私的関西文化財霊場 第一番札所 聖徳宗総本山 法隆寺 第一回
法隆寺の選定基準と参拝の前置きなど
法隆寺は国宝39件、重要文化財153件を所蔵しています。
前回紹介した私的関西文化財神仏霊場の選定基準に照らすと270ポイントで、2位の東大寺に50ポイントの差をつけています。明治時代に皇室に献上され、第二次世界大戦後、 その多くが東京国立博物館所蔵となった法隆寺献納宝物を考えるとさらに圧倒的ですね!
法隆寺を参拝する前に、まず、聖徳太子に対する思い入れを少々。 それは忘れもしません。小学4年生のときの、山岸涼子先生の「日出処の天子」という漫画との出会いでした。 その漫画に描かれた厩戸王子像は、当時少年であった私に大変な衝撃を与え、歴史上の偉人を多面的にみる視点を与えてくれました。ネタバレするといけないので詳述は避けますが、今現在でも色あせない(それどころか時代を先取りした?!)魅力的な厩戸王子の前半生が描かれます。
参道入口から南大門へ
西院伽藍正面の参道と東西に走る国道25号線との合流地点に、寺号標と史跡法隆寺旧境内の標識が立っています。 そこから入ると、しばらく続く松並木の参道からは法隆寺の威容をうかがい知ることはできません。 参道を抜け少し開けた場所に出るとはじめて正面に南大門が現れます。
参道の両脇に新しく設置された道路があり、法隆寺iセンターやお店などが立ち並んでいますが、初めて法隆寺を訪れる際は感動を味わうためにも、是非、松並木の参道からはいることをお勧めします!
実は、寺号標の南にも参道が張り出していて、天保12、13年の年号が入った石燈籠があります。 こだわり派の方はそちらから入ってみてください!
国宝 法隆寺南大門
国宝の法隆寺南大門は室町中期、永享10(1438)年の再建で、三間一戸の八脚門、入母屋造で本瓦葺の建築です。規模はおおよそ当初のままですが、華やかな装飾が中世的特色をよく示しています。 興福寺の中金堂は七度の再建のたびに、創建当初の姿かたちを踏襲しようと試みられたようですが、法隆寺では各時代の建築様式の建物見ることができ、それぞれの違いを楽しめます。
創建当初は西院伽藍の廻廊の中心に立つ中門の南に近接するように建てられていたようで、飛鳥、奈良時代など古い時期の伽藍配置の特徴となります。法隆寺では子院が増加し境内の拡張が必要になったため、平安時代後期に現在地に移転したようです。
法隆寺西院大垣
次に注目すべきは、南大門から左右に伸びる築地塀です。東に約200m、西に約100mつづくその塀は、法隆寺西院大垣(南面)として重要文化財指定を受けています。 江戸中期の元禄10(1697)年再建で、見過ごされがちですが、姫路城の土塀や三十三間堂の太閣塀と並ぶ、立派な文化財です。
それに続く東側には東大門の南に約90m、北に約60mの法隆寺西院大垣(東面)、西側には西大門の南側に約70m、北に約6メートルの法隆寺西院大垣(西面)が同じく重要文化財指定を受けています。いずれも南面同様元禄10(1697)年の再建ですが、西面の西大門の両脇を除く南方部分だけは室町時代から残る築地塀となります。
同じ一続きに見える築地塀も建造された年代が異なるので、その違いを楽しめるといいですね!
結びの考察
今回の投稿はいかがだったでしょう?
神社やお寺を訪れる際、最近では駐車場から境内に直行する方が多いのではないでしょうか?でも、昔の人々は本来の参道からゆっくりと境内に近づき、初めて対面する建築の荘厳さや豪壮さに感動したと思います。それぞれの神社やお寺でその見せ方に違いがあると思うので、駐車場から遠回りでも、ぜひ本来の参道入口から入ってみることをお勧めします!
あわせて、今回、あえて築地塀を取り上げさせていただきましたが、平地のお寺が塀で囲まれているということに思いを馳せてみてください。神社の境内は開放的であることが多く、囲われていても本殿の周囲を玉垣(瑞垣)がめぐらされている程度です。一方平地に築かれた寺院は周囲に塀を巡らせていることが多いです。調べてみれば学問的な答えはすぐわかりますが、一度自分の頭で考えてみてください。
わたしは、縄文時代にさかのぼる起源をもつ争いのない日本で発生した神道と、多くの戦乱を経験した中国・朝鮮半島を経由して導入された仏教の違いに起因するのではないかと推測します。皆様のお考えもきかせていただけるとありがたいですし、学問的通説などもご存じの方がいれば教えてください。
参照ページ
法隆寺公式ホームページ
国指定文化財等データベース
文化遺産データベース