昭和の中学校、頭髪検査
昭和時代、そう、成人男性の誰もが喫煙者で
職員室は煙だらけの、
化石のような古い思考で、頭の固い教師ばかりの時代
中学一年の三学期だと記憶している
第一月曜、
朝から行なわれる全校集会
注意事項やら通達やら、
そして
誰の耳にも届かない、退屈な校長の話が終わり
クラス順に教室へ戻る生徒の列
両サイドには目を光らせた教師たちが並び
恒例の「服装検査」が敢行される。
今でこそ自由な表現?で髪型も自由なのか、
奇抜な中坊も見かけるが
当時、まだまだ封建社会だった
昭和という遺物時代
例えば、
・男子の前髪は眉にかからない、
・後ろは襟にかからないよう刈り上げ、
・横は耳にかからず、もみ上げは耳の中ほどまで、
……と、
生徒手帳に細かく記載されていた不思議な時代。
その日、僕は少し長いかな?と思いつつも
とは言っても規定よりも1〜2cmほどの長さ
散髪に行く適切な時期を2~3週間ほど逃した程度だ
まぁこれには事情があるが後述するとして…
教師たちが服装検査の目を光らせる列に挟まれ歩いていると
おもむろに担任が僕の後ろに回り込み
いきなり後頭部の髪を掴んで引き摺り回す
「オマエ、何やこれは?
典型的に長いぞ!今日帰ったら切ってこい!」
パシッ、パシ!!と
後頭部を平手で叩かれては
髪を引っ張られ、2〜3回
突き放された。
現代なら大問題となる暴挙、
しかし当時は
教師による平手打ちなど日常茶飯事だ
担任も他の教諭の手前
体裁を保つためなのか、何のプライドなのか
なんだかよく分からないが
それほどの逆鱗に触れることか?と思いつつ
僕は恥ずかしいやら悔しいやらで泣きそうになり、
でも足早に
深呼吸をしながら戻り、
教室の前で平静を装って、席に着いた
その日
帰宅してから迷った挙句
「お母ちゃん、散髪行きたいんや…切ってこい言われた」と
母は
「そうか、わかった」
と、引き出しにしまっていた封筒から
800円を出してくれた。
食費かなにか、取り分けていたお金なのは分かる
当時、母子家庭の我が家で、
子供なりに家計を慮っていた僕は
自分で、散髪は1学期に2度まで、と決めていたのだが。
「ごめん…」
声にならない言葉が聞こえたのかどうか
母は「伸びたからな、早よ行っておいで」と
翌朝、登校して切ってきた報告はしないまま、
教室で僕の髪を見た担任は何も言わなかった。
そんな担任も、
僕が卒業して十年ほどのある時、
当時の中学の卒アルを見る機会があり
職員の欄を見ると、最初のページ
校長の顔写真となっていた。
無難に努めていれば登りつめられる年功序列の世界で
彼は人として何を与え、何を得たのだろうか?
あの時、職員室に駆け込んで
「先生!お金がないんです
散髪いきたいけど
来月までウチにお金がないんです」
と言ってしまったら
どういう反応をしてくれたのだろうか
数十年後のいま思い出しても、悔しくて涙が出る
今、公立校の先生は、仕事量も多く
報われ難い仕事だと見聞する
どうか歪んだ教育で、歪んだ人材を
育てることの無いよう
やり甲斐を使命を持った広い心の持ち主だけが残って、
未来の人材のために活躍してほしいと願う。