つまらないは現代病。
昨日何していたの?
と学生の頃、
友人に話しかけたら、
先にミクシィ読んでからにして欲しいと
言われて驚いたことがあった。
今思い返せば、
あの頃は文章を書くことがまだ
日常に根付いていたのかもしれない。
今は個人的なブログも書く人が
ほとんどいなくなったように感じる。
何かしらビジネスや
商業目的のものしか目に入らない。
だからこそ、身近にいる友人や家族が
何を考え何を思い、何をどう書くのか?
という個人的なものが見たくなる。
休みは一日寝てしまっていた。
とか
やけ酒しちゃった。
とか、
リア充ではないリアルが知りたい。
何か役に立つようなものを
盛り込んだものは
ただの情報にしか過ぎず、
情緒を感じない。
どこへ行って
何を食べたか
なんて
正直興味がない。
という言い方は少し
優しさの配慮が
足りないかもしれないが、
知りたいのは、
なぜそこへ行ったのか?
なぜそれを食べたのか?
「なぜ?」をを知りたいだけで、
その人を突き動かしているものが
知りたい。
わたしの場合、時間があってもなくても
映画だけは観るようにしている。
それは、筋トレと同じように
心を鍛えていると思っている。
常に快だけの感情ではない状況へ
自ら追いやり、
苦しみや痛みを生じても
肉体への影響はないということだけに
目を向け色んなシチュエーションを
擬似体験することで
幸せを感じやすい体質を作っているなんて
安いことは言いたくないが、
地に這って生きる必要もないと思っている。
いつも地上3センチは浮いて生きていたいし、
そう生きろって死んだ
じっちゃんも言ってたような、
言ってないような・・・。
真実を確かめて、
わざわざ不安になる必要もないし
自暴自棄になる必要もない。
ならばもっと
自由に生きてもいいはずだ。
自分が自由なら
相手の行動や態度にいちいち
反応することもない。
ただ、
そういう人なんだ。
と。
最近友人から
我が家の合鍵を返された。
「もう頼るなよ」という意味なのか、
意味はなかったのかなんてわからない。
ただ、
そういうことなんだ。
と理解するだけ。
物事にいちいち意味付けをしたところで、
事実は変わらない。
もがけばもがくほど
溺れるように、
男に振られて泣き叫んでも
文句は言うなと
父がよく言っていた。
(そんな父はまだ生きている)
人生はシンプルでなくていいが
自ら複雑にする必要もないと思っている。
そのためには
まず受け入れてみる。
そこから咀嚼し
反芻しながら考えればいい。
いつか答えが見つかるかもしれないし
永遠とわからないかもしれない。
でもそれでいい。
それを受け入れるだけ。
心は軽やかに。穏やかに。
今日もご機嫌に。
CIAO♡
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