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私的関西文化財霊場 第一番札所 聖徳宗総本山 法隆寺 第2回


前回の補足 参道入口の石燈籠について

第1回の参道入口から南大門への項で述べましたが、通常参拝者が入口と認識する国道25号線沿いの寺号標から、南にしばらく参道が続いています。
JR法隆寺駅から徒歩で府道5号線を北に進むと、並松商店街というゲートが左側に見えてきます。そこから入って西に向かうと参道入口を示す石灯籠が見えてきます。
向かって右手が天保12年、左手側に天保13年の年号が刻まれています。そして、正面には皇太子という文字が刻まれています。当然、聖徳太子のことなのですが、なぜ皇太子とのみ刻まれるのでしょう?
地元ゆえの親しみからくる省略なのか?それとも天皇になれなかった無念さを想像することに由来する畏怖なのか?あえて普通名詞のみで、諡号を刻まない意味をいろいろ想像してしまいます。

参道入口の石燈籠
天保12年の年号

法隆寺西院西南隅子院築垣

国宝南大門を抜け法隆寺の西院境内に足を踏み入れるとそのまま中門へとつづく比較的大きな道が現れます。その道の左手に続く築地塀が法隆寺西院西南隅子院築垣です。北に約75mほど続いてから西側に折れ、120mほど続いて西大門に至ります。こちらは江戸時代の元和から元禄(1615~1703)年間に築かれたようで、概ね西院大垣と同時代の建築と捉えていいかと思います。こちらも重要文化財指定を受けています。
前回、南大門の項で平安時代に子院が増加したため境内を拡張したと述べましたが、まさにこの築地塀の部分がその拡張部分にあたると考えます。つまり、南大門は飛鳥・奈良時代には築地塀が折れ曲がる位置に建っていたと想像しています。

西園院上土門・法隆寺西園院唐門

文化庁の国指定文化財データベースを参照して文化財の名称を記述していますが、文化財によって法隆寺という名前がついたりつかなかったりします。上土門と唐門は重要文化財指定されたのが昭和17年と18年の一年違いなのですが、何か理由があるのでしょうか?昭和17年の指定の際は子院分は子院の名称のみ、昭和18年は法隆寺プラス子院の名称となっているようです。名称の基準改定があったのかは不明ですが、気になります。
さて、上土門は平らな屋根の上に蒲鉾型に土を載せて屋根の勾配を付けたもので、四脚門に次ぐ格式があり、宮家・門跡・公家・寺家などの正門に使用されていたようです。現在は、檜皮葺に改められています。現存するのは、この西園院上土門と近くにある法輪寺の西門(奈良県指定文化財)の2例となり数少ない遺構の一つです。
唐門は弓を横にしたような独特の形状の唐破風を持つ門の形式で、正面に唐破風を持つものを向唐門、横に唐破風を持つものを平唐門といいます。法隆寺西院唐門は一間平唐門、檜皮葺です。醍醐寺三宝院の唐門が平唐門として有名ですね。
西園院は敷地内に法隆寺の事務所を抱える子院になります。友の会の入会受付はホームページによると郵送になりますが、ここで直接申込可能です。

法隆寺西院西南隅子院築垣・西園院上土門・法隆寺西園院唐門

西園院客殿

上土門・唐門から少し北に進むと築地塀越しに杉皮葺という見慣れない葺き方の屋根が現れます。それが、西園院客殿です。西園院は寺務所以外、参拝客には非公開となっており立ち入ることはできません。従って、西園院客殿は塀越しに屋根の部分のみを楽しむことになります。ただ、先ほど述べたように杉皮葺という独特の屋根の葺き方と、北面入母屋造、南面切妻造という南北で違う屋根の構造となっている非常に興味深い建物です。こちらも桃山時代の建造物として重要文化財指定を受けているので是非お見逃しなく!

西園院客殿

おわりに

今回は、西院伽藍の子院部分のうち西側の西園院を中心に紹介しました。法隆寺の本坊として、事務所部分のみ友の会入会手続きなどで入ることができますが、ほかの部分は非公開となります。しかし素通りするのはあまりにもったいないです。事前に下調べしてのぞむと、それぞれの建物の見方が変わってくると思います。
調べたことを土台として、いろいろ想像したり、考察したりして楽しみましょう!

参照ページ
法隆寺公式ホームページ
法輪寺公式ホームページ
国指定文化財等データベース
大阪文化財ナビ

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