「翔べ! 鉄平」  14


 実家に帰ると、久しぶりに家族全員が揃って食卓を囲んだ。

 銀平も満州での兵役を終え、店を手伝っていた。大豆の価格が高騰し、金平と銀平で方々を駆け回っていたのである。

 父親と二人の兄は満州のことやインドシナの日本軍の話をする。

 会話が途切れたとき、母親が鉄平に聞いた。

「何時か戦争に行くンじゃないのかい」

「ああ、志願したから五年はおらんとな。それに、まだやらなきゃいけないことがあるから」

 鉄平は任務のことは話さず、軍隊の生活ぶりを話して適当に誤魔化した。

「軍隊で何しているンだか……」

 父親は諦め顔で言う。
 鉄平は軍隊に入ることで少しは家族での地位が上になっていたと思ったのだが、以前と変わりがないことに不満を感じ、また落下傘の話ができないことに苛立ちを覚えて、数日後小隊長の龍宮中尉の家に招待されていることを話した。

「へぇ、上の人に可愛がられているンだね」

 母親が安心した口ぶりで呟くように言うと、鉄平は少しだけ満足して箸を置いた。

「鉄平、無理はするなよ。無駄な突撃をやって、死んじまっちゃ、それで終わりだからな。鉄砲の弾を避けるのは、雨を避けるよりかは簡単だぞ」

 銀平は自分の陸軍での経験から冗談交じりに諭すように言った。

「ああ、そのために軍隊で働いているンだ」

 鉄平はわざと働いているという言葉を使った。

 鉄平の両親は海軍から支給される扶助金は使わずに貯めてある事を知らせていなかった。


 次の朝早く、一番に風子が店に豆腐を買いに来た。店に出ていた金平は風子を見つけると、まだ寝ている鉄平を大声で呼んだ。

「お豆腐屋なのに、起きるの、遅いのね」

「ああ、軍隊じゃ、寝坊して尻叩かれているンじゃないか」

 鉄平は風子が来ていると聞いて急いで起きてきた。そして下駄を履いて店に出ると、帰ろうとする風子の後を追った。

「なぁ、毎日、豆腐買いに来ているンだって? 金平兄さんから聞いたよ」

 風子はそれに答えずにゆっくりと歩く。朝のヒグラシが鳴いている。電柱で鳴く蝉のように、なにか勘違いをしているようである。

「ねぇ」

 風子が鉄平を振り向いた。

「私、結婚するかも」

「え!」

 下駄の音が止まった。鉄平はその時初めて風子を結婚相手の女性として意識した自分を見つけた。
 自転車屋に勤めていた頃は、給金の少なさから結婚などは考えなかった。とにかく技術を身に着けようとして軍隊に入ると、再び昔の夢に没頭してしまっていた。

 今、風子の結婚が現実として迫ってきた。

「結婚申し込まれているンだ」

 鉄平は風子を追いかけた。

「だ、だ……」

 誰だと聞こうとした。しかし自分や風子の周囲を考えれば、自ずとその相手は思い浮かぶ。鉄平は覚悟を決めて自分からその名前を口にした。

「啓二か?」

 風子がそっと頷いた。二人は暫く黙って川に沿って歩いた。

 鉄平が言葉を探しながら横目で風子を見てみると、その業とらしい無表情の顔が何かの感情を隠しているように思える。

 畑中商店が橋の向こうに見えてきた。橋に差し掛かると、鉄平は風子の前に進み出た。
 啓二は結婚相手としては申し分ない男に思え、啓二に強い嫉妬を感じながらも、しかし実際には肩を並べようもない。そして思いも寄らない言葉が出てくる。

「啓二は、好いやつだよ」

 そう呟く自分が意地悪だと思いながら後悔する。
 鉄平の言葉に風子は涙が出てくる。
 啓二が結婚相手として申し分ない男だということは鉄平に言われなくても良く知っている。
 ただ自分の気持ちを理解してくれない鉄平に苛立つ。啓二との結婚のことを切り出してそれを止めない鉄平が憎らしい。

「啓ちゃん、よく手紙くれるンだよ」

 鉄平には痛い。言葉を継ぐことができなかった。鉄平には啓二のようなマメさが欠けているのである。

「止めないの?」

 風子は思い切って聞いた。橋の上でまた下駄の音が止まった。

 風子が振り向く。鉄平はその言葉で胸が躍り舞い上がる。自分も風子を相手に結婚志願できるンだと感じた。

 鉄平はまた想像してしまう。戦闘機を操縦する啓二の席の風防ガラスを、風に乗って腕を広げて飛ぶ生身の鉄平がコンコンと叩く。
 振り向いた啓二は驚き、横を向く鉄平がニヤリと笑う。小隊の仲間も空から降りてきて啓二の零戦を囲む。

「風ちゃん。俺、まだやらなきゃならんことがあるンだ。みんなが待っている。それが、それが終わるまで、待てねぇか? 軍隊が終わったら、そしたら……」

 風子は鉄平を振り向いた。しかし喉が震えて言葉が出ず、ただ頷くだけであった。

                つづく


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