「翔べ! 鉄平」  8

 次の日は、戦闘服を着てまだ建設途中の厚木の滑走路にやってきた。

 飛行場に着くと犬飼と熊沢、鉄平が呼ばれ、龍宮少尉に従ってまだ土を剥き出しにした滑走路に向かった。滑走路手前の駐機場には訓練用の飛行機が停まっており、あの猪俣少尉が清々しい笑顔で彼らを迎えた。

「あ、皆さん、体は痛くないですか!」

 と声を掛ける猪俣少尉の笑顔は子供みたいな意地悪さを感じさせた。三人はそれには気が付かず目の前の飛行機に見とれてしまっていた。

「オオ、飛行機じゃ」

 と初めて間近に飛行機をみた鉄平は喜びのあまり呟いてしまった。

「これが、九〇式練習機です……」

 と猪俣少尉の自慢げな説明が続く。三人は良くわからないままその説明を聞いた。

「なんだ、戦闘機じゃねぇんだな」

 と熊沢ががっかりしたように呟くと猪俣の眉が引き攣った。飛行機の翼の後ろにある扉からもう一人の乗組員の軍曹が体を乗り出して呼びかけた。

「猪俣少尉、用意ができました」

「おお、猿田軍曹」

 猿田さるた栄治えいじは副操縦士である。猪俣は気を取り直して、先日の細い麻の帯紐を渡した。

「飛行中、扉を開けることになります。揺れで落とされないように、これを体に巻きつけ、機内の金具に止めて置いてください」

 四人は慣れた手つきで鉄塔訓練の時と同じように帯紐を体に巻きつけた。そこへ小隊が大きな木箱を運んできた。
 箱の中には、白い布に埋まったあの黒い人形が入れられていた。四人にはそれがまるで棺桶に入った人のように思えた。そして猪俣に促されてその箱を狭い機内に積み込み乗り込む。

 扉が閉められた。エンジンが掛けられ、機体が唸りだすとプロペラの振動が電流のように体に伝わってくる。そして振動とエンジンの音の響きが調和し静かになると、飛行機が動き出した。

「俺、初めて飛行機に乗ります」

「俺もだ」

「ああ、同じく」

 鉄平が言うと熊沢と犬飼も白状した。

「体が後ろに残されるようになるぞ」

 龍宮少尉が自慢げに言う。

 飛行機の動きが停まった。そして急にエンジンとプロペラの音が大きくなり、体が後方に引っ張られる。機内は響きの静けさで充満する。

 体が沈み、機体が浮く。離陸した。

「おお、金玉が……」

 時折上下に揺れると、睾丸が下に抜ける。暫くすると揺れが少なくなった。すると操縦席から猿田が腰を低くして出てきた。

「皆さん、水平飛行に移りましたので、扉を開けます。命綱を掛けてください」

 命綱の「命」という言葉がやけに重く響いた。全員がロープの先の金具を天井の金具に掛ける。と同時に扉が開けられた。

 グォー――――

 冷たい風が分厚い音を立てて機内に飛び込んでくる。鉄平と熊沢、犬飼は龍宮の指示で箱から人形を出した。人形はその背中に白い布の束を背負っていた。

「高度七〇〇百メートル!」

 操縦席から猪俣が振り返って怒鳴り声を挙げた。猿田が手で了解の合図を送る。猿田は扉の縁に捕まり外を眺めた。

「投下の用意をしてください」

 人形を箱から出した三人は這い蹲って出入り口の床からそっと頭を出して外を覗いてみた。

 体が外の景色に吸い込まれる。気圧の違いでも風圧のせいでもない。広大な地球が狭い機内から引っ張り出そうとする。

『おいでよ』

 と空や大地や海が誘う。山々が小さく見える。飛行機が旋回すると遠くに海が見える。
 その海は地上で想像していたよりも広く見える。
 家屋は小さすぎてその輪郭が良く見えない。建物は平面に見え、密集した家屋の間々に縦横に伸びた道路の筋が網のように広がっている。

 地図を見るようだ。飛行機が左右に揺れると、その扉からの世界が上下に揺れる。足の力が抜ける。

――風子は見ているかな。

 鉄平は町を眺めながら、思いを地上に馳せる。

 龍宮はその後ろから立って命綱に捕まって外を伺っている。

「滑走路上空に入りましたら、合図を出しますので、投下してください!」

 猿田軍曹が大きな声で指示を出した。

「滑走路手前!」

 操縦席から指示が飛んだ。

「よし、今だ!」

 猿田が怒鳴ると、熊沢と犬飼が人形を両脇から引っ張り、鉄平が四つん這いでそれを押す。

 投下された。

     *

 滑走路脇で上空を眺めていた小隊は、練習機が真上に迫ってくると俄かに静まり返り、小さく見える飛行機を注視した。
 飛行機から黒い小さな物体が、鳥の糞のように投下されると、みな息を呑だ。
 息を呑んで、そのまま息を呑み続ける。黒い点は白い狼煙を上げるように、開かないままの落下傘を青い空に細長く引きずって落下し、視線は地上で停まった。

 ドスン!

 白い萎んだ傘がよろよろと地上に崩れ落ち重なった。

「何が悪いンじゃろうな」

 恐怖と不安に包まれた小隊をよそに、藤倉博士は澄ました顔で考え込んだ。

     *

 飛行機は旋回しながらその落ちる様を追ったのだったが、機内では言葉が消えていた。

「着陸用意!」

 操縦席の猪俣の声がその静けさを打ち消した。猿田が急いで操縦席に戻る。龍宮が悲しそうな顔で呟いた。

「開かなかったな……」


 その日の食堂での小隊はまるで通夜のように静かだった。

「開かなかったら、死にますよね」

 鉄平はそっと、何気ない風を装って言うと、

「あの人形、死んだな」

 と犬飼も不安を隠し澄まして言った。

「ああ、乗る前から棺桶に入っていたな」

 熊沢がそう言うと、鉄平も犬飼も飛行機に乗り組む前の箱に入った人形を思い出した。

「遠くからでも聞こえましたよ。落ちたときの音。まだ耳に残っています」

 と地上から見ていた仲間が情けなさそうに呟いた。

 一〇〇一の周囲の者はそれを静かに見守る。彼らは一〇〇一の小隊が笑っていないと食堂が暗く静かになってしまうことに気が付いていた。
 何かに打ち込んでいる人たちの姿は、周囲の人の気を引きつけるものである。

                    つづく

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