ホロスコ星物語180
さて、、日がな一日やることもなく暇だと、自然と頭は何かを考える方へと向かうしかなくて。小恵理はいつものようにソファーに座って外の庭を眺め、冴えない表情で、重いため息をつきます。自分が結構アクティブだという自覚はあるから、こういうの、本当に苦手です。
何がキツいって、まずずっと時間を無駄にしてるのがキツくてさ。あの日、侯爵に尋問を受けてから更に3日、ここに来るまでは途中、コエリの用件で寄り道こそしたけど、決して無駄ではなかったし、それを見届けたはずのベスタを見ていた限り、ちゃんと何か、収穫はあったと思います。でも今は本当にただの足止めで、せっかくここまで走り抜けて、アルトナの捜索を続けてきたのに、という思いは日に日に強くなっています。
問題は、いくつかあるんだけど、、第一に、魔王がいつまでも出てこないこと、です。
魔王の力なら、ここまで転移魔術でも駆使して来れば、遅くても数日で着くはずなのに、、いつになっても、近付いてくる気配すらなくて。でもあの性悪魔王、知恵だけは本当よく働くから、こうしてわざと待たせて、こっちの精神的消耗を狙ってる、とかは普通にあり得そうだし。それがはっきりしないうちに屋敷を飛び出して、またどこかで殺人事件でも起こされて罠に嵌められる、とかマジで嫌だし。
だから、今はまだ、ここにいるしかないのだけれど、、小恵理は憂鬱な顔で、はあ、と再び大きくため息を付きます。あの侯爵の尋問からすでに3日、ここまで時間がかかると、まさか魔王が罠にかかったことを知らない、とかないよねと、少し不安になってきてしまうのも事実で。
レグルスは、今もベスタとは一緒にいるはずだから、、ベスタからレグルスには、小恵理が捕まった、という話は伝わってるはずです。なら当然、魔王にもそれは伝わっていると思うんだけどな、、魔族と魔王が情報のやり取りができない、とかあったら、もはや笑い話だし。なら結局、どういう理由だかでこんな一週間も無意味に待たせてくれてるっていう結論は、変わりそうにありません。
となるとーー、小恵理は組んだ腕の上に顎を乗せて、どうしよう、と自分の今後を思案して。そろそろ疲れも感じてきて、見飽きた庭から目を離し、ソファーからも立ち上がって、自分のベッドの上に移動して寝転がります。育ちが悪い令嬢とでも思われたのか、最初こそ部屋付きのメイドさんも驚いた目を向けていたけど、今はもう慣れたもので、気にも留めません。むしろ少し微笑ましいくらいの感じ。
この子は、年齢は20くらいなのかな。落ち着いていて、穏やかな菩薩みたいな気質の子で、目鼻顔立ちは卵形の可愛い系でルックス良し、でも仕事は手早く正確で、先読みも空気読みもできる気遣いの子です。侯爵がどういう意図で置いていったにせよ、この3日間本当によく尽くしてくれていて、感謝しかありません。使用人の鑑です。
こんな子、現代にいたら余裕で重宝されるだろうなあ、、と思いながら、小恵理はぼんやりとその子を眺めてみて。
せっかくスタイル良いのに、日がな1日ここで立って座って、足が棒にならないのかな、浮腫んだりしないのかな、と少し心配もするけれど、今も格好も背筋も、ピシッと整っていて、、敏腕秘書とか、こんな感じかも。スラッとした、長い脚も綺麗だし。こんなの男も放っておかないだろうなあ。
「ねえ、恋人とかいる?」
「ーー恋愛相談でしたら、お受けできますが」
ニコッと微笑んで、そんな唐突な質問にもキチンと応対をしてくれるメイドさん、でもやっぱり、答えてはくれないと。うん、知ってたから、落胆はしません。この子、唯一悲しいことに、とにかく秘密主義だからね。侯爵からの言いつけというより、生来の気質的に、自分の話をしたがらない子みたい。
そんな彼女からも、一応何も聞けなかったわけではないんだけど、、大半は雑学や豆知識で、頭の良い子なんだ、って好印象だったことはよく覚えています。それ以外に聞けた中で、とりあえず事件には関わらないなりに有用な情報かもと思ったのが、アルトナ以前に、赤い髪の子はこの辺ではほとんど見かけないこと、とかかな。
赤い髪は、ベツレヘムでは、というよりゾディアック全体で見ても珍しいらしくて、もっと北の出身の人によくいる髪の色、なんだと話していたと思います。ついでに、今のベツレヘム侯爵は、その北の出身の妻との子らしい、なんてことも教えてくれたけど、それだけはこちらから聞いていないのに答えてくれた話で、この子にも、何か思うところでもあるのかもと感じました。
実際は別に、アルトナの出身がどこでも、とりあえず捜索するには関係ないし、どうでもいいっちゃいいんだけど、、でもこの赤い髪っていうのは、コエリと入れ替わってから、何故かベスタが気にしていたから。何が気になるのかとか、詳しい事情は、秘密にされてしまって聞けていないけど、雰囲気的には、コエリにも関わる感じもしていて。とりあえず、この話は記憶にプールしています。
それから、と小恵理は周囲を見回しながら、あとどんな話があったかな、と、この数日あちこち庭を散策している間に使用人たちのお喋りから聞けた、いくつかの話を思い出します。一応、護衛という名の監視を引き連れてなら、庭を歩く許可は出してもらえたから、それを有効活用したわけです。
とはいえあの侯爵様、箝口令じゃないけど、使用人たちも私語も慎むよう指示でもされているのか、みんな無口で、情報自体はよく管理されていて。噂好きなメイドさんがこそこそと声をひそめて会話していてるのを、ネイタルのチート能力で聞いちゃったくらいなんだけど。
まず大事そうなのが、殺されたプロビタス子爵についての人柄です。死人を悪く言うのもどうかと思うんだけど、その子爵さん、実は先代のベツレヘムの腰巾着みたいな男で、その独裁者かつ暴君な振るまいから、恨みに思ってる人間は大勢いたんだ、っていう話があって。
実は最初の尋問で侯爵が、プロビタス子爵とはどこで知り合ったのか、みたいな質問を深掘りして、気にかけていた理由もここにあって、見た目は結構な美少女である小恵理について、この男に何か迫害や、意に沿わぬ行為でもされたのではないかと危惧した、という理由もあったのだそうでした。
これについては、あのあと侯爵にそれとなくプロビタス子爵の人柄や日常を聞いてみたりして、何回かやり取りをしながら、実際に侯爵本人から釈明みたいに、少しばつが悪そうに、子爵の悪行を謝罪するようなことを言われています。
「これは領主たる私の管理不行き届きであって、ここでこう言ってしまうのも恥ずかしい話だが。君は、いかにも奴が好みそうな、その、とても魅力的な容姿や、顔立ちを、していたからね。奴の毒牙にかかった可能性は、こちらも配慮しなければならなかったのだよ」
少し赤面しながら、魅力的、とか言って、告白でもされたみたいな雰囲気で、何故か侯爵の目は少し泳いでいたりもして。とりあえず、そうなんですか、とだけ返事はして、お礼も言っておきました。そのお礼への応対もちょっとキョドった感じで、侯爵って普段理知的でしっかりしてる分、なんか可愛く感じた覚えがあります。領主でもあるし、整った顔立ちで、凛々しい雰囲気とかもあって普通にモテると思うのだけど。案外不器用で、女性慣れしていないのかもしれません。
それはさておき、そのプロビタス子爵について話しながら、その性格として、侯爵から代名詞のように言われていた言葉が、父のようなクズ、だそうで。
それを語る侯爵の、いかにも恨みがましげな目付きに、ドロドロした何かを溜め込んでそうな雰囲気とか、自分の父を評する言葉としては、この辺りとても闇が深そうで、たぶん母親にまつわる何かなんだろうな、とは感じながら、聞き返せもしなかったけれど。プロビタスっていうのもそれと近い、女癖の悪いクズ領主で、侯爵の目から見て、目に余る人物だったことは確かみたいでした。で、恨みに思った女から殺された可能性を考慮した、ということだったらしいね。
この発言からしても、いよいよこの新ベツレヘム候、今回の件では、本当に犯人は知らない、で確定みたいで。魔王との繋がり自体があるのか、利用されてるのかまでは、まだわからないけど、、少なくとも、事件の首謀者のことは本気で追っていて、レグルスが殺人の犯人だということは知りません。カモフラージュでもなんでもなく、兵を動員して、侯爵本人もイェニーまで出向いたりして、精力的に実地調査も行ったりもしていたから、これは確定だと思います。
ーーとなると、この殺人事件の解決自体をしようと思ったら、やっぱり犯人はレグルスっていう魔族だ、って教えてあげたら、すぐに解決するんだろうけど、、今なら信用もされてきているし、耳を傾けてももらえそうとは思うんだけど。
でも、やっぱり難しいよね、と小恵理はベッドで俯せになりながら、軽くため息をつきます。そんなことを言っても、当然、なんで知ってるのか、なんで今まで黙ってたのかって話にはなっちゃうし、実は私が引き連れてました、なんて言った日には、せっかく白って言われてるのに、今度は共犯として本当に捕まりかねません。ずっと別行動してると思ったら、本当レグルスのせいで、とんだ大迷惑です。
あれから、勿論レターでのやりとりはないし、レグルスなら影を伝ってここまで入ってくるかも、とも思ったけど、様子見に来る気配すらないし。それじゃああんなに人を殺した理由も本人には聞けないし、レグルスの告発については、やっぱり保留するしかないかな、というのが、当面の結論なのでした。
それから、不穏そう、っていうほどではないんだけど、、この三日の間には、もう一つわかったことがあって。それが、人間と魔族が共存して、一見平和そうに見えるこのブルフザリアも、実は一枚岩ではないということです。
これは一回屋敷に反魔族派、とかいうらしい人間が陳情にきたことがあって、急に屋敷がピリピリし始めたから、侯爵に問いただして、やっと口を割らせて判明した事実で、、具体的には、この街は今、今の新ベツレヘム候を中心とした親魔族派と、この街のもう一つの大勢力、ララージュ伯を中心とした反魔族派に分かれているそうです。
ララージュ伯というのは、ベツレヘムが王都にずっと留まって自分の領地に帰らない間、息子の今の新ベツレヘム候を補佐する、監督兼お目付け役としてブルフザリアへと置いていった、今のベツレヘム侯の叔父に当たる人物だそうです。ベツレヘムの一族でありながら、性格的にはわりと厳格で、けれどちゃんとベツレヘムらしく、自分の利益と、でも自分の領地や領民の利益もしっかり追求する、抜け目のない人物でもあったんだとか。
つまり、ララージュ伯っていうのは、侯爵と同じ、ベツレヘムの人間っていうことで、、なのに何故彼が反魔族派を率いたりすることになったかというと、この新ベツレヘム侯爵の挙げた実績が理由なんだそうで。
この新ベツレヘム候は、父が存命の頃からこのブルフザリアを治めていたそうだけど、、彼が魔族と手を組み、実際に街や人々に利益をもたらして、しかも恐怖ではない形で、魔族の地位をも押し上げた、なんて実績は、誰も成し遂げたことのない偉業、魔族との平和的共存への歩みとして、一族を揚げて大いに評価されたそうです。
それ自体は一見良いことのようにも思えるのに、何故そんなことがララージュ伯の反発する理由になったかといえば、魔族に個人的恨みがあった、、わけでもなんでもなく、単にそれを、お目付け役だったララージュ伯には黙って決行していたから、だそうで。
「少々事情があったとはいえ、お目付け役として、また叔父の立場として、彼の面目を潰してしまったことは私もわかっていた。だから、ある程度の金品や仕事は融通して、叔父やお目付け役としての地位の保全もしたことで、決着がついたものと思っていた。だが、、まさか、反魔族などと名乗りをあげて、派閥まで作るとはね。私の不徳の致すところだよ」
侯爵は、その話をしながら、小さく首を振って、少しだけ残念そうに、目を伏せたりもしていました。でもその言葉や目には、少し侮蔑するような光も宿っていて、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、ってこういう感じなんだろうな、とも思えて。私の大義がわからないとは、みたいな声が聞こえてきそうだったというか。
結局、そんな風に、自分に黙ってそんな勝手をしたのが、ララージュ伯にはよほど腹を据えかねたのか、あるいは他に何か、人には知られていないような理由でもあったのか、結局、自分だけ大した利益を得られなかったこともあって、侯爵とはそのまま対立してしまった、というのが、この話の概要だそうです。
まあ、、つまりはこれって大家によくあるお家騒動で、反魔族派にはたまたまララージュ伯に追従してた人とか、本当に魔族に恨みがあって参加した人が集まったものの、その勢力比はやっぱり能力の差なのか、人柄の差なのか、侯爵の根回しもあって、親魔族派が8、反魔族派が2くらいで、王都であった、血統派か王権派か、みたいな深刻さはないみたい。
このブルフザリアに魔族が住むようになったのは、先代のおデブなベツレヘムが魔族と手を組んだ頃からだそうだから、うーん、何ヵ月前かは、よくわからないけれど。でもとりあえず1年は経ってないくらいの、比較的最近のはずです。でも、街中では、普通に魔族も市民権を得ているようにみえるし、人々も、実際魔族に恐怖しているようには見えません。
そんな風に、魔族なんていう人間の敵と思われていた相手を、ほんの何ヵ月だかでここまで自然に溶け込ませた、、って考えると、どんな魔法を使ったんだろうって思うし、今のベツレヘム候のプロデュース能力の高さ、有能さが伺い知れるというものでもあって。
本人からも、反魔族と言っても取るに足らない、みたいな余裕めいた雰囲気も出ているし、その実績を誇るより、むしろ平和を維持できている安心感の方が強そうで、、街の人の幸せに、いかに侯爵が心を砕いているかは、伝わってくる気がしました。
「失礼、起きているかな?」
ーーと。カンカン、と扉を叩く音がして、小恵理は、ベッドから起き上がり、ソファへと移動して、どうぞ、と返事をします。どうせ警報結界内部の動きは侯爵には筒抜けですから、庭から部屋に戻ったタイミングを見て、今なら話ができると思ってやって来たのでしょう。
小恵理は、でもそろそろこっちも何とかしたいよね、と思いを巡らせながら侯爵を迎えます。
いい加減この部屋に篭ってるのも飽きてきたし、そろそろこの侯爵からも、事件を進展させられる言葉を聞かないとね、と、迎え撃つような気持ちで。