「翔べ! 鉄平」 19
アジェルマヒディの日本軍は今か今かと痺れを切らせてみなが空を見上げていた。そして高い空から低い小さな唸る音が聞こえてくると、将兵たちの顔は綻んだ。
「大佐殿! 1001が降下します!」
「よし! 進軍開始だ! カカス、ランゴアンを目指せ!」
「オオョ!」
日本軍を指揮する大佐は、その掛け声を咎めることなく笑って見送り、自身で再び空を見上げた。
「馬鹿どもが、か」
*
ウェイリング中尉は長閑な田舎の村の畑と密林を眺め、そこに切り開かれた油田の鉄塔を見上げた。その鉄塔を見上げ、その遠くにある空に視線を移し、そして口を開け、大きく目を見開いた。
カカスのバンデンベルグ大尉も空を見上げながら体を半回転させた。
「奴ら、パラを持っていたのか! くそ! ジャップ! くそ!!」
バンデンベルグ大尉は空を見上げて、歯を食いしばって呟いた。
「空挺です! 空からです。挟まれました!」
ウェイリング中尉からの無線が興奮した声を響かせた。
ランゴアンの基地は自爆もできなかったのである。
ランゴアンに降下した空挺部隊兵は総勢334人。うち90人ほどが負傷をしたが、日本側の戦死者は無かった。
追われたオランダ軍の将校たちは、密林に潜り、その後ゲリラ戦を展開した。しかし現地の人たちはほぼ日本軍に好意的で、数週間後とうとうバンデンベルグ大尉は現地の人たちの通報で逮捕され捕虜になった。
その後日本海軍は2月にチモールに、また海軍より少し遅れて組織された陸軍の空挺部隊がスマトラ島のパレンバンに、それぞれ空挺作戦を展開した。
一九四二年六月のミッドゥエー海戦での日本海軍の敗北と、アメリカとオーストラリアの連合軍によるガダルカナル島へ上陸で戦局は大きく変わりはじめていた。
そして1943年、3月。1001部隊、横須賀第一特別陸戦隊は横須賀の海兵団基地にいた。その頃海軍の空挺部隊の主力となっていた横須賀第三特別陸戦隊はチモール攻略後アンボンへ進出。その後第一特別陸戦隊に再び編入されてきたのである。
それはまた次の作戦への準備でもあった。
比較的長い間待機となっていた一〇〇一は兵員が増えたことで俄かにわき返った。
最初の空挺作戦の後、陸軍のパレンバン降下作戦が成功すると、そういった作戦のほとんどが陸軍の空挺部隊に取って代わったのである。
ただ実際には傘を作る絹布が不足し落下傘の生産が間に合わず、降下部隊を編成することが出来なかったのも理由の一つに揚げられる。
静かな食堂の片隅に集まっていた1001の会話も活気を帯びてくる。その頃の海兵団は常に顔ぶれが変わり、入ってきてはすぐに戦地に赴くようになっていた。すると閑そうにしている1001に対しては冷たい視線しか送られなくなった。
「なぁ、アメリカはB-29を開発したそうだ」
犬飼がうれしそうに言う。
「ほほう。何処まで高く飛べるンだ?」
熊沢が澄まして聞く。
「なぁに、高度じゃねぇ。Bー17より航続距離が伸びたそうだ」
鉄平はきょとんとした表情で、横目で伺っている。
「そうそう、だから、絶対防衛圏を守らねばならん」
横三特からやってきた鵜飼軍曹がまじめな顔で言った。
「え?」
取り囲んでいた全員が鵜飼を見つめた。
「マリアナ諸島、カロリン諸島といった太平洋の島々だ。そこをアメリカにやられると、B-29がこの日本本土までやってくるようになるンじゃ」
鉄平は興味深くそれを聞き、逆に聞いてみた。
「じゃ、アメリカ軍が落下傘で降りてくるのですか?」
鉄平はあくまで落下傘から興味が離れない。1001は一瞬静かになった。
「まぁ、その前に爆撃があるじゃろ」
鵜飼軍曹は情けなさそうな目で鉄平を見た。
「第一と第三を合併させて、どこかの守備に当てるのかも知れん」
1001の会話が途切れた時、食堂の外に人の気配がした。
「私たちの精鋭をご紹介しますよ」
龍宮中尉はそう言って通りかかった食堂を覗いた。食堂が一瞬静まり返ったが、龍宮とその後ろに続く中尉も帽子を脱いで左脇に抱えていた。
龍宮が小隊の集まる所まで来ると、小隊の全員が立ち上がろうとするが龍宮はそれを止めさせた。ただ鉄平だけが呆然と立ち尽くしているのである。龍宮の後に着いて来た中尉も足を止めて鉄平に見入った。
「鉄平……」
「啓二……いや、亀田中尉殿」
二人は暫く言葉を失った。それを取り巻く小隊も二人を見つめてしまった。
「そ、そうか、やっぱり。やっぱりお前、空挺にいたンだ」
「へへへ」
鉄平は照れ笑いをした。
「お知り合いですか。亀田中尉」
龍宮が聞いた。
「ええ。幼馴染なンです」
啓二は龍宮を振り向いて答えるとまた鉄平を見つめた。
「精鋭か。精鋭だな。メナドの話は聞いたよ」
啓二は飛行機に乗っていたがこの頃は教育の方へ回っており、実践の経験が全く無かった。だからそれでまた啓二は鉄平に嫉妬を覚えた。
鉄平は照れて下を向く。
啓二は周りを見回し、彼を囲む小隊員の目を見ると、彼らの強い絆で繋がった一体感を感じた。それが啓二にはまた羨ましくかんじた。
啓二は小隊から少し離れた、空いている席に鉄平を招き寄せ座った。鉄平もまじめな顔になってその正面に座った。
「啓二、今何処に?」
「俺は、まだ厚木にいる。飛行機の乗り方教えている」
「ちゃんと落下傘持って乗って、撃墜された時は飛び降りるンだ。アメリカの爆撃機は9000メートルも高いところを飛ぶそうだからな」
「撃墜されないように飛ぶ方法を教えているンだ。鉄平、お前は飛ぶことしか考えてねぇんだな」
啓二は一旦言葉を切ってまた続ける。
「この前帰ったら、風子に言われたよ。風子、お前を待つと言っていた。風子をよろしくな。待っているぞ。それほど遠いわけじゃないンだ。顔、出してやれよ」
それは啓二の鉄平への最後の精一杯の見栄であった。
しかしすでに鉄平には啓二に対する対抗意識はなくなっていた。情熱を傾けて、空を飛ぶことを目標に掲げてきた、それを達成してしまい、その喜びの後に来る虚脱感の方が強かった。鉄平は正面の啓二の後ろの空を見つめながら言った。
「俺たちは、飛ぶンじゃない。風に乗るンだ。風になるンだ」
鉄平のその言葉は何かを予想していたのかも知れない。
啓二の目の前には、馬鹿と言われるほど一つのことに夢中になり、子供のように目を輝かせている鉄平がいた。小さいころとなんら変わりない目付きを見た。そして今までなぜ鉄平のことが癪にさわったり、嫉妬しながらも嫌いになれなかった理由がわかり、その理由が風子にもあるのだろうと納得した。
つづく
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