ホロスコ星物語136
コエリが一次審査を抜けておよそ三十分、10人の令嬢が姿を現した時点で、パラスが、そろそろ次に行こうか、と声をあげます。
どうやら、一次審査で落第となった令嬢は、一階の客室の方から姿を現す設定となっていたようです。そちらから出てきた令嬢たちは、階段を上る前に、そこを塞ぐメイドたちによって、次々と追い払われるようにして姿を消していきました。
無事審査を抜けた人間は、この三階から姿を現し、各々パラスから労いの言葉と、次の審査へと進む許可証を受け取ります。けれどコエリは何故かそれを渡されず、エリザベータは、逆に何故かその許可証を受け取りました。
「あの、どういうことですの? 私とコエリの許可証は逆ではございませんか?」
エリザベータは、その受け取った許可証を掲げて、パラスへと不思議そうに問いかけます。それにパラスは、問題ないよ、と首を振って答えます。
「それで良いんだ。コエリはトップ通過だから、二つ目の審査は免除される。エリザベータ嬢は、一次を抜けてしまったからね。ついでに付き人の試験を受けてもらうよ」
つまり、同じ会場でありながら、エリザベータだけは別の主旨で儀礼が続けられる、というわけです。コエリは、自分達の他に現れた八人を見渡して、フローラが順当に抜けていることに安堵しますが、同時に一つ、残念そうに息をつきます。
「結局、アルトナは抜けてこないのね、、一階にも姿を見ないし、少し心配ね」
「アルトナ? そういえば、、私も、あの子の姿は見てないわ」
エリザベータは身を乗り出して、今も一階で使用人たちに頑として階段を塞がれ、渋々退去していく令嬢たちを眺めやります。
余程試験の難易度が高かったのか、階下で現れる令嬢の人数は凄まじいものがありますが、けれど、そこにアルトナの朱色のドレス姿はありません。髪色といい衣装といい、かなり目立つ少女なので、見落とすことはあり得ないと思うのに、です。
コエリは、やや気がかりそうにパラスへと問いかけます。
「殿下、これで皆一次審査は終えたのですか? アルトナの姿がありませんが、、」
「うーん、、たまに水晶の前で、緊張してか尻込みしてか、なかなか課題に参加しなかったり、参加自体を見合わせてしまう子がいるからね。その中にいるのかもしれないね」
「アルトナはそんな子ではありませんわ! もしくは、単に課題に手間取ってるのかも、、?」
「いや、一つの課題は大体5分もあれば合否が出てしまうものばかりだから、そんなに時間がかかるとは思えない。少なくとも、これだけ待って来ない以上、棄権と見なすほかは」
ーーと、ここで、上階でふと、白光が輝くのが見えます。驚いて見上げるパラスの、比較的近く、今まで一度も開かれなかった一番左側の扉が、ここでようやく押し開けられます。
「ーーあら。申し訳ありません。お待たせいたしました」
他の合格者の令嬢たちや、コエリとエリザベータも見上げる中、現れたのは、悠然と微笑みを浮かべ、淡青色の海のようなドレスに身を包んだ、紫がかった紺のボブヘアーの少女、ユリアナでした。先程までとはうって変わり、普段の穏やかな、お姉さんらしい雰囲気で、バルコニーにいた時のような危うさは感じません。反面、その優しげな笑みには、普段は感じない、どこか不自然な堅さを感じます。
ユリアナは、ゆっくりと二階に降りてくると、申し訳ありません、ともう一度パラスに謝罪をします。
「遅くなりました。課題の中の殿下があまりにも素敵で、一つ一つが夢のような場面ばかりだったもので、、じっくり堪能していたら、このような時間になってしまいました」
「ああ、、課題の中の僕は、殊更に甘い言葉を話すようできているから、それは仕方ないね」
パラスは、はい許可証、と書面を一枚渡します。その際、特に労いの言葉をかけるでもないパラスの振る舞いに、どこかよそよそしさを感じて、コエリは小さく首をかしげます。
「では、今度こそこれで締め切りだ。次の会場に移動しようか。付いておいで」
パラスは笑顔で令嬢たちに語りかけると、踵を返し、二階の通路を屋敷の奥へと進んでいきます。11人は言われるがまま、パラスに続いてしばらく歩き、ーー今度はコエリも入ったことのない、珍しい部屋の前で足を止めることになります。
そこは、ディセンダント公の執務室で、、年期の入った重厚な木造の扉は、ここで主が何代にも渡って事務を執り行って来たことを感じさせる、重々しい雰囲気に満ちていました。
「じゃあコエリ、君はここで待っててね。あとの十人は付いてきて」
パラスは、その重厚な扉を開くと、コエリだけを置いて、残りの十人を執務室へと連れだって入っていきます。その際、エリザベータが意味ありげな笑みを浮かべて話しかけてきました。
「コエリ、あなた、、もしかしてここへは入ったことないのね?」
「ええ、、ないわ」
「ふふふん! なんか嬉しいわっ!」
エリザベータは、ひどく上機嫌に足取りも軽く執務室へと入っていき、一人取り残されたコエリは、その勝ち誇った笑みに、いつになくモヤモヤとした気分を感じます。
ーー確かに、普段出入りしている屋敷でありながら、ここへは入ったことはなく、これだけの人数に先を越されてしまったと考えると、どこか口惜しさが込み上げてくる気はします。一番に勝ち上がったはずなのに何故か取り残されるという、少し理不尽を感じる状況のせいではではあるのですが。
しばらく扉を見つめ、眉を寄せるコエリでしたが、ここで言っても仕方ないと切り替え、要するに、ここでは扉の前で一人令嬢たちを待ち続ける、という別の課題を提示されてしまったのだと判断して、窓へと身を寄せます。
いつまでかかるのかは全くわかりませんが、ただ待つだけでは芸がありません。コエリは、暇潰しにでもなればと、廊下から見える外の景色を眺めます。ーーそこでふと、ベガはどうしたのかしら、とユリアナの様子を見に行ったはずの、友人の姿がなかったことに気が付きます。
普通に考えれば、ユリアナが一次審査の会場入りする前に話をして、会場入りするユリアナを見送って、ベガ自身は公爵邸のどこかで時間を潰している、、というのが、流れとしては普通でしょう。エリザベータと違って、ベガは男子ですから、うっかり会場へと付いていってしまうことは考えられません。
けれど、ベガの性格から考えると、一次審査が終わった段階で、屋敷のどこからか、様子見に来ていてもおかしくないとは思うのです。一次審査終了後の令嬢が、どこに現れるか、どこに行けば会えるかを周りに聞くこともできないほど、消極的な性格というわけでもありません。
それに、、コエリは、自分の見間違いかもしれないけれど、と、先程の、部屋から出てきたユリアナに抱いた違和感についても考えます。
ただ、わからないのは、どうして今日この場で、ということで。
パラスの婚約者を決める、王家の神聖なる儀礼。そこで何故、あんなーー
「、、そういえば、ここには隠れん坊の下手な客人がいるのよね」
ーーどうやらこの執務室は、広大な公爵邸の中でもかなり奥に位置するらしく、ここの廊下の窓からは、公爵邸の裏門の近辺を眺めることができます。
その、裏門の近くの木陰で休んでいる、黒い影、、コエリはそれを見下ろして、呆れたため息を付きます。裏門とはいえ、全く人通りがないわけではないし、もし誰かに見つかれば面倒な事態へと発展することは間違いありません。先程のモヤモヤの影響もあってか、あくまでも隠されている身だと自覚してほしいものね、とその無神経さに、一言言わねばという、無駄なお説教心が疼いてきます。
コエリは先に一度執務室の扉の方を眺めやり、まだしばらく動きがなさそうなことを確認します。そして、おそらく、十分から二十分。二次審査終了までそのくらいの時間を見積もると、思いきって窓枠を乗り越え、そのまま外へと跳躍します。
スッ、と気配を消したまま狙いを過たずその客人の真横へと着地し、コエリは、彼へとわざとらしくため息をついて見せます。
「、、呑気なものね」
「ん、、うお!? な、なんだよ、姉さんじゃねえか。脅かすない」
「驚いたのはこっちよ。そんな位置で寝転がっていて、誰かに見つかったらどうする気?」
それと、姉さんというのはやめてちょうだい、とコエリは厳しい声で続けます。魔族の姉になった覚えはないし、なにより、どう考えても向こうの方が年上なのです。
その魔族、レグルスは上体だけを起こして、はっ、と不敵に笑って、俺ぁそんなヘマしねえよ、と返してきます。
「俺はこう見えても斥候だ、魔素の痕跡も消してあるし、素人に見つかるわけねえだろ?」
「私は上から眺めただけで見つけたわよ」
「そりゃあんたが特別なだけだ。陰影魔術も使ってあんのに、どこの誰に見つけられるってんだよ」
て言うかなんでそんな簡単に見つかんだよ、とレグルスは不気味なものでも見るようにコエリを見上げてきます。いくらなんでも勘良すぎだろ、と。
けれど、それもあっさりと切り替え、ま、あとはせいぜいベスタくらいだな、とレグルスは付け加えて、改めてもう一度ごろりと芝生に寝転がります。全く位置を動く気配もなく、それだけ自分の魔術に自信があるのでしょう。
豪気なことね、とコエリも一度木影に身を寄せて、自分も暖かな日差しを眺めながら一息つきます。しばらく会場からは離れますが、人の動きは十分把握できる位置にいるし、人が出てきたら先程の窓に戻れば十分でしょう。
レグルスは、あの日ベスタに出会い、それからずっとこの屋敷に身を置いています。王家の儀礼が始まっていることは当然承知しているはずですが、見る限り、そちらへの興味はまるでないようでした。
コエリはふと気になって、レグルス、と芝に転がる巨体へと呼び掛けます。
「あなた、、いつまでここに留まっているつもり?」
「あ? なんだ、そりゃ出てけって言いてえのか?」
「いいえ。ただ、あなたは魔王軍の斥候なのでしょう? ベツレヘムは亡くなってしまったし、これ以上ここにいて、他にすることはないのかって思ったのよ」
それに、とコエリは内心だけで、レグルスの立場についても一つ気がかりを感じます。
これは、レグルスを屋敷に置いているディセンダント公自身も多少警戒していたことですが、、魔王軍自体は、確かに今は休戦し、平和への道を進めています。とはいえ、レグルスがその斥候となると、レグルスをここへ留めるということは、魔王軍のスパイを身内に飼うことと同義ではないかと思うのです。
ベスタ辺りは、付き合いの長さもあってか、もうレグルスには全幅の信頼を寄せているようですが、コエリはあくまで、レグルスであっても一魔族にすぎないと判断しています。そのため、そこまで安易に警戒を解くことはできません。
レグルスは、俺は別にな、とコエリの心配など特に気にした様子もなく、芝生に寝そべった、リラックスした格好のままコエリへと答えます。
「魔王様から新たな指令も受け取ってねえし、あのおばはんから出てけとも言われてねえしな。人間どもの生活自体は見ていて飽きねえし、平和ってえのも結構嫌いじゃねえ。だから、気の済むまではここにいさせてもらうつもりさ」
「、、魔族の中で、あなたは変わり者の部類になるのかしらね」
少なくとも、人間の抱く魔族のイメージというのは、残虐非道で血肉と争いを好む、魔性のもの、蛮族を更に悪化させたような、悪逆の存在といった印象が強くあります。けれど、目の前で横たわるレグルスは、格好こそ魔族らしく巨漢で全身黒色で筋骨逞しく、魔族たちの手製なのか、粗末な布を身に纏ってはいますが、中身は人間とそこまで大差を感じません。本当に平和を享受し、楽しんでいる普通の青年のようにも思えるのです。
レグルスは、さてなあ、と気の抜けたような返事をして、俺にもよくわからねえな、と答えます。
「魔族ったって色んな奴がいるからな。ヴェラみてえに商売に精を出す奴もいりゃあ、マジで戦闘狂で強えやつを倒すことにしか興味のねえ奴も、俺みたいにクソ真面目に任務のことしか考えねえ奴もいる。みんな人それぞれさ」
「最後の、クソ真面目に、っていう部分には大いに疑問を挟むけれど、ーーその人それぞれ、という部分には概ね同意するわね」
コエリは、レグルスを見下ろしながら、それはその通りかもしれない、とその言葉を振り返ります。
人間にも犯罪者はいるし、ベツレヘムのような救いようのない悪人や、ハウメアのように、私怨に囚われた挙げ句、国家の転覆まで図るような大罪人も人間の世には存在しています。このレグルスやヴェラを見ていると、魔族や人間などという区別は、本当は意味のないものなのかもしれない、とさえ思うのです。
コエリは自分も芝生に寝転がろうかと、一度芝生に手を付き、けれど、上階で人の気配がしたことから、寝転がるのは諦めて、レグルス、と安眠に入ろうとしている魔族へと呼び掛けます。
「ん? どした姉さん?」
「だから姉さんではないのだけれど。あなた、、ここで王家の儀礼が行われているのは知っているわね?」
「ああ、一応な。おばはんに邪魔はすんなって言われたから、わざわざ俺はこんな隅っこに引っ込んでるんだぜ?」
「そう、なら話は早いわ。ここには魔術に長けた令嬢も集まっているから、見つからないよう気を付けてって、それだけよ」
今日ここには有能な令嬢が揃っているのだし、陰影魔術も魔術の一種である以上、わかる人にはわかるわよ、と。ベスタならわかるといったのも、その魔術の波動を読み取る術が存在するからです。
コエリはそれだけレグルスに忠告をして、二階へと跳躍をするべく窓へと狙いをつけます。
そこに、姉さんよ、とレグルスからも声がかけられて、コエリは目線だけでレグルスを振り返ります。
「、、何?」
「いや、そんじゃあこっちからも一つ教えておいてやんよ。どうにもここがチリついててな。あんたにゃ有益なはずだ」
レグルスは芝生からのっそりと身を起こし、自分の額を指差すと、ニヤリと笑い、コエリに近づいて、コエリの頭一つ分以上上から身を屈めます。そして、耳元で、その言葉を告げます。
コエリは、ーーそう、とだけ頷き、
「有用な情報をありがとう。私も何となく感じてはいたけど、、お礼はどこかでするわね」
「おう、あんたの腕はマジで桁違いだからな、ピンチん時は頼りにしてんぜ」
レグルスはにっかりと笑って再び芝生に戻ると、また地面に転がりながら、ひらひらと手を振ってコエリを送り出します。
なんだか、コエリにはそれが、本当にマイペースでのんびり屋の弟でも見ているようで、やっぱり呑気ね、と手を振り返しつつ、すっかり姉気分になってしまっている自分へと、苦笑を浮かべるのでした。