処女の守るべき恋愛十誡(1942年)
主婦之友社編輯局編「世渡りの秘訣千ヶ条 : 漫画入り」(主婦之友社)より抜粋
第1誡(かい) 自分一人を恋したと自惚(うぬぼ)れるなかれ
商品を買う客が、そこここの商店で、品定めをするように、男が恋人を選ぶときも、あの人この人と、品定めをした挙句の場合が多い。自分を最初に、恋したのだなどと、自惚れてはならぬ。夢中に嬉しがってはならぬ。胸の高鳴るこの場合こそ、婦人一生のうちで、一番慎重を要する大事な大事な「場合」である。
第2誡 恋愛の試験時代を忘るるなかれ
安物の土瓶一つ買っても、「漏ったら取り換えてくださいネ。」と、念を押して買うのが婦人ではないか。これほど用心深い婦人でも、恋愛だけには不用心である。この恋愛が、相手のためにも、自分のためにも、間違いない、最善のものであると確信をもち得るまで、自重する人が少ない。試験時代の無い恋愛に、悔いの伴ふのは当然だ。
第3誡 男の言をうつかり信用するなかれ
「あなたの愛を得なければ、人生に何の望みもない。」と言ふ。これは男の常套手段だ。少しも珍しくはない。夕日と共に失恋しても、朝日と共に新しき恋に向かうほど、大そう諦めのいいのが男と言ふものである。そんなことに同情して、うつっかり信用してはならぬ。そんな安価な同情者になれば、やがては他に同情される不幸な身と、必ずなにきまってゐる。
第4誡 胡蝶の如き浮気男に気を許すなかれ
蝶に弄ばれる花は、それによつて自分のための大きい役目を果すことができる。実を結ぶことがそれだ。浮気男の相手になって、軽率な恋に陶酔する乙女の場合は、蝶と花との関係とはちがふ。蹂躙されて恋の色香を失ったなら、どうする。実を結んだら、如何にする。一時の快楽で、永久の涙を流しては堪らぬ。浮気男に心を許すな。
第5誡 恋愛の要求に氣前よく応ずるなかれ
信用を重んずる商店では、客から値切られてもまけはせぬ。言値の半分にでも、思ひ切ってまけるのは、その場こっきりの夜店商人ぐらいのものだ。さて、まけられて見ると、客の方で却(かえ)って薄気味の悪いものだ。婦人が異性からの求愛に、思ひ切りよく応ずることも、却って相手に不安を与へ、やがては軽蔑され、馬鹿にされるくらいが関の山である。安価な恋愛が悲鳴に終るのは、このためである。
第6誡 男を呪はぬための用心を怠るなかれ
男ほど、自惚れの強いものはない。その証拠には、異性を見さへすれば、野心を懐(いだ)きかねないほど、向う見ずの了見を持つ。これも自惚れがさせる無謀である。こんな了見を真に受けた日には、一切の男を呪う女とならねばならぬ。「気弱い女が私生児を生む」ではないか。男の言ひなりに身を委ねることは、人身御供(ひとみごくう)になるよりも悲惨なものだ。
第7誡 親切の裏に秘(ひそ)む野心を忘るるなかれ
『ナアニ、これぐらいのことは何でもないのですよ。」などと、氣前のよいところを見せて、頼みもせぬのに手助けしようとする男の親切を、真に受けてはならぬ。すべて男の親切が、汚れた野心のためでなくとも、そのくらいに思って警戒して間違った例はない。いわゆる「男の親切」に出発せぬ誘惑は、 天の岩戸の昔より、一度だってあった例はない。
第8誡 生活能力を欠く恋愛に走るなかれ
恋愛は物質を超越することができる。けれども、物質は恋愛を征服し得ることを忘れてはならぬ。恋愛の門(かど)には物質の制限はなくとも、恋愛生活を永久に楽しむためには、物質的條件が必要である。生活の獨立を得ぬ男子の求愛に、不用意に応じた婦人の末路は悲惨だ。恋愛の享楽も空腹では始まらぬ。これも忘れてならぬ条件の一つ。
第9誡 教養の違ふ者と恋ひし結婚するなかれ
恋愛の相手としては、男女間に教養の差があつても構はぬ。けれども、夫婦生活に於(お)いては、教養の差が多くては不幸だ。殊(こと)に不幸なのは、男子よりも婦人の教養が高い場合だ。教養の低い方の不幸はかりでない。どちらも不幸だ。『互いに愛すればそれでよい。」とは当座の話。「釣り合わぬ不縁」は、富や年齢ばかりと思つてはならぬ。
第10誡 違ひすぎる年齢の恋に耳傾くるなかれ
十八の娘が七十の老翁と恋に陥ることもあれば、六十女が二十歳の青年と愛を語ることもできる。そこが恋愛のもつ不可思議な力だ。かくも相結ぶ力はあっても、そこに自然の調和はない。破綻は次に襲い来る順序だ。お半と長右衛門の例ばかりでない。だいたい世間の嫉妬だけても、堪へられたものでない。余りに近い例ではないが、田中伯ががそれだ。