年末を前にして

 魚津のダイニングバーで食べたバーニャカウダの味が忘れられない。どうせ一人で行くのだからカウンター席だし,ダイニングバーのカウンター席って小さいから邪魔にしかならないだろうと思って,コートを着ずに静かな駅前を闊歩した。あいにく雨と風が強い夜で,指先の感覚がじんわりと麻痺したような状態のまま店に入ったのだ。新幹線が停まる駅前の割に,しかも土曜日のくせにひどく閑散としていたのはきっと悪天候のせいだと結論付けた。
 特段自分はバーニャカウダに詳しいわけでもない。もっと言えば厳密な材料すらよくわかっていない。ただハイネケンに非常に合う味をしていて,それから野菜が使われているので夕飯の後でも罪悪感なく食べられるなと感じられる料理だった。高校生のカップルが何かの記念日に作るアルバムのようなものがメニューブックで,意味もなくページをめくっては戻しながら一人でハイネケンを開けた。なんだか社会人を謳歌している自分,が認識できたような気がした。それが良いか悪いか,有意義なのかそうでないのかは分からず。

 もう師走がやってくるのか。酔った頭でぼんやりと思い出す。変わり映えのない毎日を惰性で消費していたせいで,過去と現在がどれほどに離れているかの実感が薄い。やりたいことを実行に移す気力もなければ生活スタイルを変えようとする度胸もない。自分以外のいわゆる世間がどんどん前に進んでいく様を遠巻きに眺めては,ビールをあおることが日課になりつつある。働いているだけ上出来でしょとは思う。でも働いているという事実はただ当たり前だということに過ぎない。
 無駄にしょうもない技術が更新されていく。最近は手を使わずにスナック菓子を食べる技術を身につけた(大変行儀が悪い)。本当に途方に暮れているのだと思う。パズルゲームを異常にやりこんだ時期があった。考えるという作業にはとてつもなく労力がかかるようだった。
 訴えたり,わめいたりしたことろで現実が何一つ変わらないのであれば相談って無意味じゃないか。しかし相談という行為に大きな価値を見出していてるし認めてもいる。自立した振る舞いをする芝居。誰も救ってくれるはずがないのに。


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