芸術家の端くれであれば未知のことには積極的であってしかるべきだ。
ぞっとすることがある。
恐怖のために身体が震え上がることがある、ということだが、
どうやら「ぞっとする」か「ぞっとしない」か
両者の間には問題があるらしい。これは俺も知らなかった。
ぞっとすることがあるならぞっとしないことがある。
と書いた場合の「ぞっとしない」は
「ぞっとする」の否定の意味合いである。
論理的には問題がない。そういうふうに思える。
しかし問題があるという者もいるみたいだ。
この場合の「問題がない」が「問題がある」の否定形であるにも関わらず、だ。
「ぞっとしない」本来の意味は「おもしろくない。あまり感心しない」なんだそうで、「恐怖のために身体が震え上がらない」ではないらしい。
その意味での「ぞっとしない」の否定「ぞっとする」は「おもしろい。感心する。」ということになる。けれどもそれがはまる感覚は俺の中にはない。
ナースの知人の勤務先に男がやってきた。
「取れなくなったからどうにかしてほしい」
世の中には入れるときは入ったんだけど抜き取れないってことはある。
指輪が抜けなくなって大騒ぎするのを経験した人は少なくないだろう。
男も、入りはしたが取れなくなって、合体したまま病院にきたのだ。
そうジャムの瓶と。
日常生活では考えにくいかもしれないが、
どうやら人はジャムの瓶との合体が可能らしい。
しかもオーストラリアンサイズのジャムの瓶でさえ、である。
口? いや口ではない。
そう。尻だ。
男はその旺盛な好奇心とチャレンジ精神を遺憾なく発揮してジャムの瓶と尻の穴を通じてドッキングしたが、解除できなくなって助けを求めに来たんだそうだ。
ぞっとした。
ここではぞっとする以外の身体の反応が見つからない。
ここでぞっとしないということがあるだろうか。
という文章の流れの中では「ぞっとしない」は「あまり感心しない」の意味ではない。つまり「ぞっとしない」は「ぞっとする」の否定形だと思ったら大間違いだとしている(ように思える)偉そうな言い回しには素直にああそうなんですかとは言いづらいのだ。
さて、医者はどうゆう経緯でそうなったのかを男に尋ねる。
男は答える。「(シャワーの後全裸で)腰を下ろしたときに偶然(尻の穴の着地地点に瓶があって)入ってしまった」
見事である。
100人いたら100人が思う。
「そんなわけはない」
ちょっと正確な目的の想像はつかないが、恐らく人には言えないようなことをしていた結果に違いない。
しかし、だ。しかし、そうは思っても医者にはこう返してほしい。
「ああ、そうですか。」
瓶の入った尻の穴を無防備で向けている人間が言う精一杯の言い訳に対して意地悪な言葉を浴びせてほしくない。
考えてもみてほしい。これ以上の恥ずかしさを挙げろと言われてもそうそう思いつくものではない。クソを漏らしたところでこれに比べれば大したことではなく思える。
とは言え、自業自得ではある。その旺盛な好奇心とチャレンジ精神を違うところに使っていれば恥もかかずに大きな成功を収めたかもしれない。
ところで、
その瓶には何ジャムが入っていたのだろう。
オーソドックスないちごを好むのか、
それともブルーベリーやアプリコットなんかの変化球を好むのか。
それでもってどのくらい瓶に残ってたんだろう。
新品の瓶を好むのか、それとも使用中のか。
食べてしまってから捨てる前に、ということも考えられる。
もしジャムが残っていたとしたら、取り除いた後、男はそのジャムを食べたのかな。
聴きたいことは多すぎる。
しかしあまりの驚きに、聞くの忘れてしまった。
芸術家の端くれであれば未知のことには積極的であってしかるべきだ。
我ながらこういうところが、ぞっとしない。