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ホロスコ星物語226

神域とされる霧の森は、一見するとピッカ山と同様、深い霧に覆われていて、コエリは前方を見通すように、うっすらと目を細めます。

この霧も、ただの霧ではない、、ピッカ山同様に、魔力によって生み出された霧です。それは、コエリは勿論、マティルド青年にすら察知することができるほど、明確なものでした。

「けれど、この霧は清浄ね」

ピッカ山の霧は、先代の魔王によって生成されたと言われていて、その霧には闇の魔力が含まれ、その霧の中に放たれた魔力を残らずかき消すという、厄介な仕掛けが施されていました。

その仕掛けは、今では小恵理が闇魔術にとっての天敵である光魔術を、その広大な範囲へと影響を及ぼせる天候魔術と組み合わせて、光の雨を降り注がせ、山の全域における霧の消滅に成功しています。だから、これからピッカ山はただの登山用の山、あるいは狩猟採集用の山として、人々の手へと取り戻されていくはずです。

けれど、ここは神域というだけあって、最初から闇魔術の気配などは欠片もなく、むしろその清冽ともいえる純白の靄は、神界や聖地というに相応しい、神聖な空気すら、辺りへと漂わせています。

「ここが神域と呼ばれるのは、その霧の魔力が不浄を打ち消し、魔を祓うからだと言われているそうです」

マティルド青年は、緊張した様子で、固い表情で前を向いたまま、隣を歩くコエリの言葉に応じます。

その、胡散臭げな視線は、あなたには意味がないようですが、とでも言いたげで、コエリは思わず、苦笑して、そうね、と頷きます。

「不浄を打ち消す、神域の霧、、なら、私が影響を受けないのはおかしくもなんともないわよ」
「闇魔術なのに、ですか?」
「闇魔術でも、よ」

ほとんど即答ともいえるマティルド青年の反発に、コエリは湖水のように、静かな横顔で頷きます。

事実、この霧はコエリの体調にも魔力にも、何ら影響を及ぼしてはいません。他の系統の魔術を用いない、闇魔術の権化ともいうべきコエリの魔力であっても、神域の霧は抑えようとしない、、その事実を、顔にこそ出さないものの、コエリ自身若干の驚きをもって受け入れています。

半分意外ではあったけれど、その理由は、コエリ自身理解はしています。

魔の力に敏感で、かつて魔王の力によって完全に正体を隠され、大神官という仮初めの人格を与えられていた、光の魔族に対してさえ、危機意識を換気した、当代随一の法術師、アルトナ・フロスティア、、コエリの友人であった彼女からすら、コエリの闇は不浄な闇ではなく、星月夜のような、落ち着きと安心を与える夜闇だと評されています。

魔族の扱うような邪悪で禍々しい、ただの闇魔術ではなく、それだけの清らかさと正しさを持った魔術だからこそ、神域の霧も反応しない、、そんな特異な現象が、コエリの魔力には起きているのです。

そんな奇跡は、マティルド青年のような、闇イコール魔族の悪しき術と考える、ごく普通の偏見を持った魔術師では、まず考え付かないでしょうね、とコエリは思います。

とはいえ、コエリ自身、彼女ら学院の友人たちに気付かせてもらえなかったなら、今でも自分は、不浄な闇魔力の権化だと自認していただろうとは、思っています。だからこそ、コエリは先程テオバルダへと名乗りを上げる際、小恵理と剣に生きるではなく、友と剣に生きる、と明言しています。

今の自分に存在する理由を与えてくれたのは、勿論最後には光の魔族を撃退し、魔王すら退けて、生きる道を示してくれた、小恵理の影響によるところが大きいけれど、、それでも、学院の友人らやベスタ、ジュノーの力がなければ、今ここに自分は存在していません。コエリはその万感の思いを込めて、闇魔術は、とマティルドへと続けます。

「闇魔術には、魔族や魔王が使う、負の心を源流とする正真正銘の闇魔術と、人々を陰から見守り、月のような柔らかな明かりでもって人々を闇から希望へと導く、星月夜の意味を持つ闇魔術が存在するわ」
「、、あなたは、自分が後者だと? あんな、、卑劣な魔術を用いておいてですか!?」

卑劣、、と。その言葉の意味するところに、ここまでのアラウダとの接敵へ思いを馳せながら、コエリはマティルド青年の不意打ちともいえる激しい怒りを、一度言葉を切って受け止めます。向けられる厳しい眼差しと、悔しげな、苛立たしげに歪められた、彼の顔つきを眺めやりながら。

少なくとも、自分が先程アラウダとの戦いに用いていた闇魔術は、通常戦闘に用いられる範囲の術に留まっていたはずだから、、おそらく、マティルドのいう卑劣な魔術、というのは、昨夜、小恵理が殊更に相手に恐怖を与え、戦列から離脱させるために用いた、幻術の数々を差しているのでしょう。

昨夜のことは、勿論コエリも、いつものように小恵理を通して見ていました。あれに、小恵理がアラウダの結束力を認め、半分はやむなく闇魔術の使用という選択を採った、という意識があったことも含めて。

小恵理の扱っていたあの魔術は、、だから、戦術としては間違ってはいなかっただろうと、コエリもまた思ってはいます。

ある程度、道を開けさせるための術で被害があったのは仕方ないとして、迂闊に物理的な反撃をすれば、今の魔力の高まりすぎた小恵理では、それこそガレネやテオバルダのように、突出して頑健な体躯の持ち主以外には、どうしても致命的になりかねません。そして、如何に敵対していても、一般の人々に死者を出すことを、小恵理は望んでいませんでした。

だから、恐怖を用いて離脱を強いることは、あの場面における、最善手ではあったはずーーだけれど、と。

あの闇魔術が、その扱い方が正しかったかと言われてしまえば、コエリをして、自信をもって断言できないこともまた、感じてはいました。

あれを扱っていた、小恵理の意識のもう半分は、悪乗りに興じた子供じみた部分もあって、、幻術を用いられた人間の中には、それこそ自死でもって、その恐怖から逃れようと考えた人間が、何人も生まれたはずと思うから。その結果、何人に死が訪れたのかは、コエリもまた、把握してはいません。

容易に解呪できないのは、、小恵理の魔力では、仕方ないにしても。また時間で解放されるよう、事前に仕込まれていたとはいえ。彼らの精神がそれまで耐えられたのかは、正直疑問もありました。

そして自死であっても、被害が出れば、それは闇魔術を過度に用いた、小恵理の罪禍となるでしょう。あそこまでする必要があったのか、という疑問には、コエリもまた、答えを持ち合わせていません。

このーーマティルド青年に聞く、以外では。

「そう、ね、、ごめんなさい。私から聞けた話では、ないのだけれど、、彼らは、無事、なのかしら?」

コエリは、軽く息をつき、葛藤を内に抱えながら、黒のドレスの前で手を揃えて握りしめ、憂鬱そうな眼差しで、ややうつむき加減に、そう問いかけます。あの中から悲劇がいくつ生まれたのか、何人に嘆きと悲しみを与えたのかを、正面から受け止める覚悟をもって。

実際は、それは小恵理の犯した所業であって、コエリ自身の関与する話ではありません。けれど、おそらくその小恵理の選択は、自分が背負うべきものでもあるとも感じてしまって。

そうーー元々を言ってしまえば、その当の小恵理ですら、自分がその心の弱さ故にこの世界へと引き寄せてしまった、いわば被害者であって。その全ての責は、元来自分で背負わねばならないものだということを、今はもう、知ってしまっています。

そんな思いが、コエリのほとんど無表情に抑えられていたはずの表情筋をどう動かしたのか、マティルド青年は、その問いかけに、何か少なくない衝撃を受けたように目を見開き、コエリの横顔を凝視します。

「彼らは、、一応、皆で助け合いながら山を降りて、今は宿で、治療を受けている、と、、報告が」
「そう、、それは、良かったわ」

コエリは、その回答に、心底安心した、といった様子で、うっすらと瞳を細め、頬をわずかに緩めます。あれだけ冷徹で、冷酷にすら見えていたコエリが、本当に安堵したとしか、見えない様子で。

マティルドは、そんなコエリの横顔から、目が離せなくなってしまったようにその顔を見つめ続け、やがて、ポツリと、あなたは、と問いを口にします。

「、、あなたは、本当は、なんでこの神域に来たんですか?」
「ーーえ?」
「あっ、いえ、その、、なんとなく、気になって」

マティルド青年は、頬を赤らめながら、自分の頭に手を当てて、気恥ずかしげに俯きます。それから、自分でもよくわからないというように、戸惑った顔を上げ、わずかに顔をコエリの方へと向けながら、けれど直視はできなくなってしまったように、慌てて目線は下へとさげて、その、と続けます。

「僕には、、あなたが、何か他の貴族たちのように、醜い私欲であったり、勝手な我欲のためにここへ訪れたとは、とても、思えなくて」
「、、そうね。今の私はただの代役、あの子の都合で出てきただけの存在だから」

あの子の、都合、、という、その言葉に、マティルド青年は、訝しげに首をかしげ、自分でも口の中で、その言葉を繰り返してみます。

それは、コエリには不本意だった、という意味にも取れる一方、コエリがその事情に対して、一定の理解を示しているようにも見えていて。
それに、マティルドは、代役? と不思議そうに問いかけます。

「つまり、本当は他にここへ来るはずの人がいたけれど、その人が何か都合で来られなくなってしまって、その代理であなたが来た、、ということですか?」
「正確に言えば、途中で交代したのだけれど。その解釈でも、大きく違っているとは言わないわね」

コエリは、軽く肩を竦めて一度頷きます。
事実、小恵理は途中までは自分でランツィアを連れて、この龍頭山脈を登っていて、途中の何者かの仕掛けによって交代を余儀なくされたに過ぎません。ーーその正体や意図がどのようなものであったのか、推し量ることはできるけれど。

だから、本来であればコエリは、あくまでも以前のように、小恵理という人格が表で自儘に過ごす様を、暗闇に抱かれて、外界を覗ける小窓を通して、小恵理の内側から見つめるだけの存在でいるはずでした。今コエリが外にいるのは、あくまでも、ある種の事故に過ぎないのです。

勿論、同じ身体で人格が、魂だけが入れ替わっているなど、普通の人間に理解できる話だとは、コエリも思ってはいません。マティルド青年へも、そこまでをわざわざあえて解説することもないからと、コエリはあえて説明を避け、不意に小恵理と交代した、あの場面へと思いを馳せます。

、、本当を言えば、、小恵理と交代した時点で、アラウダから迎撃があることを悟ったコエリに採れる選択として、ランツィアを連れて山脈を降りて、プロトゲネイアへと事後の処理を任せながら、自分はイダへと帰る、という道もあったのは、事実ではあって。

ベスタの症状は、確かに魔王の魔力によるもので、神域の力を借りてしまうのが、最も早く確実な選択ではあったとも思うけれど。小恵理は気が付いていなかっただけで、ベスタの治癒をするだけなら、もっと簡単な方法はあったのです。小恵理に採れる選択であったのかは、わからないにしても。

ただ、自分であれば、迷わずその方法を採っていたとは、コエリは思っています。何人かに恨みを買おうと、それが不本意であろうと、採るべき決定を採るという決断力は、やがては国を動かすだろう筆頭公爵家の令嬢として、必ず持ち合わせていなければならないものだったから。

結局、こうして小恵理の望みに従って、ここまでは来てしまったけれど、、それが正しい選択であったのかは、今のコエリをもってしても、わかっているわけではありません。

ただ、仮にその道が正解でなかったとしても、それを正しい道へと均していくのは、今ここにいる自分の役目ではあるのでしょうね、と、、コエリはそんな、今後に待ち受ける未来を予期して、どこか重い感情を内に抱え、沈黙します。

そうして言葉を切ってしまったコエリに、マティルドは、よくわからない様子で、首をかしげます。

「では、、その人の代理として、あなたが動いていたとして、、何故あなたは、わざわざランツィアを連れてここへ?」
「それが前任者の意思だったから、よ。私は、あの子の望みであれば、どんなことでも叶えてあげたいと思っているから」

それが、例え足手まといを連れて神域へ出向き、後に何人かにとっては、悲劇と直面することであろうとも、、と。コエリは、内心だけでそう付け加えます。

今はまだ、高台の下でこちらへ来るか来るまいか、迷っているだろう、一兵士に過ぎない青年、、今見えている事実、それぞれの因縁や、何より、コエリにだけは見えてしまう、心の闇を見る限りでは、その結末は知れています。どうしたって避けられない、悲劇を。

マティルド青年は、その愛しいものでも語るような口調と、どこかもの悲しげな瞳に、はっと息を飲み、慌てて目を反らして、どこか心を乱した様子で、悔しげに唇を引き結びます。

その、傍からは判別の難しい、ころころと変わる青年の反応に、コエリは、どうしたの? と不思議そうに、首をかしげて問いかけます。特別、コエリにとってはマティルドが、そんな過敏な反応をするようなことを話したとは思っていません。

「赤くなったり怒ったり、こっちを向いたり目を反らしたり、忙しい子ね?」
「子って、、! あなた、学生でしょう? 僕の方が年上ですよ!」
「そういう反応が、お子様なのだけれど」

まあいいわ、とコエリは、悪戯っぽく、ふふっ、と笑いかけます。今この場で年齢について語る意味など、まず全くないけれど、マティルド青年と話すのは、別に苦ではなかったから。

そうして、慈母のようにマティルドへと向けた笑みは、なんとも言えず艶っぽく、その柔らかな眼差しと、長い睫毛、ふっくらした唇と、無意識の内に、思わずマティルドはその美貌の数々を目で追ってしまって、

「ーーーっ!」

その少女の、絵画から飛び出した、絶世の芸術のような美しい笑みが、自分に向けられたのだと、、それを意識した瞬間、顔だけでなく、全身に火がついたように熱が滾ってしまって、マティルドは、思わず顔を反らしーーそれだけでなく、そそくさと着ているローブの袖で、自分の顔を覆ってしまいます。

「、、少なくとも、その振る舞いは成人でも紳士でもないわよ?」

何をやっているの、とコエリはそのマティルドの反応に、クスクスと笑い声をあげます。マティルドは、袖の隙間からその優しい笑顔を見て、ますます、自分でもよくわからない、気恥ずかしさに顔が火照ってしまって、え、えと、えと、と口ごもります。

そうして、恥ずかしがるマティルド青年と、それを見て微笑むコエリという、二人の間に、しばしの間、いつにない和やかな空気が流れーーその、マティルドの腕を。
不意にコエリが、その細身からは想像もできないような速度と力強さで、掴み取って。

「ーーえ?」
「、、何か来るわ」

さっきまでは存在しなかったはずの、何か、禍々しい力、、コエリは、いつでも動けるよう身構えながら、その異様を引き起こした正体を上空に見つけて、うっすらとした笑みを浮かべます。

真っ白な霧の中からでもはっきりと見える、上空で青白く輝く、円形の光ーー

「あれは、転移魔法陣、、!?」
「ようやく登場ね、、そろそろ来ると思っていたわ」

マティルドの驚愕に、コエリは隣で、余裕の笑みで頷きます。

最初は、小恵理を南の海洋へと引き寄せ、カイロンのふりをして、小恵理の魔力を消耗させ、次は、コーニア山の川辺で、水竜の顎でもって、小恵理に深い傷を与えた、正体不明の使い手、、それがコエリの登場を想定していたのかは、わかってはいないけれど。

ーーいや、、あるいは、あの龍の顎の仕掛けそのものが、小恵理を後方へ下げ、コエリを呼び出すための仕掛けだったのだとすれば。

その、転移魔法陣の中心に立つのは、羽衣のような、黒い絹の織物に身を包む、まだ中等部の子供くらいに見える、年若い少年、、コエリと比較してすら全く引けを取らない、圧倒的なまでの闇の魔力を有する彼は、コエリにとっても、決して浅い縁の相手ではありません。

勿論、それが、偽者であったとしても。

「さあ、、踊りましょう?」

あなたの用意した、望みの舞台で。
主役は、こちらにはいないのだけれど、と。コエリは言外にそう告げ、見る者の誰もを虜にする、妖艶とも言える笑みを浮かべました。

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renkard
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