ホロスコ星物語152
「天王星スキルーー『救済のアクベンス』!!」
小恵理の放った白銀の光は、暗黒の空間を切り裂き、魔王の闇で編み込まれた泡沫を一息に断ち切って、中の少女を包み込みます。
羽毛のような柔らかな光は、少女を安息の地へと誘うように、白光の内側へと引き込むと、やがて収束し、、光が消えた時には、黒衣に包まれていた少女の姿は、既に光に融けたように、すっかり消え失せていました。
再び暗黒の空間へと戻った異空間で、魔王カイロンは、素直に感心した様子で小恵理へと話しかけます。
「不干渉の魔力阻害の術法の上、更に隔離された別次元から、強引にコエリを救出するとはね、、さすがだよ、小恵理」
「それが私の役目だから。この子は助けるしーー私も助かるよ」
小恵理は、答えながら、自分の背後の異空間自体にもまた、大きな亀裂が生じていくのを察します。
『救済のアクベンス』は、時空や空間という概念さえ飛び越えて、自分と味方を結び付ける、解放と救済の特殊スキル、、コエリを解放する手段であったと同時に、今いるこの異空間へと連れ去られたコエリもまた、これによってあるべき身内へと回帰するのです。
目的地もなく、家に帰ることはできないけれど。ここでは最初から、ベスタと莉々須が小さいながら穴を開けて、分かりやすい目印を打ち込み続けてくれてたからね。そこになら、小恵理にも帰ることができます。
魔王の目は、その亀裂を見て、一瞬妖しく揺らぎますが、、それだけ。ゆっくりと小恵理から距離を取ると、諦めたように軽くため息をつき、わかったよ、と頷きます。
「今回は僕が身を引こう、、君を諦めるつもりはないけれど」
カイロンは、寂しげに言うと、自分も異界への扉を開きながら、異空間の亀裂がより大きく、鮮明になっていくのを見届けます。
その亀裂は、まるで小恵理から生じた大翼のように、放射状に、異世界全体を覆うように大きく伸びてーーやがて、カシャン、という、ガラスの砕けるような音を響かせて、カイロンの姿と共に、空間そのものが崩れ去ります。
「、、コエリ!!」
「帰ってきたあ、、!」
その場所は、コエリが転移させられた祈りの間、、気が付けばまるで、魔王やシリウスと転移する前へと時間を巻き戻したように、額に汗して魔術とスキルを駆使するベスタと、それを支える、必死な表情の莉々須の二人の姿が、小恵理の視界へと映っていました。
魔王の姿は、、ここにはありません。おそらく、魔王自身はあの異空間から、自分でどこか別の場所へと移動したのでしょう。小恵理も、身内と認められない相手を一緒に連れて帰ってくることはしなかったのです。
自分でも転移しようとはしていたし、こちらの世界へ帰ってこられないことはないだろうけれど、とカイロンの行方は、小恵理も少し気にかかります。こちらの祈りの間にまた帰ってこられるのは面倒だから、それは陣を消して対処するとして、、何もせずに小恵理を解放した理由も、気にならないわけではありません。
トランスサタニアン、いわゆる土星以降のネイタルスキルというのは、どうも発動に際し、魔力も含めた多大なネイタルの力、星力の消耗が要求されることがわかっています。そのネイタルスキルを使って大きく疲弊した瞬間というのは、魔王が何かを仕掛けるなら最適のタイミングであったはずです。
だからこそ、小恵理も警戒を強めて、魔王を注視していたのですが、、小恵理は小首をかしげ、まあいいか、と思い直します。魔王も魔力反応を返さないという、特殊なスキルを持っているとはいえ、自分が何かされていれば、その一部に魔力反応がないという異常が見つかるので、見つけ方のわかっている現在、何かされていればすぐに判別ができます。
一応、自分自身について精査もしてみますが、一瞬魔王の瞳は妖しげに光りこそしたものの、魔眼の類は発動されていないし、少なくとも、自分にも、今はちゃんと自分の内側で眠っているミディアム・コエリにも、異常は見つかりません。ネイタルで上回ったのであれば、ついでに魔王と決着でも付けたら良かったのかな、ともちらっと思いますが、異空間からの脱出もできたし、とりあえずはこれで今回の件は落着としていいでしょう。ーーこの、後の処理さえ問題なければ。
小恵理のもとへは、泣きそうになりながら、心配した様子の莉々須が走り寄ってきて、小恵理の両腕を力強く掴んでガクガクと揺らしてきます。
「コエリ、身体は大丈夫!? 怪我とかしてない!? ちゃんと生きてる!? てゆーかなんで無事なの!? シリウスはどしたの!?」
「莉々須、そんなにいっぺんに聞いても答えられませんよ。それにーーコエリも無事ではないようですよ」
ベスタの冷静な指摘に、莉々須は、えっ、嘘!? と驚いて、今度は人の身体をベタベタと触ってきます。
久方ぶりに見る莉々須とベスタの心配そうな顔に、小恵理は懐かしさが込み上げてくると同時に、自分が眠ってしまった時は、まだ莉々須はベスタとは、冤罪を押し付けた関係でピリピリしていたのを思い出して、二人がこうして、思ったより仲良くしていることに、なんとなく安心してしまいます。
莉々須は当時、監視も兼ねて騎士団に保護されていたはずですが、ここにいるのはベスタと二人だけのようです。小恵理は何気なく自分も挨拶をしようとして、けれど、どう答えたものかを迷います。
ベスタは、気付いているようだけど、、莉々須にとっては、今の小恵理は、まだミディアム・コエリなのです。だから、心配もひとしおで。そして、そのコエリを、これだけ心配しているとなるとーー今ここにいるのが、小恵理であってコエリではないことを、どう説明したらいいものか。
「、、ごめんね、莉々須。ただいま」
「え? そりゃ、お帰り、だけど、、」
少し悲しげに答えた小恵理に、莉々須は、まだよくわかっていない様子で、困惑した表情を浮かべます。その、莉々須の表情に、自分がいったいどう応えてあげたらいいのか、、すぐには小恵理にも、適切と言えるような応対が思いつきません。
その莉々須に、魔力の使いすぎか、ひどく疲れた様子のベスタが、髪色をよく見てください、と気の毒そうな声で指摘します。
小恵理とミディアム・コエリの大きな違い、それは、異世界人であるミディアム・コエリには、同じ黒髪でも、その髪には青みがかかっている、ということで。
莉々須は指摘されるまま、日本人特有の、小恵理の完全な黒髪を見て、その動きを止めます。そして、何かに気が付いたのか、口許に手を当て、目に涙を溜めて、小刻みに首を振りながら、じりじりと後ろへ下がっていきます。
「う、そ、、でも、、!」
「莉々須、彼女はもうコエリではなく、、小恵理、なのですよ」
「っ!」
ベスタの、夢から現実へと引き戻すような、厳しい通告を受けて、莉々須は衝動的に後ろを振り向くと、そのまま走って部屋を飛び出していきます。
「待って、莉々須!」
小恵理もとっさに後を追いますが、部屋を出たところで、一瞬足が止まってしまいます。ここはいったい、城のどこーー?
小恵理は、積極的に城へは関わろうとしませんでしたから、父の暗殺事件の調査以外では、王妃に招かれたときなど、最低限しか城内を移動したことはありません。それも、窓の外に見えている景色からここが二階であろうことはわかりますが、二階より上は父の毒殺未遂でも犯行ルートの外でしたから、この辺りは完全に初見で、現在地の見当すらつきません。かつて城内へと突撃したのはコエリであって、今の小恵理にはここが城内のどこに当たるのか、全く見覚えがないのです。
それに、
「、、コエリ!?」
部屋を出た直後、そこには両手に大量の瓶を抱えながら、急いで廊下を走ってくるジュノーがいて。
最後に小恵理がジュノーを見たのは、、確か北の山へと向かう前、ハウメアの命令によって追跡していた魔術師団から助けられて、ディセンダント公爵邸で話した時だったでしょうか。ここで見るジュノーは、ちょっとやつれたかな、と思う反面、自分が眠っている間に何があったのか、また少し精神的に大人びたような印象を受けます。
ジュノーは、小恵理の元へと走り寄ってくると、どこか安心したように表情を緩め、持っていた瓶を近くの台へと置きます。
「あー、なんだ、無事で何よりだ。ベスタに助けられたのか、それとも自力で脱出したのか? まさかどこかで隠れていたとは言わんだろうな?」
ジュノーは、一見気安げながら、なんとなく緊張した様子で、訝しげに問いかけてきます。どことなく警戒されているようにも見えますが、自分の眠っている間にいったい何があったのかは、ずっと眠っていた小恵理にはわかりません。
ただ、彼もまたこれが小恵理とは気付いていないようで、、婚約者ではあるんだから、そこはすぐ気付いてほしかったと言うか。ベスタは気付いたのだし、ちょっと薄情な婚約者様だな、と思わなくもありません。
「王子、違いますよ。これはコエリではありません」
と、背後から出てきたベスタが、ジュノーへと固い表情で告げます。ベスタはベスタで、小恵理には内心複雑な心境がありそうで、自分の心を決めかねているようでもありました。
うん、、まあ、わかるけどね。聡すぎるベスタは、何故ミディアム・コエリではなく、小恵理がここにいるのか、察しはついているみたいだし。そういえば、以前コエリと入れ替わって眠りに就く直前、王の居室でベスタと最期の別れをしてしまったことを思い出して、ベスタと顔を会わせているのも、なんとなく気まずい感じがしてきます。
ジュノーは、は? と疑問の声を口にすると、どういうことだ、と小恵理をまじまじと見つめてきます。
「どう見てもコエリだろう? 人にこれだけ回復薬を用意させて、お前が助け出したんじゃないのか?」
「いいえ、残念ながら。莉々須の光魔術を用いた一点突破で無事援護はできたはずですが、僕らが抜ける穴については、次元を超える間の、幾重にも張られた結界に阻まれていましたから。だから、こちらから突破したわけではありません。異空間への到達も間近でしたから、意味はあったと思いますけどね」
さしずめ、卵の殻を内外両側から穿つ、雛を返す親鳥のようなものですか、と皮肉げに笑いながら、ベスタはジュノーの方へと進み、台に置いてあった瓶を一本手に取ります。そして、中身も見ずにそれを飲み干してしまいます。
「つまり、最終的には自力で帰ってきたということか。さすが魔女を名乗るだけのことはあるな」
言いながら、ジュノーは残りの瓶をベスタから取り上げるように回収します。どうもベスタ、魔力を維持するために王子をパシりに使っていたみたいです。さっきまで疲れた様子のベスタでしたが、今の液体を飲んだことで、少し顔色が良くなっていました。
ベスタは、それを名残惜しそうに見つめながらも、まあいいでしょう、と割り切って頷きます。大胆すぎる采配に悪びれた様子もなく、単に、もうコエリは助けられたのだから、これ以上の消耗を心配する必要はないからと。
そして、悪戯っぽく口許を歪めると、では、と切り出します。
「あなたがコエリだと思っているなら、それはそれで僕には都合が良いので、ここまでにしておきますが。それより、莉々須はどこへ行きました?」
「莉々須か? なにやら取り乱した様子で向こうへと駆けていったが」
ジュノーは、自分が来た方とは逆方向の廊下を指差し、しかしな、と首をかしげます。
「向こうは屋上へ続く階段があるはずだが、今は立ち入り禁止になっているから、向こうへ行ったとてーー」
「屋上!? ありがとう王子!」
小恵理は、そこまでを聞いた時点で、弾かれたような勢いで駆け出します。ありがとう? と不思議そうに首をかしげた王子の姿は、勿論見えていません。
途中で止められれば良いけれど、、屋上、なんて。万一の事故が起きたらと思うと、自然に足は急ぐ方へと向いていきます。
とはいえ、城内はただでさえ広い上、曲がり角も多く、小部屋に通じる通路なんかもあって、一本道ではありません。使用人らしきスーツの男性やメイドさんともそれなりにすれ違うため、こんな道では、影画を使って突っ込むわけにもいきません。速度に慣れない内にそんなことしたら、簡単にただ事でないレベルの事故になります。
「ああもう、莉々須、どっち行ったの!?」
「ーーお困りですか、お嬢さん?」
と、今階下へと向かおうとしていたとおぼしき、貴族風の青年が声をかけてきます。年齢は小恵理より少し上くらいでしょうか。理知的な雰囲気の青年で、全身黒の洒落たスーツに、金の飾りをいくつか身に付けていますが、その格好や顔立ちは、どことなく北方の貴族を思わせ、あまりゾディアックで見る風体ではないように見えます。
誰だかわかんないけど、、今はとにかく莉々須を追うのが優先です。小恵理は、ええと、とちょっとだけ考えてから、さっぱりした開襟シャツに、動きやすそうなパンツスタイルで、とさっき見た莉々須の外見について解説をします。
「ああ、それなら向こうの階段から屋上へと走っていきましたよ」
「本当!? ありがとう!」
小恵理は、示された方向へとすぐさま走り出します。青年が、不思議なものを見るように首をかしげたのも、勿論見てはいませんでした。
階段はすぐに見つかり、空気の流れや匂いの様子から、外が近いことがわかります。ここまで来れば、使用人もいないし、小恵理は階段を一足で跳び上がると、既に開け放たれていた、屋上へと出る扉を抜け出ます。
「待って莉々須! 早まらないでっ!」
いつの間に雨が降ったのか、外では湿った鉄のような香りが漂っていて、石造りの床には水溜まりも見えています。その、一番奥、城の鋸壁の淵ギリギリのところで、莉々須は地上を見下ろしていました。
ここまで全力で駆けてきたのでしょう、荒く息をつきながら小恵理を振り返った莉々須は、思い詰めていると言うよりは、混乱している、困惑しているといった雰囲気の方が強くて、そこだけ少し安心します。つい衝動的にここまで来てしまっただけで、飛び降りる気配まではなさそうで。
「莉々須、、驚かせてごめん、本当にごめん、大丈夫?」
「大、丈夫、、平気、ちょっと、混乱して」
莉々須は、ちょっと色々感情がぐちゃぐちゃして、と額を押さえると、冷静に考えてみれば、ただ入れ替わってるだけだもんね、と半ば無理矢理に笑って見せます。別に何があったかはわかってないんだよね、と。
うん、前言撤回、、気丈と言えばいいのか、強がりと言えばいいのか、そうして無理に前を向こうとしている様は、逆に不安定で、簡単に崩れそうな危うさを感じます。ーー答え次第では、本当に後を追って飛び降りてしまいそうな。
「あの、それで、、コエリ、は」
莉々須は、聞きたいけれど聞けない、聞けないけれど聞きたい、といった逡順した様子で、一度そこで言葉を区切ります。
これだけ莉々須が取り乱すのは、つまり莉々須がこのコエリと小恵理、二人の入れ替わりの原理を知っているからに他なりません。実際、あれだけコエリと親しくしていた莉々須ですから、小恵理が眠りに就いてしばらく後、コエリ本人から、その時の入れ替わりの事情についても聞いているのです。
実際は、今回はコエリとは本当にギリギリのところで入れ替わることができたので、ミディアム・コエリ当人の人格は消滅はしていません。自分と違って、限界突破して魔力を使いきったとかもないし、だから小恵理も、莉々須を安心させるため、大丈夫だよ、ちゃんと中で眠っているよ、どこかで目覚めるよ、と言ってあげたいのです。
けれど、シリウスとの激闘を見ていたからこそ、コエリの心身の消耗を、傷付き疲れた、それこそ本当に死の間際まで追い詰められたことも、知ってしまっていて。無闇に大丈夫と言って安心させても、会わせてあげることまではとてもできません。
だから、小恵理は慎重に言葉を選んで、まずは、ちゃんと生きてるよ、と教えてあげます。
「ただ、シリウスっていうの? あの魔族との戦いで、すごく消耗していて、、今ここで起こしてあげることはできないけど、ちゃんと生きてはいるから」
だから、自然に目覚めるまでは待ってあげて、と。そうしたらまた会えるから、と小恵理が続けると、莉々須は、
「、、えっ!? あの、ちょっと、泣かないで!?」
「わ、、かってる、、! でもぉ、、!!」
急に顔を両手で覆い、泣き崩れてしまった莉々須に、いやどーゆーことよ、と戸惑いながらも、小恵理は急いで莉々須の下へと駆けつけます。ちゃんと安心させてあげたつもりだったのに、なんか間違えたかしら、と本気で心配になります。
「あの、ごめん、だから、大丈夫だからっ!」
「ううん、、違うの、、!」
莉々須は、あー、いや、だめだこれ、ますます泣き出し、小刻みに首を振って、違うの、違うの、と繰り返します。やむなく莉々須の頭を抱えてあげて、小恵理は、あのね、だから、と呼び掛けます。
いや、私の胸でたんとお泣き、ってやるにはちょっとその、ボリュームが足りてないというか。こーゆー役割慣れてないし向いてないんだよ、と困りながらも、小恵理は、莉々須? だからね? と呼び掛け続け、やがて莉々須から、クスクスという笑い声が漏れてきます。
「あー、だい、じょうぶ、、? 落ち、着いた、、?」
「うん、、もう大丈夫。ごめんね、急に取り乱して」
莉々須は、目元をそっと拭うと、少し悲しげに、大丈夫、ともう一度繰り返します。
「大丈夫、、本当は、今でも少し悔しいんだけどね。コエリの一番大変なときに側にいてあげられなかったこととか。原作を知ってるからって、少し油断してたのかな、、次にシリウスが出てくることだって、わかってたのに」
「あー、莉々須は原作知ってるんだもんね。私はその辺よくわかんないけど。でも、大丈夫よ、シリウスも私がやっつけてあげたし、また元気になったら会わせてあげるから」
だから元気だして、と。小恵理がそう明るく励まして元気づけると、莉々須も、ようやく笑顔を見せーー直後、屋上の入り口の方から、かつん、という、足音が一つ響きます。
それは、本来であれば無音で歩けるところ、わざと音を鳴らして注意を引き付けているような気配があって。小恵理が顔を上げると、そこには、
「二人とも、落ち着いたのなら、そろそろいいですか? ーーそろそろ事情を聴かせてほしいのですが」
屋上の入り口では、腕組みをして片足を壁に付けたベスタが、いい加減待ちくたびれたと言わんばかりに、クールな装いで、こちらを眺めて待っているのでした。