手本に『赦罪』を書いた。俺がキリスト教徒ではないからか、個人的には馴染みのない言葉だ。 『シャザイ』という音からは『謝罪』の文字しか頭に浮かばない。
秋から冬に向かうチャツウッド地方。
寒くて寒くて寒い。
風に揺れる木々は葉が落ちて寒々しい。
雨が降った後なので町全体がしっとりして寒々しいし、
水墨画のような中途半端な薄墨色の曇りの空もとても寒々しい。
秋男さんとか冬子さんとかになんの恨みもつらみもないのだが、俺は寒いのがとても苦手なので、秋冬に対してポジティブなコメントができない。秋も冬も寒いのはとにかく嫌なのだ。
そういえば寒川くんという同級生がいたが、苗字を視覚でとらえてしまうとブルブルっってきてしまいそうだ。寒川くんは穏やかに話す人でいい人だったけど。
お稽古で、手本に『赦罪』を書いた。
ある生徒、クリスチャンであるオージーの彼は、聖書の言葉を書くことが希望で、毎回その手の二文字の漢字を手本に書いて渡す。
俺がキリスト教徒ではないからか、個人的には馴染みのない言葉だ。
『シャザイ』という音からは『謝罪』の文字しか頭に浮かばない。
相手のことを許す許さないどうこうより、良くないことが起こった場合、自分が悪かったと考えがちな日本人。
騙されても騙された自分が悪いと言ってみたり、怪我をさせられてもそんなところに居るのが悪かったとか関わったのが良くなかったとか。
誰もが言うのは「日頃の行いが悪いからバチが当たった」。
外国人からすると不思議な理由だ。
交通事故にあってしまうことと、日頃の行いは直接の因果関係はない。
しかし日本人は「バチが当たった」んだと考えてしまう。
つくづく変な人たちだ。でも俺は好き。
全然関係ないのだが、うちのオフィスビルのとなりの、ホテル兼マンションが壁面の工事をしている。
3人くらい作業できるくらいのゴンドラが屋上から吊るされていて、雨の今日は2階の広めのバルコニーのところに停泊?している。
そのゴンドラのロープのつなぎ目のところに布を巻き付けて、数か所ガムテープでぐるぐる巻きにしてあるのだか、薄々お察しの通り、朝窓からそれを見たときにぐるぐる巻きにされてる人間の死体が吊るされていると思って心の臓がびくーーっとした。
こないだ何かの映画だかドラマかでこういう頭からつま先まで全身ぐるぐる巻きの死体のやつ見たばかりだったのだ。
そんなとこに死体を置きっぱにしとくなよなぁ。
まったくよぉ。ぞっとしてもっと寒くなるじゃんよ。
こんなものを見て寒々しさが増してしまうのも「日頃の行いが悪い」からに違いない。