季節が終わることに慣れない
夏は京都に滞在した。カフェとバル,寺社仏閣。乗り換えが数分おきに来る私鉄で初めてSuicaを本格的に使った。コインロッカーがマンションのように並んでいた。まとまりごとに花の名前が付けられていた。人ごみに紛れると日傘が不便で,よく日焼けした盆となった。お賽銭の額が足りなかったかなとか,そういうどうでもいいことを9月になっても考える。
風呂上がりも風呂の意味が無いくらい暑かった。秋の京都に人気がある理由を痛感する。あの時期は甲子園が続いていて,見知らぬ高校球児たちを酒を飲みながら応援しては感嘆の声をこぼしたり驚いたり,そして眉を下げたりした。昼寝の最中で夢を見ているようだった。可憐な花,と部屋に掲げてあった。粋な宿だった。
この文章を仕事終わりに書いている。ひとを日常に引き戻す引力の強さたるや。パソコンを操作しながら通院の領収書が視界に入った。3割負担でも結構高額だよな,つい年間の概算を頭の中で算出してはため息を吐く癖がもう何年も続いているがこの癖はまだ繰り返していくだろう。プレイリストの曲に飽き始めていて,また組み直す必要があった。もう暑くないから,夏を連想させる曲のことを忘れなければならなかった。まだ花びらの枯れていない向日葵のことを変なのと思ってしまった。自分は浅はかな人間だ。
すべてのアンラッキーは,自分の日ごろの行いとか性格のせいだと考えねばならない年齢なので,その思考回路に電気を流す過程で生じる苦しさのことは一旦外に投げる。自分の中の社会性はなぜ育たなくなってしまったのか。あともう少し書きたいことがあるのに,どうも気が滅入ってしまって特に情景描写が進まない。パソコンの稼働音が静かに流れている。理想の自分の姿がどうしてもマジョリティの価値観に引っ張られている事実を認めたくなくて泣きたくなる。自分は違うはずだと,必死にこらえているのを認知している。馬鹿のようだ。
季節が変わった。もう変わってしまった。夜に暑くて目が覚めることがないから,季節が過ぎ去ったと思う。明日の朝は栄養ドリンクを飲むことを決めている。夏はよかった。後悔はあって,投げやりな気持ちを引き継いで,秋に繋がっていく。こんな風に抽象的にまとめようとする自分のことが嫌いだ。もう一度備忘録を兼ねて連ねるが,プレイリストの曲目を早急に見直す必要があった。サボテンの棘の感触と花火の転調を,思い出として仕舞い込まなければならない。数年ごとに同じことをする。聴ける歌を,深く埋めていく。
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