星に翻弄されまくっているとしても、だ
とはいっても、これ、自分で創り出している世界の中でなわけで。
そして、翻弄されてはいても、今日も健やかにご飯もおいしかったりするのです。
大丈夫じゃん!って、思うけど、心の奥底のわたしは、違う違うそんなことを言ってるんじゃないわよ、と駄々っ子なのです。
この、駄々っ子が活動し始めた?のは、今年は3年になりますが、今の家に引っ越した後くらいです。
幸せなことに、帰宅するとそこはもうパラダイスなわけで、自由気ままに(しかしルールもちゃんとあるよ!)
何をしてもしなくても、ここにいる時間はパラダイス!と、ちみっこな(そして駄々っ子)わたしは気ままなわけです。
大人になれば、誰しもだけど、やりたくないことをやらなくちゃいけなかったり、会いたくないゎーって人にも会わなくちゃいけなかったり、いろいろあるから、帰宅したらわずらわスイッチオーーーーーフとするのです。
少し前なら、やりたくないとか会いたくないゎとか、そんなこと考えたこともなかったのだけど、
”いい人をやめてみる、繊細さんの革命”と銘打ってから(真顔)やだーーー、めんどくさいーーーなんでーーーーーと聞こえてくるわくるわの
心の声なのでした。
とはいえ、全部やめるとか会わないとか、さすがにそれは(笑)というのもあるからね。少しずつ、少しずつ、それでもわたしは本当はこんなことを思っているんだというのを、自分の中に習慣づけていくうちに、いろいろ溢れ出るものが駄々っ子として出てきているのだと思います。
小さな頃に出せなかった感情のあれこれを、今のうちに、いやっ、今頃なの?そう今のうちにと、出してしまおう!と、星もそんなタイミングと詠んでいます。
星の動きを、自身に照らし合わせて詠んでみる時、例えばなかなかハードな時期ですよ、これはと感じてもそれを知っているのと、ただ知らずにキツいよーしんどいよーと何かに翻弄されるのとでは、まったく違うわけで。
そして、このキツいよーとかしんどいよーの時、これっていつまでなん?とか、何か抜け出せる突破口とか、心の持ちようとか、いろいろ思うことができるのが、星のめぐりを詠むことでまた変わってきたりするのです。
というわたしは、何だか今の星のめぐりに、とーーーーーーーっても翻弄されて、人生最大限に拗れまくっていておそらく今年はもう、まくりまなのだと観念して静かにしています(性格上、静かにはできない属であるが)
まずは、このひと夏を越えて、秋分の頃一つのめぐりを感じたいものがあります。
翻弄っていうと、ただ振り回されている感じがして癪なので(爆)翻されてあげているのよ、と思いながら。