土地の名をうたう(英語編)
San Francisco
曲にしやすい地名があるような気がします。発音しただけで、器用な人ならメロディーをつくってしまうくらい語呂がいいのです。いま頭にあるのはサンフランシスコ(San Francisco)です。
サンフランシスコが歌詞に出てくる曲といえば、トニー・ベネット(Tony Bennett)の「想い出のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」が頭に浮かびます。
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私は音楽には決して詳しくはありません。また重度の中途難聴者なので新しい歌の聞き取りに苦労します。頭、あるいは耳の中でふいに出てくるのも、口ずさむのも、YouTubeでよく聞くのも、昔まだ耳が健常だったころに聞いた曲が圧倒的に多いです。
そんなわけで、この記事では思いつくままに曲名と歌手の名前を挙げながら、知っていることと感じることだけをつづります。蘊蓄などぜんぜんありません。各曲について調べたことを書きつらねるのも遠慮します。
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San Francisco はもともとスペイン語だったせいか、母音と子音の並び方がリズミカルに響く気がします。メロディーに乗せやすいのかもしれません。
San Francisco は、辞書の見出しでは「San Fran・cis・co」となっていますね。四音節ということですが、個人的な印象では「サン、フラン、シスコ」と三つの部分に分けて発音される気がします。
スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)が歌った「花のサンフランシスコ(San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair))」が、いま頭の中で響いています。あくまでも記憶の中の音なのですが、やはり「サン、フラン、シスコ」と聞こえます。
California
サンフランシスコといえばカリフォルニア。州の名前ですね。
ママス&パパス(The Mamas & the Papas)の「夢のカリフォルニア(California Dreamin)」を思い出します。
サンフランシスコ(San Francisco)やカリフォルニア(California)は、日本語式に発音しても十分に綺麗に響きます。語呂がいいのです。昔の歌は、はっきりと発音して歌いやすく感じます。
San Jose
バート・バカラック(Burt Bacharach)は歌詞に旋律を乗せるのが天才的にうまいと思います。歌詞の音にピッタリの音と音階を付けて仕上げている感じがします。音楽を知らない素人の個人的な感想ですけど。
Raindrops Keep Fallin' on My Head(雨にぬれても)なんて、歌詞と旋律が奇跡のように合体しています。リズミカルなのです。曲自体が、降ってくる雨に擬態しているように聞こえてなりません。
Do You Know the Way to San Jose の出だしには圧倒されます。ポンポンポンというリズムが始まると、もう駄目です。一瞬のうちに引きこまれてしまいます。Dionne Warwick(ディオンヌ・ワーウィック)の声もいいですね。
サン・ホセ(San Jose)もスペイン語から来た土地の名前です。アメリカには、そうした地名がたくさんあります。英国だけでなくフランスから来た地名もあるし、北欧や東欧から来た地名もあります。
まるで、いやまさにモザイクですね。アメリカ人でも現地の人でないと読めないつづりが多いと言います。各地名のスペリングと発音はそれぞれの土地の歴史そのものなのでしょう。
地名入りの米国の地図を眺めていると、いろいろなキャンディーの詰め合わせみたいに楽しいし、数々の木の実や果物の味がする濃厚なお菓子を頬張っているような充実した気分になって飽きません。「何だろう、この湿った食感とぴりりとした辛さは?」なんて感じで、ときどき首を傾げます。
Massachusetts
ビージーズ(Bee Gees)の「マサチューセッツ(Massachusetts)」は、小学生か中学生の頃によくラジオで聞いた記憶があります。当時は何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。マサチューセッツ(Massachusetts)が、「まさ、中性」に聞こえて仕方ありませんでした。まさと呼ばれている男子(美少年でした)が同じ学年にいたのです。
そういう記憶って大切です。愛おしいのです。あとで考えると荒唐無稽なのですが、頭の中に刻まれている自分だけの大切なイメージ。おそらく死ぬまで、それが頭の中に残っている気がします。
この曲では、冒頭と同じメロディーで「サンフランシスコ(San Francisco)」も歌われているのですが、Mas・sa・chu・setts と San Fran・cis・co はともに4音節であり、後ろから2番目にアクセントを置いていることに気づきました。両方とも口にしてみると心地よい地名です。
マサチューセッツは、アメリカ先住民の言葉から来た地名なのですね。検索していたら「マサチューセッツ族」という言葉と出会いました。こうした先住民に由来する土地の名は、アメリカには数えきれないほどありそうです。
土地の名前は土地の精霊と結びついている。精霊たちはそこにずっといる。追い出したとしても、必ずもどってくる。そして人を歌にいざなう。人の口から出て、その地で再び生きる。そんな気がします。
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音である言葉に音階なり旋律という形で音を付ける。音に音を付けて流れをつくる。音に音を乗せる。音に音をかぶせる。リズムにリズムをまとわせる。
素敵なことを考えたものですね。歌の始まりはどんなものだったのでしょう。鼻歌とか、叫びとか、うなりとか、つぶやきとか、節があるかないかみたいなものが、だんだんちゃんとした節になっていったのでしょうか。
Manchester & Liverpool
アメリカの地名が続いたので、英国の地名の出てくる歌を思い出そうとしているのですが、なかなか浮かんできません。そんなとき、ふいに出てきたのが「マンチェスター、アン、リバプール」という歌詞とメロディーです。
ネットで検索してみて、Pinky & The Fellasが歌った「Manchester & Liverpool」だと知りました。この歌の成立には思いがけない裏話があるのですね。私は歌の知識には疎くて、いろいろ引用して蘊蓄を傾ける柄でもありません。Pinky & The Fellasという名も聞いたことがなく、初めて目にしました。
マンチェスター、アン、リバプー
こう聞こえた冒頭のフレーズだけで私には十分です。そういえば、これまでに何度かこの二つの地名を見聞きするたびに、この出だしの旋律と地名が頭の中で鳴っていたような気がします。
なんだか、甘く切ない気分になってきました。歌の醍醐味ではないでしょうか。こういう自分だけの思い出やイメージを大切にしたいと思います。
Scarborough
英国の地名だったのですね。知りませんでした。
「Scarborough Fair(スカボロー・フェア)」という歌は、サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)バージョンだけしか知らなかったので、ウィキペディアの解説「スカボロー・フェア」を読んでびっくりしました。この解説は充実していて、なかなか読みごたえがあります。
「バラッド」なんて、大学時代に習った言葉が出てきました。すっかり忘れていました。「バラード」とも関係あるのですね。とても勉強になりました。でも難しかったです。すぐに忘れそうな気がします。
慣れしたんでいた歌については、知らなかった背景やエピソードを知りたいと思う場合と、イメージを壊されたくないから知りたくないと退ける場合があります。この歌に関しては、素直に「そうなのか」と感心しました。
それにしても綺麗な歌ですね。この歌詞にはこの旋律しかないみたいに感じるのは私だけでしょうか。
何度か繰り返される、ハーブの名前を並べた部分が気が遠くなるほど美しい。これだけでも十分に詩ではないでしょうか。
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Peterbourough
ピーターボロのように発音します。その土地の人は「ボロ」の部分をすごく弱く発音するのです。
私が高校二年生のときに初めてホームステイをした町の名前です。Scarborough という名を見聞きすると、この土地の名とその土地の記憶が必ず頭に浮かびます。
米国のニューハンプシャー州にある小さな町の名前なのですが、もとは英国のイングランドの地名から来ているみたいです。老人となったいまでもストリートビューで「訪ねる」ことがあります。泊めてもらった家の番地や見学したハイスクールの名前を頼りに「訪ねる」のです。
寝る前にこの「儀式」をすると夢に出てくることがときどきあります。その夢の中ではピーターボロの「ボロ」を弱くつぶやくように発音した誰かの声が決まって出てくるのが、不思議でなりません。その誰かにもう一度会いたいです。
America
生粋のアメリカの曲にもどってきました。その名も、America 。サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)の楽曲です。
「アメリカ」の語源には諸説があるようです。叙事詩のような歌詞ですね。ストーリーが頭の中で映像化されて泣けてきます。やはり、アメリカの風物が自分の中で自分なりに刷り込まれているのを感じないではいられません。
アメリカの歌を聞き、アメリカのテレビドラマを見、アメリカの商品に憧れ、アメリカに留学したいと願っていた子ども時代から少年時代。「アメリカ」は自分にとって掛け替えのない土地であり、また土地の名前なのです。
私だけしかいだいていない「アメリカ」にまつわるイメージが私の中に生き続けている。目を閉じて意識を集中すると、そうしたイメージが洪水のように押し寄せてくる。そんな気がします。
私にとって「海外旅行」として訪ねた唯一の国もアメリカなのです。でも、再びあの国を旅することはないでしょう。体に自信がありません。
土地の名。
土地の記憶、土地の名の記憶。
土地にまつわるイメージ、土地の名にまつわるイメージ。
home、country
移民から成る国家、開拓民が切り開いた土地、先住民を追い出し追いつめた土地、広大な国土、過酷な自然、豊かな動植物たち、さまざまな気象や地形、実りや収穫の喜び、馬車や自動車や飛行機を使っての移動――。
アメリカに住む人たちの土地への思いは、日本に住む人たちのそれとは大きく異なる気がします。各土地の名の成立や、各土地の名にまつわるイメージも、日米ではかなり違っているのではないでしょうか。広い国ですから、一般論は禁物だとは思いますけど。
いや、日本だって、多種多様な地形と自然と風物があります。面積とか地理とか歴史という抽象は、土地に対する侮辱なのかもしれません。
生まれ育った土地への思いを歌った曲は、たとえそれが異国のものであっても、心を打ちますね。
ジョン・デンバー(John Denver)の「Take Me Home, Country Roads (故郷へかえりたい)」では出だしに、地名、山脈の名、川の名が畳みかけるように歌われます。
私の心に残っているのは、サビの部分です。
「ふるさとに連れて行ってくれよ」と道に呼びかけています。直後に「West Virginia, Mountain Mamma」と来ますが、私の心はむしろ country と home という言葉に吸い寄せられます。
誰にでも、coutry と home があります。普通名詞ですが固有名詞と考えていいように思います。
home
またもやサイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)の曲で恐縮ですが、「Homeward Bound」で締めくくりたいと思います。先日、「二つの「たった一つのもの」」という記事で扱った歌です。
この歌も泣けます。邦題が「早く家へ帰りたい」。かつて故郷を離れていた学生時代の自分にすっと心が飛びます。
home 、これだけでいい。homeとつぶやく、homeと口ずさむ、homeと叫ぶ、homeと呼びかける、homeと節をつけて歌う、それだけでいい。
私には home が Mom に聞こえてなりません。
ふるさと、くに、いなか、さと、うち、いえ、と同じように特定の場所を指しているわけではないけれど、だからこそ、各人が自分だけの思いを重ねることができるのではないでしょうか。
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土地の名をうたう。
土地の名は遠い記憶を呼び覚ます、魔法の言葉。
土地の名には土地の旋律が宿っているような気がします。土地の名は一つでも、その旋律は無数にあるのではないでしょうか。
無数というよりも人の数だけあるのかもしれません。掛け替えのない一人ひとりの人たちの数という意味で「有数」なのです。
とはいうものの、人がいなくなれば、名前も旋律も、静かに精霊にもどっていくのかもしれません。
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