『Westmead公立病院入院回顧録 ⑪』
大きな変化は突然言い渡される。
だいたいはそうである。
さてICUでは毎朝ドクターたちによる見回りがある。
彼らはどう思っているのかしらないが、患者側からすると動物園のゴリラにでもなった気分になる。いやゴリラほどいかつくないからニホンザルくらいか。さすがに俺も自分で自分をパンダ、とかコアラとか言えない。竹や笹はちっとも好物とは言えないし、木の幹にしがみついた母の背中にしがみついてじっとしている自信もない(母にもなかろう)。
彼らは外からこちらをジロジロ見ながら「山田さんのご主人ったらねぇ」「ごにょごにょごにょ」「あーらやだ」「ごにょごにょごにょ」「ほんとぉ」「ごにょごにょごにょ」「あーらやだやだ」なんつってときどきオホホホなんつってゲラゲラ笑ってみたりする(←イメージ)。俺の方を見ながら手元のモニターを見たりしているので俺のことについて話しているのだと思うが、患者側からしたら全然いい気分はしない。
ICUで3晩明かした日の朝、その中の一人がツカツカと俺のところにやってきて尋問をはじめた。分かる英語しか分からないし分かる英語は極僅かだが俺は一生懸命にその尋問に対応する。ドクターだから真摯に答えるのであって、同じ質問を園児から受けても答えやしない。
俺の返答に満足したのか、彼女は井戸端会議の集団に戻り、ごにょごにょごにょと話をしたかと思うと、それから何分もしないうちに俺の一般病棟行きが言い渡されることになった。
「えええっ、俺はもうここ追い出されちゃうの?大丈夫なの?」
満身創痍の俺の心の声は実際に口から音として空気を揺らしそこにいた人々の鼓膜も揺らしたはずである。でも日本語だったために鼓膜を揺らされても脳で上手く変換されなかったようであった。
彼らの動きは素早かった。そして容赦はなかった。
昼になる前にベッドの移動職人の人が待った無しで有無も言わせずまた俺をさらいに来た。朝注文した俺のランチは一体どうなってしまうのか?せめてそれも一緒に移動したかった。
ICUのある新館からなんとなく薄暗さを感じずにいられない古い建物の一般病棟にベッドごとゴロゴロと入ってくると、その雰囲気に馴染むように心中に段々暗雲が立ち込めてきてとっても不安になる。芸術家はとても繊細で敏感なのだ。
「ワンチャン、個室でお願いします!」
と神様にお祈りをしてみてはいたが、あまり贅沢をいうと逆に30人部屋とかにされちゃうかもしれない。そんなになったらカオスである。
ベッドがキュッと方向転換して入った部屋は4人部屋だった。その左手前の空いたスペースにベッドは停められた。カーテンで仕切られただけのスペースだった。
一気に混雑した東南アジアのマーケットに放り込まれた気がした。臭いも空気の色も変わったような気もした。
向かいは白人の高齢の女性で少し子供に戻っているようだった。
その向こうは色の黒いギスギスに痩せた高齢の男性だった。
俺の隣はインド人の60前くらいの太ったおじさんだった。
白人の女性は毎日家族の誰かが見舞いに来ていた。いい歳をした娘さん達が何人かいて、その旦那や子供達がいた。がやがやとせわしかったがまあそんなものだろうと思った。
彼女はナースの人から排便のことを聞かれるとプーが出た出ないを大きな声で発表した。羞恥心のようなものは遠い過去のどこかに置いてきてしまったように見えた。
誰も居なくなるとある女性の名前を呼んだ。それは誰のことなのか俺は確かめるすべを知らなかった。
「ナターシャ!ヘルプミー。ウエアアーユー?ナターシャ!ヘルプミー。ウエアアーユー?」
何度も何度もそう叫んだ。ナースの人がその女性に成りすまし?て彼女のベッドに来てなだめるまで叫び続けた。何人ものナースの人がナターシャになった。とても日常的とは思えなかった。俺の方が助けを呼びたくなるくらいだった。
奥の痩せた老人男性のところには息子夫婦が毎日訪ねてきた。息子はよくしゃべりかけていたが男性はとちらかといえば寡黙だった。トイレには自分で歩いていっていたが、彼のあとに入るっと便器の周りがびしょびしょだった。満身創痍の俺にはまずそれをどう避けるかという問題解決が必要だった。
インド人のおじさんはとても自分本位だった。これは俺の個人的見解だが日本ならあり得ないとおもう。
おじさんはどうやらあちこちが痛いらしかった。あちこちが痛ければ唸るのも呻くのもわからないではない。痛みなんて昼夜を問わずだから昼間だろうが夜中だろうが、うめき声が漏れるのは仕方ない。俺も鬼ではないからその辺は理解しているつもりだ。しかし、いくら身体が痛いからと言って、真夜中にまあまあの音量でインドのお経みたいなのをYOUTUBEだかなんだかで延々と流すのはどうかと思うのだ。俺がガンダムを操縦していたら踏みつぶしてしまうところである。
どれもナースの人って注意はしない。驚くほどしない。
彼女たちがしないから、しないものなのか、と思って俺はただただ我慢した。早くここから出ていきたいと思った。まだうまく歩けもしないが、とにかくこの場から一刻も早く去ってきたいと思った。
一般病棟で3晩明かした日の朝、アジア人の女性のドクターがつかつかと俺のところにやってきて、突然退院を言い渡された。
大きな変化は突然言い渡される。
だいたいはそうなのである。
一言メモ*******************************************
心臓の手術の方法にはいくつかあるみたいだが、俺がやったのは胸の真ん中をびやーーっと一直線に斬って、そしてその肉の下層にあるちょっと幅の広い肋骨をギーーンと縦に斬ってしまって、それをうりゃーーっとこじ開けてから、心臓さんにこんにちはするパターンのやつだった。術後これがちゃんとくっつくのに暫くかかる。脚の付け根の手術痕も劣らず痛い。
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『Westmead公立病院入院回顧録 ⑪』