『Westmead公立病院入院回顧録 ④』
翌日は木曜日。
相変わらず身体にはペタペタとコードが貼り付けられていた。
針も突き刺さっていて、血液もぐいぐい抜かれる。採り放題だ。
手術の前だから、と前日夜から何も食べてはいけなかった。
この前日もその前の夜から何も食わないで病院に行けと言われ、結局(手術延期決定後の)夕方まで何も食べられなかったのだが、そのとき病室で夕食を食べてからは夜明け前に渡された薬をちょっとの水で流し込んだだけ。手術が終わるまで何も食えない。
手術の順番はリストの上位ということで、正午前後の予定、とその日の担当のナースの人には言われていた(毎日違う人だ)。
シャワー(個室についている)を浴び終われば、手術までは特に何もすることはない。腕立伏せも反復横跳びもスカイダイビングもオクラハマミキサーを踊ることもなく、ただ空腹を抱えながらお声がかかるのをひたすら待つのである。
が、実は、と言うと大袈裟になるのだが、当時肥満が過ぎていた俺は、youtuberの中田の敦ちゃんのチャンネルを見て、16時間空腹状態を保つダイエットを1年以上続けていた(はじめしゃちょうも先日自分のチャンネルで実行していることを発表していた)。俺の場合は1日に食べていいのは正午から午後8時まで。8時を過ぎれば翌日正午まではカロリーのある物を口にしない、というヤツだ。大変そうに思えるが慣れるとそうでもない。ということで、夕食のあと翌日の昼まで何も口にしないことは特別に苦でも何でもなかった。
さて、意外なほど突然に事は動いた。急にベッド運び職人のおじさんがやって来てベッドごとゴロゴロと俺をさらっていく。出荷を待っていた玉ねぎが業者に引き取られていく場面と似ているのか似ていないのか全く分からない。とにかく一夜を明かした個室の病室ともおさらばだ。もう戻ってくることもない。
院内をぐるぐるとゴロゴロされて、手術待機の場所にセッティングされる。引き継いでくれたナースの人はまた俺に名前と生年月日を聞いた。この「名前と生年月日を聞かれる」という行為は前日から実に何度も繰り返し行われた。俺には番号もふられていて、名前、生年月日、番号、が一セットになって俺が俺であることを証明するように仕組まれている。情報の書かれたステッカーが手首と足首に巻かれていた。
身長体重とか病気の遍歴とか、昨日も聞かれた同じような質問をまた繰り返し受けたのだが、俺は真摯にそれに答えた。初対面の人の質問は、たとえついさっき別の人に答えたのと全く同じそれであってもちゃんと答える、というのと同じだ。面倒くさがってはいけない。
俺のほかには右隣に息も絶え絶えに見えるアジア系のおじいさんが、左隣にはガタイのいい顔の作りがはっきりした西洋系のおじさんが待機していた。二人とも俺より随分歳上だ。特に患者同士の挨拶も会話もなく、その場で話しているのは3人のナースだけだった。
俺は両隣の人たち程顔色が悪いわけでもなく、ぐったりともしていなかったが、ナースの人たちに英語でジョークの一つも言って爆笑の渦に巻き込んでやろう、という気概があるわけでもなかったから、借りてきた猫よりもずっと大人しくしていた。
「ところで下の毛の処理はしてるよね?」と小柄な東南アジア系のベテランそうなナースの人に聞かれる。算数の授業の前に「分度器とコンパス持ってきたよね?」と何の気なしに友達に聞くような雰囲気だった。そしてそれは昨日はされなかった質問だった。
カテーテルは手首のところから入れるんだそうだが、そこから入らない場合は脚の付け根のところから挿入させる。そこに体毛があるのは邪魔なのである。
「いや」と答えると、そのナースの人は「あら困った人ね」という変な顔をしてバリカンとその他一揃え?を持ってきた。
「パンツ、脱ぐ?」と聞くと「あらまだ履いてたの?」と言って変な顔をされた。だって誰からも、脱いでろ、って言われてはいない。普通の社会生活の営みの中で日中にパンツを脱いだまま他人と、しかもよく知らない異性と至近距離で接することはまずない。そうだろう。
だがもしかすると「病人界」ではパンツを履いていないことが常識なのかもしれなかった。正式に病人界の住人になるにはパンツを脱いでいることがその証となるのかもしれない。しかしなんせ新入りなものだからそんなこと知る由もない。大学まで出させてもらったが、どの教育課程でも習わなかったし、教科書にも書いていなかった(まあ授業を最初から最後まで一言一句もらさずに聞いていたことは一度もなかったし、隅々まで読んだ教科書はたぶん1冊もなかったけども…)。
脱いだパンツをどうするか、も難問だった。
「どうしよう?」とナースの人に質問するのが変だという自覚はあった(よかった)からどんなに難問でも自力で解決しなければならなかった。
右手の人差し指に引っ掛けてクルクル回してみても解決しなかった。入れておく籠も袋もないし、だからといって頭にかぶっておくわけにもいかなかった。枕の横に置いておくにも変だし、足下に投げるのもはばかられた。人生には思わぬところに思いもよらない問題が転がっているものだとあらためて思った。
さて、毛の処理は、適度に広げられたシートで上手に性器を隠しながら手際よく行われた。見たくないものを見ず、見られたくないものを見られずに済むようにちゃんとマニュアル化されたのかもしれなかった。日本ではどうやっているのかとちょっと思ったが、どうしても知りたいというわけでもなかった。それよりも脱いだパンツをみんなどうするのかを教えて欲しかった。
俺が終わると、ついでのように隣のアジア人のおじいさんもナースの人から毛の処理について聞かれていた。彼はすでに処理済のようだったが、それを伝える彼の声は細くかすれて消え入りそうだった。「病人界」の住民感たっぷりのおじいさんは、そんなくだらない質問なんかせずに黙って静かに放っておいてくれと訴えかけているようにも見えた。
と、手術を終わった患者がベッドごとガタガタとあわただしく運ばれてきた。もう意識はあるようで一緒についてきたドクターと看護婦に何事か話かけていた。ドラマのイメージでは術後は集中治療室とかに入れられるのかと思っていたんだけども、どうやら全ての手術がそうでもないんだなあ、と勝手にそう思った。
患者のおじさんは何度も手術の成功を確認していた。同じことを何度も聞いていたように思う。男のドクターは途中で去っていき、残されたナースの人が彼の繰り返される質問に仕事の片手間に答えていた。片手間というと良くない感じはするけれど、ドクターもナースも観察していると仕事がめちゃめちゃあって恐ろしく大変なのである。到底俺にはこなせない。
と向こうで誰かが俺の名前を口にしたのが聞こえる。どうやら順番が来たようだった。何人かに囲まれてベッドが手術室に移動される。立ち上がれるかどうかを聞かれ、手術台に移るように促される。基本的に元気なので難なくそれらをこなしてみせる。が、誰も褒めてはくれない(←当たり前)。
手術のための全身の下準備が開始される。上半身にも脚にもペタペタとコードが貼り付けられる。鼻に装着されたのが麻酔だったんだと思う。右の手首の辺りからカテーテルを入れるとかなんとか担当のドクターの説明を聞いて頷いたりしてたんだと思うが(あまり思えていない)、気が付いたときには終わっていた。
そういえば前日に通訳の人をつけるかどうか聞かれ、お願いしますと言ったのに、当日はそんな人は誰も居なかった。「彼は英語をちゃんと理解します」と誰かがドクターに告げていたのが聞こえた。俺には(通訳がいないことに関して)何の説明もなかったが単に手配が付かなかったのだろうと思った。ここでゴネても仕方がないし、いいようにしてもらえば文句はない。
術後、カテーテルでステントを入れようとしたんだけど、問題があってバルーンを入れることを検討することになったから、手術を中断、延期することになったことが伝えられた。それがいつになるかは「追って沙汰する」ということだった。
それまでは入院、ということで、朝出てきた部屋に再び送致されたのであった。
『Westmead公立病院入院回顧録 ④』