コーチングアシスタント
JSPO公認のコーチングアシスタントの通信教育(NHK学園)の勉強を始めて約1か月が経った。
テストの提出期限は5月の下旬だ。
どの項目を読んでも興味深い事ばかりで、勉強をしている間はとても楽しい。読み耽ってしまうのでなかなか前に進まない。
特にコーチングの基本姿勢や日本のスポーツにおける歴史的背景などのところは、思わず感嘆してしまう。
日本が何故、今でもトップダウンの形式から抜け出せないのか?
それは戦争の歴史的背景や教育におけるスポーツのあり方や結びつけ方に深い関わりがあることが理解できた。
これだけ日本人という種族に脈々と刻まれたもの根深く植え付けられたものを覆すのは並大抵のものではないことを思い知らされた。
しかしながら、私もその文脈の中に組み込まれた1人でありその私がこの年齢において気づくことかできていることを考えると、少しでも伝えるアクションを起こしていくことは無駄なことではないのではないかと考える。
今、指導者としてスポーツ選手に関わっている方々は、私が今学んでいるコーチングアシスタント(前スポーツリーダー)を通り指導者へとなった人も多いと思う。
もちろん、学校の教員から部活の顧問として関わってる方も多いだろう。
どこを通ったとしても、指導者として念頭に置くのは目の前にいる選手の最善の利益とは何か?ということを考えることではないかと思う。
昨年の暮れ、私は保育園の第三者委員会というのに参加させていただいた。若い頃、保育士として働いた経験があることから参加させていただけたのだが、現在の保育指針から学ぶこととなり、その中で第一に考えることは「子どもの最善の利益」と掲げてある。
子どもの権利条約の中の一文にも
「・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。」
と書いてある。
では子どもにとって最もよいこととは何なのか?
「子どもの権利」が守られること」
一言に言えばこれに尽きる。
実際には指導者が上記を考えて子どもと接している人はどれだけいるだろう…。
人は自分がやっていることを最善だと思いがちだ。時は流れてその時は最善であったり、1人の子どもにとって最善であったとしても他の子には最善になりえないかもしれない。
指導者として選手と関わるのであれば、いつも頭のどこかでこの子にとって最善ななんなのか?今、自分がやっていることは最善に近いことなのか?と問いかけながら、自分自身もアップデートしていく必要があるとつくづく感じずにはいられない。
それは指導者としてということでもなく人として、という部分でも同じだ。
どんなに年齢を重ねたとしても、人は成長する。
そんなことを思いながら私のコーチングアシスタントとしての学びは続く。
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