食品高騰を乗り切るために
切実さが感じられないニュース番組
物価高ことに食品高騰が問題となっている。
先日も、報道ステーションではメインの大越キャスター自らが商店街やスーパーに出かけて、食料品の値段をリポートするほど力を入れていた。メインキャスター自ら現場に出向くことで番組のやる気を見せているつもりかもしれないが、まったくの逆効果。値上げ前の商品の値段を知らないのはありありだし、自らは食用油が100円や200円上がったところで痛くも痒くもない空気感満々で「この油もかなり値段が上がってるみたいですね」とか伝聞調で淡々と言っちゃってる。
食料品の値上げなんて、一つ一つをとってみれば数十円から高いものでも数百円。消費税同様、そのくらいの上乗せが痛くも痒くもない人からしてみたら実感の湧かない金額で、大越さんの表情から切実さはこれぽっちも伝わってこない。頭の中では、庶民にとっては大変だということは分かりながらも、表情というのは正直だ。これは、メインキャスターなんだからお金持ちなんだろうということではなく、いろいろなニュースをとりあげる中でこの人を見ていると「暮らし」というものに本質的に興味がないんじゃないかと思えるのだ。それには彼がずっと政治記者一筋だったこととも関係しているかもしれない。もちろん興味がなくたって、政治部出身だって、ちゃんと分析するところはし、批判するところはしてくれればいいのだが、「興味がない」場合、どうしたってそのニュースの切り口は紋切り型になる。はたして、この夜の報道ステーションの食品高騰のとりあげ方もそうだった。
今は国産の野菜の値段が安定して安いから、野菜をうまく使ってくださいというスーパーの店長の言葉を受けて、キャスターは政府の対応が待たれますみたいな丸投げ。この際、日本の根本的な食糧問題に切り込んでみようなどという気概は感じられない。だからどうしても、「大越さんなんてサラダ油1リットルが100円値段上がったところでそんなのどっか遠い国の話。それくらいの感覚なんだろうな、、。生活費のやりくりなんてのも奥さんに丸投げなんだろうし、、。」って思っちゃうのだ。
これは食糧高騰や物価高のニュースに限ったことではない。
このところ、多くのニュース番組や情報番組を見ていて感じるのは、そのニュースの切り口を考える時に、制作者は自らの生活実感というフィルターを通していないのではないかということだ。
その「問題意識」いったいどこから湧いてきてんの?ってこと。
例えば、この大越リポートによる物価高のニュースの中で、あるスーパーでは「これまで100円で売っていたペットボトルドリンクも120円で売ることになりそうだ」と言ってたが、それなら消費者はわざわざペットボトル飲料なんて買わなければいいと私自身は思う。120円のペットボトルのお茶を100円で買うよりも、家でお茶っぱからお茶入れて飲む方がずいぶん安いからだ。それに、ペットボトルはリサイクルに出せるとはいえ、そこにかかるエネルギーもあるし、ゴミとなって海洋を汚してもいる。ならば、ペット飲料の購入を減らし、自分で淹れたお茶を持ち歩くようにするだけで、物価高の問題もSDGsの実践も両立できる。ここで問題となるのはむしろ売上が減りかねない生産者の方であって、消費者にとって不利益があるとしたら、お茶を入れるという「手間」が増えるということくらいだ。じゃあ、この「手間」というあたりから食品高騰問題を考えてみようか・・・とかね
(ただ、この切り口だとペット飲料の売上を下げることを奨励しているように見えかねず、食品メーカーをスポンサーに持つテレビには難しいかもしれないけれど)。
ニュースを見ている側でもそのくらいのこと考えるのに、ニュースを発信している側が「政府の対応が待たれる」的な結論で締めるのは、これまでのニュースの定型に今回のネタをはめてお茶を濁しているようにしか感じられない。「政府の対応」って、低所得世帯に対する5万円とかそういうこと?
消費税廃止してくれればいいけど、番組の側からはそんな切り口で取り上げる勇気はなさそうだし、神妙な顔はしているものの、何も考えず「貧しい人は大変ですね~~」で終わってる感じがしてモヤモヤするのだ。
今回の食料高騰は、消費者が大変というのもあるが、どちらかというと、これまで円高に乗じて、海外の原材料に依存してきた食品メーカーの問題という側面が大きい。そういう食品製造の仕組みがアダとなって、末端で消費者が被害を被っている。
ニュース番組ではもっと日本の食のあり方を広く見据えて、今回の問題を掘り下げてほしいのだ。
「コストを下げろ」「便利な商品を」の二大命題の時代
今、暮らしの中、特に食の分野で起こっている問題は、戦後の経済成長至上主義の世の中で多くの商品が「なるべくコストを下げて安価にすること」と「手間を省ける便利な商品」を二大命題として、売上や利益を伸ばすことに邁進してきたことが原因にあるように思う。
「コストを下げるため」に原材料を海外に求めたことで、今回のように円安の影響を受けやすくなった。これは分かりやすい。
もうひとつ「手間を省き」「便利」を追求することは、家事を受け持つものの負担を軽くし、女性の社会進出を推し進める後押しになるなど、ある程度までは良い側面もあったと思う。手間をかけず、美味しい料理を食卓に並べられるようにするため、食品会社はいろんな半加工製品を開発。インスタントラーメン、クックドゥみたいな簡単調味料、パスタソースetc. しかし、今やその「便利」はここまでやるかというほど至れり尽くせりで、コンビニができてからはそこに拍車がかかった。
自分が作るよりコンビニの惣菜の方が美味しいと多くの人に言わしめ、長く続くグルメブームと今回のコロナ禍も相まって、高級レストランの料理の冷凍食品なんてものも登場し、食卓から手作りの惣菜がどんどん消えている。加工食品の利用が増え、外食産業は拡大し、今や、一人暮らしの部屋に鍋もやかんも包丁もないという若者もいるような世の中になった。コンビニに行けば、うさぎちゃんの形に皮を剥いたカットりんごが売られている。
今や家庭料理という誰もが自らの手で享受できる食文化をも企業が一手に引き受けるような時代になってしまった。
これらが意味することはどういうことか・・・。
食品添加物や遺伝子組み換えの混在などの問題は置いとくとして、今回の食料高騰のニュースに引き寄せれば、食糧が高騰した時に、消費者が自らの工夫によって食費をコントロールしづらいということだ。
今現在、円安の煽りで小麦や大豆やとうもろこしの値段が上がってるならば、この際、米食を増やし、値段の変わらない国産のお米の消費を増やせばいいと思うし、国産野菜の値段が安定しているならばさらに良い。そういう献立にシフトさせていけばいいだけである。
みんなが一から自炊していた昔の暮らしに戻ろうとは言わない。
土井善晴氏が唱える「一汁一菜」みたいなシンプルな和食を自宅で一から自分で作って食べる文化がここまで廃れててしまった世の中では、それもなかなかに難しいことなのだと思う。
それに、今、車椅子生活になり、食事を作るのも一苦労という身体になって、それでもなんとか食事できているのは、現代の食品の「便利さ」があってこそと思うことも多い。このところ、粉末のうどんスープや茹でうどん、お茶漬けのり、レトルトカレーにもお世話になっている。
しかし、もし身体が普通に動くようになったならば、健康のためにも、なるべく「一汁一菜」的な食生活をしたいと思う。「便利さ」と引き換えに「健康」を無視することも、自分の身体が「健康」であるが故にできる選択だ。病気になったら後悔する。
戦後、コストと便利さを重視する世の中で、新鮮な生鮮食品をその都度調理して食べるというシンプルな健康法と引き換えに私たちは「便利」を手に入れた。しかし、「手間」を省いて作った料理を食べながら、その分「浮いた時間」は私たちの暮らしを豊かにしてくれただろうか?
どんどん「便利」になっているはずなのに、私たちの暮らしは相変わらず慌ただしいし、がんや糖尿病の人は増えている。
今が考え直す時なのだ。
ここまで世の中がグローバルになった時代、どこかで何かが起こった時にその煽りをなるべく受けないでやっていくためには、生産者、消費者、そして政府が「自分でコントロールできる幅」をどれだけ増やしておけるかだ。政府なら「食糧自給率」を高める政策。生産者は国産材料への切り替え、そして消費者は自炊の能力を鍛え、家計が苦しい時には、その時々の安い材料で料理できるような能力を身につけておくこと等々。
今回の円安による食料高騰の問題は、当面は消費者救済も大事であるが、長期的視点で見れば、これまでの食品メーカーや政府も含めた日本の食のあり方を考え直すきっかけにすべき出来事なのだと思う。
いろんな切り口があると思う。
なんで私たちは自国の主食である米を捨て、減反までして、今、パンが値上がり・・と嘆いているのか?
何かあったら孤立しかねない島国で、今回のような円安の影響が考えられるのに食糧自給率40%を切るような危うい状態を放置しているのか?などなど・・・。
でも、そこら辺を掘り下げ始めたら、闇が掘り起こされすぎて大変なことになるかもしれない(笑)
だとしたら、とりあえずは自分の食生活を自分でコントロールできるように自分でできる範囲の努力をしておくべきだ。
食は最後の命綱。
ニュース番組にはそこらへん、もっと切実に取り上げてほしい。
※サポートよろしくお願いします💓