょっとでも分けてあげた方が良いよね。一度ランツィアを肩から下ろして、懐の小袋から、とりあえずパンと携帯用の、小さく切って串に刺された干し肉を、取り出して。
自分の分は他にもう一つずつ用意して、ランツィアが目覚めるまで、まずはここで一度、緩くお食事タイムとします。
、、夜の山は、昼とはまた違った涼しさ、静けさがあるな、と。一人、微かに冷たさを感じる風に吹かれて、なんとなく、そんなことを感じます。所々で鈴虫のような虫の鳴く音と、川のせせらぎ。下の方では、楽しげな男女の声がしていて、ーーなんだか、ちょっと懐かしいな。
ベスタとの旅は、案外ムードメーカーだったレグルスがいたから、そんなに空気が重かったりはしなかったけど、、やっぱり相手がね、真面目で堅物なベスタだったから。そんなに明るく楽しくって感じじゃなかったし、でも学院にいた頃は、いろんな生徒たちがいて、でも本当、みんなで楽しく過ごしてたんだよね。
王都の貴族学院では、そこは貴族様たち、サバイバルやアスレチックみたいな、やんちゃな課外授業はなかったから、こんな風に山を駆け回るなんてことも、なかったけれど。林間学校でもあったら、たぶんこんな感じの雰囲気の山で、キャンプファイアとかして、みんなで各々炎を囲んで、一晩過ごしたりして、、楽しかったんだろうな、って。
チラッと気配を消しつつ、川辺を見下ろしてみると、一方のパーティでは、若い男の剣士と年配の重戦士が談笑をしていて、そこにちょっと色っぽい感じの露出度高めな魔術師のお姉さんと、真面目そうな法衣のお姉さんが、その二人に声をかけていて、、こっちは典型的なメンバーで構成された冒険者パーティみたいだね。
もう一方のパーティは、若いショートな髪の、活発そうな女性の剣士が二人と、短髪の槍使いの男が一人、冴えない風貌の僧侶かな、帽子を被った男の子がいて、でもカリスマ性でもあるのか、この法衣の子は、三人から積極的に話しかけられていて、それにありがたい言葉でも返してあげてるみたい。女の子二人がそれに感動してる、みたいな反応を返していて、こっちのパーティは、ちょっと異色な感じです。
「、、でも」
そのどちらにも共通して言えるのは、本当に彼らは自由に、楽しそうに笑っていて、、使命とか宿命とか、そういうすべきことに縛られない、けれど明日生きるのも死ぬのも自分次第っていう、自立と自己責任の世界で生きている姿、ということで。
この世界に来てから、ずっと公爵令嬢で、聖女を目指して、事件を解決したり、人々を助けたり、、そんな生活にも、不満はなかったつもりなんだけどーーこんな風に、自由に、気心の知れた仲間との気ままな生活なんか見てしまうと、、ね。
こういう自儘な生き方っていうのも、楽しいんだろうな、と思ってしまったりはね、しちゃうよね。
「、、ベスタに相談してみようかな」
ここで、願いを叶えるっていうお宝か何かを探し出して、イダの町に戻ったら。そこで、みんなが苦しみから解放されて、元気になったら。
勿論、どこかでゾディアックには帰るんだけど、、その前に、一週間とか、ちょっとでいいから、本当の冒険者みたいに、聖女の宿命とか使命とか、関係なく。レグルスは、いてもいなくてもいいけど、、こういうゆっくりした生活をしてみてから、帰ってみたいなって。
誰からも見えない夜の山の木陰、川辺の冒険者たちを一人、ひっそりと見下ろす位置で。
そんなことを考えながら、食事を終え、そっと目を閉じました。