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ホロスコ星物語30ーパラス
二人はバルコニーから外に出て向き合い、緩やかな風を受けてくすぐったそうに微笑みます。ジュノーにも、パラス殿下に伝えたいことがあるから、と言って人払いをお願いしたので、周囲の耳目は遠ざかっています。
外に誘ったのは小恵理の方です。年齢は26か27くらいだと思いましたが、持ち前の包容力でしょうか、彼に対しては年の離れたお兄ちゃんのように感じられて、小恵理にとっても自然と素の自分で話ができる、貴重な相手となっています。内面では少し黒い部分も見えますが、たまの癒しには最適の人物でもあって、今回少し我儘を言って独占させてもらいました。
茶色い髪と優しげな顔立ち、少し幼さを残した眼差しに、優秀な頭脳を併せ持つ彼は、パラス・ディセンダント。アセンダント公爵家と対を成す最有力公爵家の長男で、穏やかそうな外見に反して、高い政治手腕と外交能力を持ち、その辣腕で、ディセンダントでも次期当主と名高い実力者です。そして、彼がジュノーが中等部で失態を犯した際、新たに浮上した、第二の小恵理の婚約者候補でもあります。
この方が王子、と呼ばれるのは、母である前ディセンダント公爵息女が実は元は国王妃であり、自ら望んで公爵家へと臣籍降下した身である、という特異な所以によります。
この元国王妃は、当時から権勢を誇ったディセンダント公爵家の息女でしたが、ディセンダント公爵家は最有力公爵家の一つでありながら、子宝に恵まれず、また養子も、血筋を継承していない点から当主が嫌がり、外戚とさえ縁組みが行わることはありませんでした。そのため、この元国王妃が当時のディセンダント公爵には唯一の子であり、ディセンダントの家督を相続できるのも、この息女一人に限られていました。
(けれど、その息女は国王に見初められて結婚、継承者のいないディセンダント公爵家は、このままでは取り潰すしかなくなってしまうところだった、、でも、この国王妃は結婚に際し、一つの条件を出していた)
それが、もし自分に子供が産まれたなら、長男にはディセンダント公爵を継がせること。
国王と王妃の子となれば、通常身元は王子ですから、生まれながらにその王子を公爵家子息とするこの条件は、異例としか言えない要求ではありました。しかし元国王妃の意思は固く、国としても、最有力公爵家であるディセンダント公爵を取り潰したくはなかったため、臨時の裁定として、その条件を呑むことになります。
これによって、しばらくはディセンダント公爵領は国が直轄管理とし、子供が産まれて成人するまでの間、管理者は王妃が自ら担当し、多忙の間を縫って執務を行うことで、ディセンダント公爵を形上存続させることに成功しました。
その後、パラス殿下が産まれ、これでディセンダント公爵家は安泰かと思われます。けれど、その後、王と妾の間にジュノーが産まれ、今度は、王妃との正式な子供でありながら、次期ディセンダント公爵であるパラス殿下と、王と妾の子供でありながら、第一王子のジュノーという、王位継承を二分する二大勢力が登場してしまったのでした。
この二大勢力の争いは日に日に激しさを増し、このままでは国内を二分すると憂えた元王妃は、10年ほど前に争いを終息させるため、自ら王妃を辞し、ディセンダント公爵へと退くことで、パラス殿下もディセンダント公爵家子息へと引き戻します。そして、ある儀礼を経過し、妾を新たな王妃へと据えることで、ジュノーを正式な王子へと引き上げるという決断を下したわけです。
この、王妃自らの提案によって、妾にその座を明け渡す、という前代未聞の英断によって、この争いは無事終息を迎えます。しかし、一般には政争の敗者とされる元王妃の英断を称える支持者は今なお多く、ディセンダント公爵の勢力は今も強大なものが残りました。そしてこの二大勢力は、どちらの勢力も力を蓄えたまま解散に至ったものですから、この王国、ゾディアックは今も分裂の火種を内在したままとなったのです。
パラス殿下自身も、そんな政争の最中に育てられたものですから、人を見る目や、相手の真意を見抜く目は大いに養われてきました。今は、現職の公爵家当主として王家を支える元王妃の、黄金の右腕とも言われていて、その辣腕は国内外を問わず注目されています。一説によれば、その実力は今もし国王が病気になったとしても、内政のアセンダント公爵、外交のディセンダント公爵の両刀があればゾディアックは健在である、とまで称されているほどです。
「もっとも、例の英断が尾を引いてしまって、今も母上を支持する者はたくさんいるからね、成人した今も僕はディセンダント公爵子息のままだ」
それがかえって王家には都合が良かったんだろうね、とパラス殿下は困ったように笑います。
この、ゾディアックの二柱とも言われる両公爵家のうち、もう一本、アセンダント公爵令嬢と王家の縁談を繋ぎ止めるため、今度はパラス殿下を王家へと引き戻し、ディセンダント公爵子息ではなく、王家のパラスとミディアム・コエリとの婚約とし、二人を結びつけようとした、という王家の動きは、小恵理の記憶にも新しいところです。
結局、ジュノーが婚約を継続したことでこの話は収まりましたが、こちらも、ディセンダント公爵家への侮辱だ、ディセンダント公爵家をどこまで利用すれば気が済むのか、というディセンダント公爵サイドからの怒り、反発は大いに招く結果となりました。そのことで、再びの国家の分裂こそしていないものの、王家の権威も毀損され、今もある種の政情不安が継続しています。今日の父の王家との蜜月アピールも、これに端を発しているわけです。
「すまないね、キミと我々の権力争いは無関係だというのに、我々大人の身勝手のせいで迷惑をかけてしまっている」
昔話を一通り語ったところで、パラス殿下は一つため息をついて、小恵理に頭を下げます。別にパラス殿下のせいでは、と答えそうになったところで、小恵理はいたずらっぽく微笑みます。
「そうですよ殿下? 殿下がもっとしっかり活躍してくださらないと、殿下の母上も安心してディセンダント公爵領を任せられません」
早くディセンダントを継いでくださいね、と。冗談めかしては言いましたが、小恵理の真意は明快です。
まだ未熟さの目立つジュノーと比べて、パラス殿下の名声は非常に高いものがあります。また、国外の智恵者たちと対等に渡り合ってきた実力も本物で、パラス殿下がもし本当に王家の人間に戻りたいのなら、とうに戻ってきていてもおかしくないわけです。けれど今そうではない、ということは、パラス本人の意思は、既に現実で示されているも同然ということになります。
だから、この件についての最も簡単な、当事者の誰もが納得できる決着は、パラス殿下がこのままディセンダント公爵を継いでしまうことです。現職の、しかも跡継ぎのいない公爵当主を王家へと迎えるわけにはいきませんから、それでパラス殿下はディセンダント公爵に収まり、ジュノーは王子のまま、小恵理との婚約も継続され、王位継承の政争もそれで無事終わりを迎えます。
つまり、国家の平和のため、誰もが平和に事を済ませるための結論とは、パラス殿下がディセンダントを継いでしまうこと、今はそのための努力をすることが一番の近道だ、というのが、小恵理の主張というわけです。
その真意を正確に汲み取って、パラスは愉快そうに笑います。
「手厳しいな。君は僕に、現職の公爵家当主を上回る実績を手にせよ、とでも言うのかい?」
「それが一番の近道ですし、お母上様もそれをお望みと思いますよ?」
「そうか、、それじゃあいっそ、アセンダント公爵令嬢を口説いて、王位に就いてしまうのも良い実績になりそうかな?」
「あら」
思わぬ反撃に、小恵理はわざとらしく目を丸くします。そして、16歳らしからぬ余裕の笑みで返しました。
「私のような10も年下の小娘を口説くより、もっと大切にしたい方がいらっしゃるのではありませんか、パラス殿下?」
「ーーー、まいったな、、」
再びの反撃に、パラス殿下は苦笑して降参だ、と両手を上げます。しらばっくれる手もあったでしょうが、ここ何年の小恵理との付き合いから、確たる証拠もなしにこんなことを言う子ではないとわかっているのです。
ずっと、ひっそりと会っていたので、知っている人はごく限られていますがーー初めてパラス殿下と出会ったとき、小恵理は幼少期のことを思い出して、すぐにピンと来ました。
あれは、まだほんの7才くらいの時。貴族の子弟の誘拐事件で、小恵理が首謀者を追った先で出会った、二人の男女。あの時、図書館の裏庭で逢瀬を重ねていたのは、この人に違いないーーと。
暗がりで、しかも小恵理はその時尖塔の屋根の上にいたので、パラス殿下は今もそれが小恵理だとは気付いていません。けれど、小恵理は暗視の魔法を使っていましたし、ネイタル覚醒の影響で記憶力も向上していますから、当時のことは今でもよく覚えています。勿論その場に、パラス殿下が図書館の庭の扉を屋敷に見立てて、仰々しく迎えた姫君がいたことも。
当時は小恵理も子供でしたから、不法侵入からの気障な振る舞いは、ひどく滑稽にも思えましたが、、思えば、あれはディセンダントの公爵家か、あるいは王城へと、いつか姫君を招き入れる、という理想を演じていたのだと、今は思い当たります。勿論、自らの花嫁として、です。
パラス殿下も成人し、外遊で忙しくなったことから逢瀬の頻度は下がっているようですが、今でもその姫君とひっそりと会っていることは、アセンダントの隠密からも聞いています。つまり、9年もの長きに渡って愛情を紡いでいる相手がいるのに、私を口説こうなど白々しいにもほどがあるでしょう、というのが小恵理の言い分なわけです。
パラスは、底知れないね君は、と半分呆れたように小恵理へと語りかけてきます。
「まさか、婚約者になろうかという子にそれを知られているとはね。いつから知っていたんだい? 彼女と会うときは厳重に結界を張って、誰にも察知されないよう十分気を配っていたというのに」
「ずっと昔からですよ。我が家にはそれはそれはもう優秀な隠密がいますから」
自分が実際に結界をすり抜けて目撃した、というわけにはいかないので、小恵理は軽く片目を瞑り、大袈裟に嘯いてみせます。パラス殿下は類稀なる慧眼を持っていますから、変にごまかすよりは、盛大に嘘っぽさを出してしまった方が、言いたくないんです、という意思が示せるし、信頼が得られるからです。
パラス殿下は、しばらく何かを言いたげにしていましたが、大きく肩を竦めて首を振り、わかった、そろそろ会場に戻ろう、と提案します。
「仮にも一度は婚約者候補となった身、大切なお嬢様に風邪でも引かせて、その優秀な隠密さんに怒られても困ってしまうからね」
それに、とパラス殿下は肩で小恵理にバルコニーの入り口を示します。
マナーとして、こちらを見てこそいないものの、そこにはイライラした様子でジュノーが立っていて、チラチラとこっちを気にしていたりもしていて。パラス殿下は、そんな困った弟を、けれど優しげな瞳で見つめ、小恵理へと軽く頭を下げてきます。
「ジュノーを頼むよ。あの子もまた政争に振り回された影響か、純粋に僕と打ち解けてはくれないけれど、、あの子も色々難しい問題を抱えているし、誰か心優しい子の支えを必要としているんだ」
ほーさいですか、とは、さすがに応じるわけにもいかなくて。
「可愛いところもあるとは思います。ごく限られた、マニアックな趣味をお持ちの人にとっては」
渋い顔で思わず漏れた小恵理の本音に、パラス殿下は、盛大に笑って会場へと帰っていくのでした。
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